3-5 光明

 どこからか、コォォォ……と、空気のはしるような音が鳴り始めた。

 続いて、スコン!と硬くて軽いものの落ちる音。


「なっ……何?」


 見れば、玄関横の会計口のエアシューターにカプセルが届いている。どことなく卑猥な形状をしたものだ。

 中には、ライムグリーンのタバコのソフトケースが無理やり詰め込まれていた。


 スマホがLIMEメッセージの受信を告げる。


【★あんご★】タバコ届きました??


 いや、ちょっと、箱潰れてるんだけど。この装置を使ってみたかったんだろうけど、まったくどこまで能天気なのか。もっと緊張感を持ってほしい。


無量むりょう】届いたよ。ありがとう!


 せっかくなので一本を咥えて、火を点ける。

 スマホで調べ物の途中だった。

 このラブホ街で、過去に事件はなかったかと。

 しかしどれだけ遡って検索しても、ゼロ年代後半くらいまでのネットニュースが限度だ。さて、どうしようか。


 十二時半ごろ。有瀬ありせくんが昼食を運んできた。


「チャーハン作りましたー!」


 まだ湯気の立つ山盛りチャーハンは、ごはん一粒一粒が卵でコーティングされていた。レタスに細切れのチャーシューが程よく混ざり、紅生姜まで添えられていて、彩りも鮮やかだ。

 また二人してソファで肩を並べ、揃って両手を合わせる。


「いただきます」


 一口食べると、胡椒の風味がふわっと拡がる。塩気とごはんの甘み、生姜の酸味、肉の旨みのバランスがいい。


「んー美味しい。すごいパラパラだし、お店のやつみたい」

「あざっす! 実はチャーハンが一番得意なんすよね」

「料理人目指したら?」

「いやー俺、身近な人と一緒にメシ食うのが好きなだけなんで。好きな時に好きに作るのが自由でいいでしょ」


 私は身近な人にカウントされているのか。


「自由と言えば。さっきちょっと暇あったんで、ホテルん中を探検してきたんすよ。そしたらなんか、想像以上にニューリゾートでしたね」

「どういうこと?」

「センスがやべえ。特にこの真下の部屋っすよ。壁だけじゃなくて、天井も全面ガチな鏡張りで」

「天井も?」


 ベッドの真上にあるのは分かるけど、全面となると部屋じゅうのありとあらゆるところにいろんな角度で自分たちの姿が映り込みそうだ。


「まぁ……ヘキの人もいるんじゃない?」

「えー、なんか俺、逆に萎えそう。自分のそういう姿がモロ見えなわけでしょ」

「それも真実の姿ではあると思うけどね。見たくないものまで見えちゃうし、見られたくないものまで見られちゃうかもね」


 有瀬くんが食事の手を止め、ハッとした表情をする。


「今ちょっと良さが分かったかもしんない」

「どんな想像をしたのかは訊かないでおく」


 それにしても。


「鏡ね……」


 思い当たることがないわけではないけど、今すぐはっきり繋がる手がかりがあるわけでもない。

 何にしても、昼間では心霊の動きも掴みづらいだろう。時間は有効活用した方がいい。


「有瀬くん、ちょっと付き合ってほしいことがあるんだけど、いいかな」

「えっ……⁈」



「付き合うって、図書館すかー」

「うん、調べ物」


 私たちは市立図書館に来ていた。

 平日の昼下がりの時間帯、図書館を訪れる人は少ないらしい。子連れの主婦や学生らしき人がちらほらいるくらいだ。

 二席しかないデータベースコーナーも空いていた。ここでは、過去の新聞記事を検索・閲覧することができる。私たちは利用申し込みを行い、悠々とそこを陣取った。


「地方紙を中心に、あのホテル周辺の事件を探して。ネットニュースで拾えない時代のをメインで」

「途方もなくないすか。なんかもうちょい手がかり的なやつ」

「うーん。相手の男、半袖シャツから腕が見えた」

「半袖着る季節ってことか。あのホテルができた三十五年前から?」

「いや、それより前から。あのホテルに限らず、エリア全体ね。ラブホ街ができたのは、高速インターが作られた後だ。それがおよそ四十五年前」


 つまり四十五年前から後の記事を探せばいいことになる。

 二人で手分けして、いくつものキーワードを試しつつ、記事を浚っていく。

 しばらく互いに無言の作業が続く。途方もないことに違いはなかった。

 早々に飽きてきたらしい有瀬くんが、椅子の背もたれに身を預けて言った。


「前から不思議だったんすけどー、高速インターの近くってー、ラブホ街ありがちじゃないすかー。なんでー?」

「風営法の建設規制らしいよ。ラブホは住宅街に建てられないことになってるみたいなんだけど、高速道路沿いはその規制がないんだって。それにインター付近は車の走行音が騒音になる。ラブホだったら利用者もそんなの気にしないでしょ。だからインター近くにラブホが建ちやすい」

「なるほどー」


 作業再開。

 カチカチ鳴るクリック音。寒すぎず暑すぎずちょうどいい室温。終わりの見えない検索。私とてだんだん目が霞んできた。

 館内にあるカフェで一服しつつ、作業に戻る。

 時間経過の感覚も分からなくなってきたころ、不意に有瀬くんが、あ、と声を上げた。


「これは? 『ホテル建設中に鉄筋落下』。負傷者が二名。三十六年前の五月っすね。あーでもこれ、事件じゃなくて事故か」

「ちょっと見せて」


 有瀬くんのモニターに寄り、記載された住所を確認する。


「……この場所、ニューリゾートの住所だね」

「えっ、そうなの?」

「建設中に事故か……ちょっと待って」


 事故の日から記事をじりじり遡っていく。

 やがて、見つけた。


「『男女二名 車内で無理心中か』。同じ場所だ。三十七年前の九月。『空き地に不審な乗用車が駐まっているのを、近くのホテルの所有者が発見し通報。車内から男女の遺体が見つかった。警察は二人が無理心中を図ったとして調査を進めている』」


 関連記事を追う。

 男性の上半身には複数の刺し傷。女性の頚部には絞められたような痕と左手首に切り傷。二人とも出血多量による失血死と断定されていた。


「男も女も、二人とも死んでるんだ。ホテルが建つ前に、あの場所で、車の中で」

「たぶん私の視た念はこれだな。首絞められた後で逆に女が男を刺し殺して、自分も手首を切って自殺したってことか」

「それ、無理心中って言う? 殺し合いじゃね?」

「経緯までは分からないけど。その後のホテル建設中の鉄筋落下事故も、霊障が関係してるのかも」

「そんなことあるんすか」


 私は脚を組み替え、姿勢を崩す。


「これは過去に実際にあった事例なんだけどね。あるコインパーキングで、車を駐めて練炭自殺を図った人がいた。その後、駐車場を潰して、マンションを建てることになった。すると建設中に三回も鉄骨や足場が落下する重大事故が起きて、そのたびに工事がストップした。亡くなった作業員もいたみたい」

「えー、建物なくても事故物件になっちゃうんすね」

「『物件』って土地も含む言葉だからね。負の念が場に残って、人や物に悪影響を与える。でもその物件、上物が完成したら、おかしな現象は起きなくなったみたい。蓋になったのかもね」


 今回の案件も、この現象に近い気がする。


「時系列順にすると、三十七年前に無理心中?のあった場所で、その翌年に建設作業中の事故があり、そして十年前から同じ部屋で三件の殺人事件が起きている、と」


 有瀬くんが首を傾げる。


「なんで十年前から急に事件が起き始めたの? それまで何もなかったんでしょ?」


 しばしの静寂。


「ね、ほんとにね。結局501号室ばっかで起きてる理由も不明のままだし」


 二人揃って唸る。

 ちらとモニターの時刻表示に目をやれば、既に午後六時過ぎだった。実に三時間半もここにいたらしい。


「ひとまず欲しい情報は手に入れたから、ごはん食べて帰ろうか」



「やべえ、ぜんぜん分かんねえ」

「ちょっと難しすぎるね、これ」


 図書館に引き続き、私たちは頭を悩ませていた。

 ここは国道沿いにあるリーズナブルなイタリアンのチェーン店。

 テーブルの上にあるのは、カラフルなイラストの間違い探し。キッズメニューの表紙に載っているものだからと、完全に甘く見ていた。


「あと三つだっけ」

「四つじゃね?」

「そんなにある? 検索していい?」

「諦めたらそこで試合終了っすよー」

「何の試合なの」


 結局全ての間違いを探しきれないうちに料理が届いてしまい、私たちは挑戦を諦めた。今日はいろいろと調子が悪い。

 私はタラコソースのスパゲティ。有瀬くんはミラノ風ドリアとソーセージピザとイカスミスパゲティ。彼は「どうせなら自分で作らないものを食べたい」と、イカスミを選んだ。


「謎を残したままってのは、すっきりしないね」

「やっぱネタバレ見ちゃいますか」

「間違い探しの話じゃなくて。なぜ十年前から事件が起きるようになったのか」

「あーね。なんかきっかけでもあったんすかね。怨霊が活性化しちゃうような」


 タラコの塩気とアルデンテの歯応え。値段の割にはまずまずだ。咀嚼しながら考える。


「一件目は霊障じゃなくて、やっぱり純粋に痴情の縺れからの殺人事件だったとか。それで連動して過去の念も強まった……いや、でも、女が男を力ずくで絞め殺してるわけだもんな……三件とも水回りで起きてるってのも気になるんだよね……」


 私がぶつぶつ言っているうちに、有瀬くんはピザとスパゲティを平らげていた。ドリアの最後の一口を飲み込んでから、他人事みたいに言う。


「つーかほんと、オーナーさんも気の毒っすよねー。最初の事件があったのも、リフォーム直後だったわけでしょ? いくら告知義務ないからって、ちゃんとお祓いとかしたら良かったのに」

「え?」

「え?」

「今、何て?」

「えっ、ちゃんとお祓いしたら良かった……」

「違う、その前」

「告知義務?」

「もっと前」


 有瀬くんがぱちぱち瞬きする。


「……リフォーム直後だった?」

「それだ」


 確信に近かった。


「あのホテル、リフォームした後に事件が起きたんだ」

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