6-2 レインボーハイツ302号室

 いつもの駅前ロータリー。このところ秋らしい陽気が続いており、今日も穏やかな日差しが降り注いでいる。

 待ち合わせの場所に立つ有瀬ありせくんは、例によって私の姿を見つけるや、大きく手を振ってきた。


弐千佳にちかさーん!」


 いつでも目立つ長身の金髪。加えて派手なアロハシャツ。季節感を意識したのか、黒地に赤い彼岸花の柄の。どことなくホストっぽい色味だ。

 そして毎度ながらの大荷物。調理器具の入ったリュックや、炊飯器の紙袋はいいとして。


「あの、有瀬くん、その背負ってるやつ何?」

「これすか! アコギっすね!」

「アコギ? え、ギター?」


 事故物件に泊まるための準備とは、咄嗟に結び付かなかった。


「いや、なんで?」

「だって今回のとこって防音室あるんでしょ? たまたま実家に中学ん時買ったギターがあったんで、これはもう持ってくっきゃねえって思いましたよね!」

「なぜそうなる」

「久しぶりに弾き語りしようとしたら、二番目の兄貴から『うるせえ』ってガチギレされて。あっちはあっちで実家の手伝いの合間にリモート会議中だったんで、まあ俺が悪いんすけどね。で、そんなタイミングで今回の物件でしょ? なんか運命感じちゃいましたよねー」

「こっちも仕事だよ?」


 大丈夫かこの子。

 しかし何にせよここまで運んできたものを持ち帰らせるのも手間なので、ひとまず全ての荷物をライトバンに積み込んで、目的地に向け出発する。

 市街地から国道へ出て、隣の市に入った辺りで。


「あーやっぱり。住所見た時から思ってたんすけど、今回のとこって前に行ったとこの近くっすね」

「そうそう。事故物件の多い地区ね」


 住宅密集地で、アパートやマンションも多い区域。世帯の母数が多ければ、孤独死や自殺、事件の件数も比例して増える。

 ただし、単にそれだけとも言いきれない。負の念は、同質の念を引き寄せるものだ。ひとたび何かが起きた場所で似たような事件の起きることも、往々にしてある。

 また『事件の多い場所』という悪いイメージも、念を増幅させる原因になる。たくさんの人が悪い印象を持てば、世間的に悪いものになってしまう。悪い思い込みが悪い気の流れを生み、負の念の溜まり場にもなり得るのだ。


 今回の物件も、そんな一画にあった。

 片側一車線の道路に面した三階建てのマンション。指定された駐車場に車を入れる。


「なんつーか、ひと昔前の感じ」


 建物を見上げた有瀬くんが率直な感想を漏らす。

 白とローズピンクのツートンカラーで、ちょっと目を引く外観。各階から張り出したバルコニーは半円形で、手摺りは黄色。

 入り口には、ダマスク柄のような植物っぽいデザインをあしらった背の低い錆色の門扉。その傍にある感銘板には『レインボーハイツ』と刻印がある。

 確かに彼の言う通り、バブル時代の残りかすみたいな雰囲気が漂う。


「築三十二年だって。まあ平成初期のマンションって考えたら、こんなもんかも」

「マンションなんすか。アパートじゃなく」

「アパートは木造や軽量鉄骨造で、二階か三階建てのものを指すことが多い。マンションは鉄筋コンクリート造で、三階建て以上のものを指す感じ。ここは鉄筋。防音性は木造より鉄筋の方が良いんだよ」

「へぇー」


 門扉から中へと入り、くすんだタイル張りの階段をぐるぐると上がっていく。

 建物内部の共有部分はひんやりしていて、やけに足音が響き、どことなく肩身狭く感じる。

 三階に二部屋あるうちの片方、302号室が今回の現場である。


 預かった鍵を回して玄関ドアを開ける。事故物件に特有の、重たい空気がひゅうっと漏れ出てくる。

 何かがいる部屋だ。

 しかし、それ以上に気になるのが。


「んっ? なんか、つんとした臭いしない?」

「ああ、消臭剤かもね」

「消臭剤?」

「そう」


 狭い三和土たたきを上がって、正面にはトイレと洗濯機を置くスペース、すぐ左手は小さなキッチン。ガスの元栓が剥き出しで見えている。


「ここガスだし、自分でコンロ設置しなきゃいけないパターンっすよね。カセットコンロ持ってきました」

「さすが準備万端」


 洋室は六帖。クローゼットが一つ、浴室は小さい洗面台と浴槽がセットになったもの。トイレは別。小ぢんまりと一人暮らしするなら申し分ない設備だろう。

 そして。


「おーっ! これが噂の防音室! 結構ちっさいっすね」

「三帖ってとこか。十分じゃない? ピアノやドラムセットも置けるでしょ」


 床は絨毯張りで、壁もなんとなく厚くて圧迫感がある。窓がないせいかもしれない。照明を消したままではかなり薄暗い。

 窓がなければ一部屋として換算されないので、定義上この物件はワンルームという扱いだ。


 私は玄関の上にあるブレーカーを全てONにして、洋間の電気を点けた。特に問題なく部屋は明るくなる。

 そこで、ようやく私は気付いた。


「ちょっと有瀬くん、なんでちゃっかりギター持って上がってきてるの」

「え? ほら、せっかくだし、ね?」

「ね?じゃないよ。車に置いてきなさい」

「や、でも、やっぱこーゆー防音室のある部屋借りるのって、ほぼほぼ楽器とかやる人でしょ? 実際に生活する感じで過ごした方が心霊現象分かりやすいって言ったの、弐千佳さんじゃないすかー」

「ん……」


 ド正論が返ってきた。


「しかも最初の説明の時、『空き時間は何しててもいい』って言ってましたよね?」

「んん……」


 よく覚えてるな。

 考えてみたら、そもそも現場で料理をし始めたことだって予想外だったのだ。

 また彼はSwitchoなどのゲーム機を持ち込んで、遊びながら暇を潰している。ゲームは良くてギターは駄目なのかと問われたら、私は道理の通った説明をできるのか。大人として。雇用主として。

 いや、でも。


「他の入居者さんの迷惑になったらいけないし」

「大丈夫! 防音室は防音のための部屋だから!」


 某二世議員構文か。

 ただ、これまた正論であることは否めない。

 あと、わくわくしたゴールデンレトリバーみたいな顔をやめなさい。


「ねぇねぇ弐千佳さん、ダメ?」

「…………ああ、もうっ……仕方ないな、昼間だけだからね」

「やったー! あざっす! やっぱ弐千佳さんは優しいなー! うちの兄貴とは大違いっ!」


 パタパタと盛大に振られるふさふさ尻尾を幻視する。

 何か、やたらと悔しい。


「ところで、この部屋ってどんな事件があったの?」

「ああ、うん……」


 少し気を取り直す。そうだ、私たちは事故物件の浄化に来たんだった。


「事件が起きたのは一年くらい前。当時この部屋を借りていた二十代の男性が、室内で孤独死した」

「孤独死? 二十代の男が?」

「うん、そうなんだけどね。家族含めほとんど誰とも連絡を取ってなかったみたい。結果、発見が遅れた。隣の人から悪臭の通報があって、警察が駆け付けた時には既に亡くなってから半月以上が経過してたらしい」

「うええ、半月も! あーそっか、だから消臭剤の臭いがしてるんだ。えっ……てか、この部屋のどの辺で?」


 私は視線を向ける。

 今まさに有瀬くんが踏みしめている床のカーペットに。


「その防音室だよ」

「……アーッ⁈ えっえっマジすか!」


 ぴょんと飛び上がって瞬時に待避してくる我がアシスタント。まぁそうなるだろう。

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