第22話 subroutine ティーレ_考察● 改訂2024/06/07、15


◇◇◇ ティーレ視点 ◇◇◇

~~~ 少し時間を遡る ~~~


 夫は謎の多い人だった。


 ラスティ・スレイド。その名前から貴族だと推測される。しかし、多くの貴族に見られる高慢こうまんなところがない。おごり高ぶることもなく、謙虚けんきょで優しい。


 ただ優しいだけの博愛主義者ともちがう。初めて出会ったとき、私に襲いかかってきたマキナ聖王国の騎士たちを容赦なく葬っていった。

 魔導遺物レガシーだろうか? 倒した騎士は一〇や二〇ではない。何百という騎乗した騎士たちをあっという間にしかばねに変えた。あれほど凄まじいものを私は見たことがない。

 それほどの力をもっているにもかかわらず、ラスティは力を誇示しようとしない。恩着せがましいことを口走るでもなく、どこまでも紳士的で、そして優しい。


 いつも私を助けてくれる。


 まさに貴族の鑑だ。


 彼の優しさは留まるところを知らない。


 歩き疲れると私を馬に乗せ、その分の荷物を担いでくれた。寝る前には毎日欠かさず、旅で疲れた足と右腕を揉みほぐしてくれた。食事の仕度したくもだ。

 侍女でさえ入れ替わり立ち替わりでするようなことを、彼は一人ですべてこなした。それも嫌な顔をすることなく。


 身体を拭いてくれたときは、さすがに恥ずかしかったけれど、紳士な夫は目隠しをしていた。別段、厭らしいことをするでもなく、時間をかけて身体を拭いてくれたのを覚えている。


 こんな身体になってしまったけれど、ラスティと出会えた私は幸せ者だ。


 最近、夫が痩せてきた気がする。私のせいだ。そのことに気づいてから、私の食事を増やす夫を見ていたら、胸が張り裂けそうになる。


 ああ、なんでもいいから夫の役に立ちたい。


 この気持ちは夫に伝えていない。

 いまの私には、夫を手助けする力はない。


 そもそも、夫は強い人だ。

 雑兵も混じっていたとはいえ数百からなる聖王国の兵を殲滅し、何十頭もいる魔狼デビルファングの群れを駆逐した。

 それもたった一人で、だ。


 恐ろしく腕の立つ魔術師。そう思っていたのだが現実はちがった。


 夫――ラスティは魔法も知らない人だった。


 その夫から魔法について教えてくれと頼まれ、初めて魔法がつかえないことを知った。


 私の魔法は、姉や妹に比べると取るに足らない粗末なものだが、夫に教えることにした。すると夫はたった数日で、ほとんどの魔法を覚えてしまった。ただ風の魔法は適性がなかったようで覚えられなかった。

 誰にも苦手なことがあるのだなと、なぜかほっとしたのを覚えている。


 夫の底知れぬ才能に驚いていたら、今度は文字を教えてほしいと頼まれた。


 ああ、やっと役に立てることができる。


 私は心のなかで歓喜した。それと同時に混乱もした。


 いとも簡単に魔法を覚えてしまう天才が、文字を知らないと言い出したのだ。私はこのようなケースを聞いたことがない。その逆ならばいくらでも聞いたことはあるが……。


 そういえば最近、ラスティと話をしても違和感がない。出会った頃は片言だったのに、いまではすっかり流暢りゅうちょうしゃべっている。


 精霊様の加護だろうか? きっとそうにちがいない。夫は精霊様に愛されているのだ。


 鬱蒼うっそうとした森を歩き続ける気の滅入る旅だったが、ラスティは明るく振る舞ってくれた。


 何もすることのない旅だから、あれこれお互いを知るために話をした。

 ラスティの素性を聞けば、軍人だと言う。

 失礼な気もしたけど、彼についていろいろ尋ねた。


「あなた様は、私と出会う前は何をしておられたのですか?」


「ティーレと出会う前かぁ……」


 頭の後ろを掻きながら、ラスティは困ったような顔をした。


 どうやら触れてはいけないことだったらしい。


「すみません、つい……。あなた様を困らせるつもりはなかったのですが」


「あー、ごめん。そうじゃないんだ。なんていうか、いろいろあってね。仲間とはぐれちゃって。これからどうしようかって悩んでいたら、たまたまティーレのいた砦を見つけたんだ」


「お仲間を探していたのですかッ! そんな大切なことを放っておいても大丈夫なのですか?」


 なんということだッ! 夫は大切な仲間よりも私を選んでくれたのだ!

 遠回しな愛の告白だったけど、嬉しかった。胸の鼓動が速くなる。


「大丈夫……ではないけどね。この辺りにはいないようだし」


 夫のために、お仲間を探し出す手助けをしたい。

 そう考えて、お仲間の特徴をあれこれ尋ねたら、ラスティは「いいから」と婉曲に断った。

 事情があるようだ。それ以上、お仲間について触れないことにした。


 会話が途切れたので急に静かになる。


 急に黙り込んでしまったので、彼はなんとなく察したようだ。


「あまり他人に喋っちゃダメだよ」

 他言無用と言いたいのだろう。私のことを信じていないから言葉に出したのか、それとも信じているから仲間のことを話してくれたのか、微妙な気もしたけど、秘密を明かしてくれたのだ。夫の信頼を得たと考えていいだろう。


「実は俺、軍人なんだ……って言っても、いまは戦闘専門じゃないんだけどね」


 戦闘が専門でないとしたら密偵? そんな風には見えないけれど……。


 ラスティは言葉を選んで喋っているのだろう。いつもより会話のテンポが遅い。


 話を聞いて、夫のいた軍はとても規律が厳しい場所だと知った。同盟国のラーシャルード軍国も国民全員騎馬兵の軍事国家だが、そこの騎士たちよりも訓練は厳しいようだ。

 だとすると夫のいた国はどこなのだろう?


 南東のザーナ都市国家連合でもないし、西のランスベリー法国でもない。マキナ聖王国の出身でもなさそうだし、我が国ベルーガの民でもない。星方教会の人だろうか? 教会の中枢たる大聖堂を護る聖堂騎士は血の滲むような修練を積んでいると聞く。

 いや、もし星方教会の聖堂騎士ならば癒やしの魔法をつかえるはずだ。ラスティはそれをつかえない。となると夫は一体どこの国の人なのだろう?


 肝心なところをはぐらかしている。国について明かせない事情があるのだろう。気にはなったけど、夫の素性については触れなかった。


 黙っていると気をつかってくれたのか、ラスティは家族のことを話してくれた。両親と弟がいるらしい。そしてラスティは母親のつくるラザニアなる食べ物が大好きだと教えてくれた。


 それが夫の好物なのか、ラザニアという言葉を胸に刻みつけた。


 話はラスティの私生活におよび、そこで信じられない事実を知った。


 本当に信じられない事実だった。嘘をついているのではと疑ったけど、どうやら本当のようだ。


 ラスティは


 衝撃のあまり、本音を零してしまった。


「世の女たちは、なんと愚かなのでしょう」


「そんなことないよ。俺なんかよりいい男はごまんといるからね」


 本当に世の女たちは愚かだ。謙虚けんきょで優しいラスティの真の姿を見ようとしない。しかし、そのおかげで彼の伴侶はんりょになることができた。その点だけは世の女たちには感謝せねば。


 会話は続く、ラスティが自身のことを語ったので、次は私の番だ。


 そこで、やらかしてしまった。

 浮かれていたせいで、口を滑らせてしまったのだ。


 私の国で起きた不幸を。同盟国であるマキナ聖王国に、卑怯にも後れを取った事実を。


 正体がバレてしまっただろうか? いや、伏せられている王都でのことを話したのだ。間違いなくバレているだろう。


 少なくとも元帥が護衛しているということから、王族、もしくは分家筋の大公、大公爵だと目星をつけているはず。


 迂闊だった……。


 いまさら悔やんでも遅い。過ぎた時間は戻らない。


 しょんぼりしながら旅を続ける。


 それから何日かして、ラスティが魔法の練習を始めた。


 なんでも改良した魔法らしい。どんな魔法かと興味をもって見学したら……。


 とんでもない結果だった。


〈水撃〉の魔法は、敵や障害物を押し戻す、もしくは突き飛ばす場合につかわれることが多い。それをどっしりとした樹木に穴を穿つとは……。


 並列だの直列だの、聞いたことも見たこともない魔術理論を説明してくれて、そのあともとんでもない魔法を見せられた。ラスティがしていることは賢者や大魔導師の域を超えている。まさに神の領域だ。


 魔法の次に見せてくれた剣術も度肝を抜かれた。


 似たような技を知っている。たしかAランク冒険者がつかっていた剣術だ。大剣を風車のようにブンブン振りまわし、敵の兜ごと叩き割る。一時期、騎士たちが練習していたので覚えている。バランスを取るのが難しいらしく、そのときは誰も成功しなかったが、ラスティは見事にものにしている。


 出鱈目すぎる。


 夫から高度な魔法を習うのは無理かも知れないが、剣術ならば体得できそうな気がした。


 無理を承知で頼んでみたら、すんなり承諾してくれた。


 夫の気が変わらないうちに、剣術の稽古をしてもらうことにした。


 それから毎日のように剣術の修行に明け暮れた。


 右腕の完治まで、残すは指だけとなったある日。

 ついに私はラスティから一本とった。


 そのとき私のなかで何かが吹っ切れた。



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