去るべき人間

三鹿ショート

去るべき人間

 扉を蹴破ると、中で座っていた老人が驚いたような表情を浮かべた。

 だが、多くの管に繋がれたその老人は逃げることもできず、ただ懇願するような声を出すだけだった。

 相手に構わず、私は部下である彼女に、老人に繋がれた管を残らず抜くように命令する。

 しかし、仕事に慣れていない彼女は、自分の行動によって老人が迎える末路に怯えてしまい、その場から動くことができなかった。

 仕方が無いために、私は彼女の代わりに、老人に繋がれた管を全て抜いた。

 間もなく、老人はこの世を去った。

 動くことが無くなった老人を見つめていると、老人の存在を伝えてきた男性が笑みを浮かべながら近付いてきた。

 密告による報酬を求めているのだろう、私は懐から小瓶を取り出すと、男性の胸部に埋め込んだ。

 己の寿命が延長されたことがそれほどまでに嬉しいのか、男性は頭を下げると、軽い足取りでその場を去った。


***


 現場の近くに存在していた飲食店で少しばかり遅い昼食を口に運んでいると、彼女が神妙な面持ちで、謝罪の言葉を吐いた。

 だが、私は彼女を責めるつもりはない。

 彼女の反応こそ、普通の人間がするべきものだったからだ。

 私は多くの違反者の生命を奪っているうちに慣れてしまったのだが、人間の生命を奪うという行為は、それほどまでに重大なことなのである。

 彼女のその感覚は失うべきではないのだが、この仕事を続けるのならば、それを捨てる必要がある。

 人間を始末するのならば、己も人間らしい感情を捨てなければならないのだ。

 私の言葉を、彼女は黙って聞いていた。

 結局、彼女が昼食を口に運ぶことはなかった。


***


 時間を要したものの、彼女はようやく仕事をこなすことができるようになった。

 違反者の生命を奪う際に、謝罪の言葉を吐き、目を閉じる癖が抜けることはなかったが、仕事が出来るのならばそれ以上のことを求めることはない。

 やがて、私は彼女の教育係から解放されたが、今度は別の新人を鍛える必要があった。

 私以外にも多くの人間が勤務しているにも関わらず、何故私ばかりが新人の教育をしなければならないのだろうか。

 一度だけ、それを上司に問うたことがある。

 上司は虚ろな目を私に向けながら、

「誰もがきみのように働いてもらわければ、困るからだ」

 上司は己の胸部に存在する小瓶を指差しながら、

「人口を調節するための規則だというにも関わらず、他の薬品を使用して己の生命を延長させる違反者が多すぎるのだ。だからこそ、迅速に、容赦なく仕事をしてもらう必要がある。その点において、きみは、良い手本なのだ」

 私を買ってくれることは有難いが、私だけに頼っている状況は、あまり良くないのではないか。

 もしも私の身に何らかの問題が生じた場合、誰が私の代わりと化すのだろうか。

 それを問うたところ、上司は肩をすくめた。

「そのときは、そのときに考える」

 思いつきで行動するような態度で良いのだろうかとも思ったが、上司に逆らうなどという罪を犯せば、私の寿命が減らされてしまう。

 私は上司に対してそれ以上の言葉を重ねることなく、部屋を後にした。


***


 知らせを受けて現場へと向かうと、変わり果てた姿の彼女が目に入った。

 鼻は折れ、歯が周辺に飛び散り、飛び出した眼球は潰され、乳房は切り落とされ、腹部には多くの刃物が突き立てられ、局部には暴行に使用したと思われる角材が押し込まれていた。

 多くの同僚が涙を流しているが、彼女と共に仕事をしていたはずの人間の姿が無い。

 おそらく、彼女と共に仕事をしていた人間は、何者かと共謀し、彼女の小瓶を奪うために行動したのだろう。

 自身がこの世から去るべき時間を迎えたにも関わらず、生き続けたいと望む人間は、藁にも縋る思いで裏から手を回すことが多い。

 ゆえに、彼女と共に仕事をしていた人間は、買収されたのだろう。

 彼女が違反者を始末する際に目を閉じることを知っていれば、その隙に彼女を襲うことも可能である。

 偽りの密告者と違反者で誘き寄せ、全員で彼女を暴行し、寿命を延長することができる小瓶を入手したに違いなかった。

 私はその場に集まっていた人間たちに命令し、彼女と共に仕事をしていた人間を捜索するように告げた。

 一人、現場に残った私は、彼女の死体に布をかけた。

 人間らしい彼女は、この仕事を続けるべきではなかったのかもしれない。

 私が彼女にそのことを告げていれば、このような事態を招くこともなかっただろう。

 私は彼女に謝罪の言葉を吐くと、建物の壁に向かって拳を打ち付けた。


***


 今日もまた、私は新人を教育していく。

 しかし、その新人の顔には見覚えがあった。

 素性を訊ねると、その新人は、彼女の妹だということだった。

 確かに、彼女によく似ていた。

 彼女の妹は、違反者に対する思いが強いのか、新人らしからぬ気概で、仕事をこなしていった。

 それが何に起因しているのかなど、聞くまでもない。

 それでも私は、彼女の妹に告げた。

「自分には合わない仕事だと一瞬でも考えたときは、迷わずに辞めるべきである」

 自身の姉のことを引き合いに出していることに気が付いたのか、彼女の妹は、力強く首肯を返した。

 少しは私も、人間らしい感情を取り戻すことができたのだろうか。

 天に向かって彼女に問いかけるが、返事は無かった。

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去るべき人間 三鹿ショート @mijikashort

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