第17話 subroutine ティーレ_謎多き夫● 改訂2024/06/15


◇◇◇ ティーレ視点 ◇◇◇


 私は夢を見ていた。

 父上と母上が生きていた頃の夢だ。


 姉のカーラ、妹のルセアとお茶を楽しんでいる夢想の世界。

 姉は優秀な人だったが、貴族的ではなかった。容姿こそ立派な貴族ではあるものの、趣味趣向しゅみしゅこうがその辺の貴族の娘と真逆だったのを思い出す。


「貴族たるもの、謀略渦巻く宮廷で後れを取ってはけない」


 姉は何事もそつなくこなし、終始完璧に立ち回った。時には父上の相談役となり、時には父上に代わり軍を率いた。姉が優れているのは才能だけではない。美しく気高い。まさに完璧な女性だ。

 しかし、そんな姉にも欠点があった、女性としてのつつましさが欠落していたのだ。言葉遣いも男のそれに似ていて、苦手だった。


 妹も似たような感じで、一般常識は欠落していたが、魔法の才能だけはずば抜けていた。齢十三にして首席宮廷魔術師を退けるほどの腕を持ち、錬金術の才能にも長けていた。


 私はというと、剣と魔法を無難にあつかえるだけの中途半端な才能しか持ち合わせていない。無能と指さされないのは、常識をわきまえ王族としての教養と礼儀作法を身につけていたからだ。

 才能ではない。王族ならばできて当然のことだ。私、ティーレはその程度の女なのだ。


 しかし、いまはちがう。精霊様にお会いできて、人生をともにする伴侶を得た。


 精霊様の認めた男――ラスティ。


 彼は優しく紳士的で、一度ならず二度までも私の命を救ってくれた。それも極刑を免れないかもしれない禁忌を犯して……。我が国、ベルーガの貴族でも危険をかえりみず、助けてくれる者はいないだろう。

 そのことを精霊様から聞いたとき、胸が熱くなったのを覚えている。


 ラスティが私を助けてくれたのはそれだけではない。数多あまたの敵を退け、私が追われている身であることを知りつつ、ガンダラクシャまで送ってくれると約束してくれた。

 私なんかには勿体ない夫だ。


 そうだ、私はその夫と旅をしていて…………。

 そこで意識が覚醒する。


 目の前には、これから人生をともに歩む夫――ラスティがいた。彼は安らかな寝息を立てて眠っている。

 焚き火の枝でも拾っておこう。

 起き上がろうとしたら、ラスティの上に倒れ込んでしまった。

 そういえば頭がぼうっとする。熱があるのでしょう。

 慌てて、身体を起こそうとしたけど、有るべき感触が欠落していた。

 そこで思い出す。


「ガーキという下級貴族に斬りつけられて……」


 認めたくない現実に、血の気が引く。

 見てはならないと本能が警鐘を鳴らす。

 おそるおそる右手に視線をやる。


 肘から先がなかった。


 消し去りたい記憶が鮮明に蘇る。


「あのとき、腕を切り落とされた……」


 涙がこぼれた。

 あの時、剣をとって戦っていたら。あの時、森を通らなかったら。あの時…………。後悔は尽きない。

 不意に、恐ろしい考えが脳裏をよぎった。…………もしラスティと旅をともにしなかったら。


 いけない、これは悪い考えだ。

 夫は二度も私を助けてくれた。見返りを求めることなく、極刑に処せられる覚悟までして。そんな恩人に対して、そのような邪念を抱くなんて、いまの私はどうかしている。


 認めたくない現実と対峙する。腕の傷は綺麗に塞がっていた。

 腕を切り落とされてから、それほど時間は経っていないはずだ。それなのに傷口が塞がっている。それもしっかりとした肌で、だ。

 ラスティが傷を癒してくれたのだろう。


 そんな優しい夫を、一瞬でも邪険に扱おうとした自分が許せなくなった。

「ごめんなさい。本当にごめんなさい」

 今度は悲しい出来事とはちがう涙が出る。


 これ以上、我慢できない。


 ふらつきながらテントの外へ出る。熱があって本調子ではない。ゆらゆらと目に映る世界が揺れている。

 身体に纏わりつく倦怠けんたい感よりも、はじまさった。

 どこか遠くで声に出して泣こうとしたら、それが目に入った。


 累累たる屍の山。狼の姿をした魔獣たちの死体。


魔狼デビルファング!」


 魔狼は強敵だ。野生の狼よりも大きく、人肉を好む好戦的な魔物。並の騎士では一人で太刀打ちできないとされる。熟練の騎士でも不意を突かれると負けてしまう、恐るべき森の魔獣。


 それをラスティ一人で倒したのだろう。


「生き残りがいるかもしれない。ほかの群れを呼ばれると厄介だわ」


 慣れない左手で短剣を抜き、生き残りがいないかたしかめる。


 魔狼の死骸をあらためる。見事な切り口だった。口から後頭部まで骨ごと一刀両断されている。断面は滑らかで、ラスティの技量がいかに優れているか窺える。ほかにも魔法によるものか、やじりよりも細く鋭い傷跡があった。


 極めつけは、木の根元で前脚をあげたまま絶命している群れの長らしき一際大きな死骸。

 口から後頭部まで剣で貫かれている。それ以外に傷が見当たらないことから一撃で仕留めたことがわかる。


「魔狼の群れを、たった一人で倒したとはッ!」


 おもわず、王族としての言葉遣いになってしまった。私から冷静さを奪うに十分な光景だ。それほどまでに凄まじい戦いの跡だった。


 冷静さを取り戻すと、あるものが目に入ってきた。血痕だ。それが足跡のようにテントまで続いてる。


「もしかしてッ!」


 慌ててテントのなかに戻る。


 悪い予想は当たった。ラスティの服は血まみれだ。すぐ側にいたのに暗がりで見落としていた。服には無数の傷痕があった。引っ掻き傷や噛み傷だ。服に空いた穴はどれも森に住む獣と比べると明らかに大きい。間違いなく魔狼によるものだ。

 夫には悪いが、傷を確認することにした。


 ラスティの服をはだける。


「嘘ッ!」


 あるべきはずの傷がなかった。

 傷を癒した? そういえば、私の腕の傷も……。〈癒やしのわざ〉をつかえるのは教会の者だけだ。ラスティに教会の信徒に見られる特徴はなかった。それに教会の忌み嫌う魔法をつかう。


 もしや、賢者なのか!


 ありえない。ここ数十年、賢者が現れたという報告は宮廷にあがってきていない。そもそも賢者は伝説のような存在だ。それが、こんなところに……。


 私は混乱した。


 夢や妄想ではない。手を伸ばせば届くところにラスティはいる。

 夫は一体何者なのだろうか?

 ラスティの正体を知りたい。しかし、それを知ってしまうと彼が消えてしまいそうな気がして怖い。


「三度目だ。命を三度も救ってくれた。その夫を疑うなんて、いまの私はどうにかしている」


 頭を振って、疑念を払いのける。


 精霊様の認めた男だ。素性を聞き出そうなんて馬鹿げている。

 深呼吸を繰り返す。


 気持ちが落ち着いたところで、当初の予定を思い出した。


「枝を拾って火を熾しておきましょう」


 すやすやと眠る夫にキスをして、私はテントの外に出た。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る