4-2 因縁の一軒家
いつもの駅前ロータリー。梅雨真っ只中のどんより重い雲の下、肌に纏わりつくような湿った風が吹き抜けていく。
だけど、生憎の空模様も何のその。
「
今日も
とにかく目立つ。もはやこの駅前の名物になるのではないかと思えるほど。
今日の彼は全体的にリアルなひまわりの絵がプリントされた夏らしさ溢れるアロハシャツだ。気が早くないか。
そしてやはり、大荷物を抱えていた。
「今回も弐千佳さんの好きなもの作りますんで、食べたいものあったら言ってくださいねー」
明るく軽い口調に、私は小さく唇の両端だけを上げてみせる。
「行こう」
車に乗り込んだ私たちは、さっそく目的地に向けて出発した。
「今日はまた県を跨ぐんでしたっけ?」
「そうだよ。高速使って三時間くらいかな」
「今までで一番遠いっすね」
全国各地に七店舗ある七福不動産グループのうち、大黒不動産は中部エリアを担当している。今回の物件のある場所へ赴くには、二山も三山も越えねばならない。
市街地から国道へとしばらく進み、最寄りのインターへ。前回同様、平日の午後は車通りも疎らだ。
梅雨入りしてからというもの、外気は常にじめじめしている。窓はぴたりと閉めたまま。ダッシュボードのエアコン吹き出し口から送られる、心持ち冷たい程度の風が、ハンドルを握る私の両手の指先を乾かしていた。
行っても行っても変わり映えのしない景色が、それでも記憶の溝をなぞっていくことに、気付かないふりをする。
「俺、こっちの方面来るの何気に小学生ん時ぶりかも。この仕事、いろんなとこ行けていいっすね」
「どこ行っても事故物件に缶詰めだよ」
「えー俺、ドライブだけでも楽しいけどなー」
先ほどからトンネルの連続で目がチカチカする。気圧の変化で耳も詰まる。お世辞にも楽しいとは言い難いドライブだと思うんだけど。
途中で立ち寄ったサービスエリアでは、有瀬くんがまたソフトクリームを買い食いした。
「ここのソフト、ミルクの味が濃くてめちゃ美味いんすよ。近くに牧場あるじゃないすかー。昔あそこに家族で行ったことがあって、そん時にも食いました」
彼がにこにこ思い出を語るのを、私は静かにタバコを吸いながら聞いていた。つんとしたシトラスのフレーバーは、優しいミルクの風味には程遠かった。
休憩所から本線へと戻り、またしばらく走る。徐々に下がりゆく標高。ナビの案内でインターを出るころには、既に空が仄暗くなり始めていた。今にもひと雨きそうだ。
人も車も気配の薄い国道をしばらく進み、久方ぶりの赤信号で停車する。
ずいぶん静かだなと思ったら、隣で有瀬くんが居眠りしていた。
まつ毛が長い。その感想だけを抱いて、私はそろりとアクセルを踏んだ。
目的地で車を駐め、エンジンを切り、短く声をかける。
「着いたよ」
有瀬くんはびくりと身を震わせて目を開けた。
「ふぇっ?」
「着いた」
「あっ……すっすんませんっ、俺っ」
「いいよ。荷物下ろして」
慌てた様子がおかしくて、ついつい笑ってしまった。まだ、笑える程度の余裕はある。
車を降りた有瀬くんが呟いた。
「へぇ、ここが? 一軒家ってパターンもあるんだ」
そう、目の前にあるのは集合住宅ではなく、戸建ての家だ。二階建てで、間口は広い。
年季の入った家々の建ち並ぶ中、その家だけが何となく浮いている。
「めちゃ綺麗っぽいっすね」
「一回フルリノベーションしたらしいよ。賃貸の一軒家。築年数は四十五年。ぱっと見ただけじゃ、事故物件なんて思えないでしよ」
「確かに見た感じはそうっすけど……」
すっかり覚醒したらしい有瀬くんは、強張った顔で家屋を見つめている。
空の隠れた夕暮れ時。どこかでカラスがギャアギャア不穏に鳴き喚く。
一見すれば真新しく、モダンな雰囲気のその家は、少し近寄っただけで肌に触れるほどの異様な気配を発していた。
正確に言えば、そこに棲みついた何かの気配だ。
ここまで悪化しているのか。
胸に苦いものが滲むのを抑えて、私は預かった鍵で扉を開ける。
入ってすぐ、玄関扉の上にブレーカーがあった。三種類のスイッチを全て『入』にすれば、家じゅうの電気が使えるようになる。
広々とした玄関スペース。しかし昼光色の電灯に、あるかなしかの寒気を感じる。たぶん気のせいではない。
一歩進むごとに、こめかみを締め付けるような頭痛が侵食してくる。気の巡りを意識して深呼吸すれば、多少はマシになった。
一階は開放的なリビングと、大きく開け放てる引き戸で繋がったダイニングキッチン。対面式のシステムキッチンには、ビルドインの食洗機まで付いている。
「いいキッチンすねー。二口のIHコンロ!」
荷物を運び込んだ有瀬くんが、調理場周りをあれこれ検分し始める。
「有瀬くん、体調大丈夫?」
「へ? まぁ、ちょっとゾワゾワしてますけど、平気っすよ」
「なら良かった。タフだね」
私も
先に玄関を大きく開けて、外へ向けて簡易的な九字切りをする。滞留していた雑多な念が一斉に排出され、身体的な圧迫感がぐっと軽くなった。
室内へと戻る。リビングを出たところにトイレ、廊下を進んだ先に脱衣所と浴室。どこも新しい設備で揃えられている。
階段を上がると、八帖ほどの洋間が二部屋。
「上の方がやばくないすか」
「そうだね」
私は息を詰めるようにして全ての窓を開け、玄関と同じ方位へ九字切りをした。これでしばらくは問題ないだろう。
「有瀬くん。一階二階とも、霊符を四方それぞれ一番外側の壁に貼って」
「てことは八枚?」
「そう。この家全体に私のテリトリーを作る」
事前に芙美の実家の神社へ参拝して、霊符を多めにもらっていた。ストックは十分だ。
霊符を貼り終えた有瀬くんが二階に上がってくる。
「今回かなり大がかりな感じっすね。あの御札貼ったら気持ち悪いのなくなりました」
「私のテリトリー内なら、こんなとこでも数日過ごせるでしょ。さっさと片付けて退散したいとこだね」
「この家って、どんな事件があったんすか?」
私は有瀬くんを北側の洋間に招き入れた。最も嫌な気配の残る部屋だ。間取りを造り替えても、この家の骨組みに刻み込まれているのだろう。
「六年前、になるのか。当時ちょっと全国ニュースにもなってたんだけどね。この家には、六十代の母親と、三十代で独身の兄と妹が三人で住んでた。母親は昔からおかしな宗教にハマってて、病気になっても治療を受けようとしなかった。それどころか、死後に神さまだか何だかの元へ行くとか言って、絶食の修行を始めた」
「えー何それ、怖!」
「母親は娘にこう言い付けた。『自分が死んでも火葬せず、身体の形を保ったままミイラにするように。そうすればお前に神の力が授かるだろう』って。小さいころから母親に洗脳されてた娘は、それに従った」
「うええ……? 死体とか放置すんのって、その時点で逮捕されるやつなんじゃ……」
「うん、そうだよ」
人の遺体を社会通念や法規に沿う形で葬儀を行わずに放置すれば、死体遺棄罪になる。
「家族の中で、兄だけはマトモに働いて家計を支えてた。母親や妹に対しても、馬鹿な真似はやめるように何度も言っていたらしい。だけど母親は死に、妹はそれを隠そうとした。兄が通報するのを阻止しようとして、妹は兄を刺し殺した。その後も妹は母親の言葉を信じて自らを神と思い込み、食事を摂ることなく、一歩も外に出ずに餓死した。三人の遺体はこの部屋で腐敗して、近所の人が異臭に気付いて通報。それで発覚した事件だよ」
私がそこまで話し切ると、有瀬くんはぎょっとした顔で部屋を見回した。
「えっ、まさか、この部屋で……?」
「そう。事件当初、遺体から漏れ出したいろんな液が床に染み付いて、原状回復が相当大変だったみたい。特殊清掃でも落としきれなくて、四年くらい前にフルリノベーションした」
「へぇ……」
さすがの彼も顔をしかめている。
「じゃあ、ここに居着いた怨霊は、殺されたお兄さん? それとも闇堕ちした妹?」
「ベースは母親の魂だったんだよね。信仰の力が強かったのかも。そこに兄妹やその他の雑多な念が入り混じって、ひどいことになってた」
「なってた?」
隠すことでもない。私がこの家に来るのは二度目だ。
「ここ、私が五年前に担当した物件なんだよ。その時にちゃんと祓いきれてなかったんだ」
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