第30話 ケルベロスとの戦い

 イヨはカンナを抱えてダンジョン内を走っていた。スタングレネードの閃光を、カンナはまともに見てしまったが、イヨは咄嗟に目を閉じる事が出来た。同時に響いたカン高い音のせいで未だ耳鳴りは止んでいないが、何も見えないまま男達に拘束される事態は辛うじて回避できた。


 何が起きたか確認するよりも早く、横にいたカンナを抱きかかえて窓を蹴破りプレハブ小屋から飛び出したのである。そのままダンジョンの出口に向かいたいのは山々であったが、出口方向の道は残り二人の男が塞いでいたため、やむ無くダンジョンの奥へ奥へと逃げざるを得なかった。


「……イヨさん、もう平気」


 数分間、全力疾走して少し丘になっている場所で一度呼吸を整えるために足を止めると、カンナが抱かれた状態でイヨの背を叩く。カンナの顔を見るとまだ痛そうにしてはいるが、なんとか薄く目を開けて周囲を見回していた。


「じゃあ降ろすね」


「うん、ありがと。……追って来てるかな」


「多分。走れる?」


「うん」


 なんとか迂回してダンジョンの出口に向かいたいところだが、残念ながら必死に逃げてきた事もあり自分達が今どこに居るのかが分からなくなっている。ここは少し小高い地形になっているが、周りを見ても出口の方向に見当もつかなかった。


「ここで息を潜めてたらやり過ごせないかな?」


「なんとなくだけど、一箇所にとどまるのは良くない気がする」


「カンナさんの直感がそう告げるなら、動いてみようか」


 来た方向と逆に向かって走り出すイヨとカンナ。イヨとしては状況を整理する時間が欲しかったが、走りながらやるしか無さそうだ。


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「……また動き出した」


 ケルベロスの3人は、冷静にカンナ達を追いかけていた。最初の奇襲で二人を戦闘不能にしてモンスターに処理を任せられれば言う事なしであったが、こうやって逃げられても慌てていなかった。


「なかなか優秀だな」


「久しぶりに俺が直々にやるか」


「ここは獣型のモンスターが少ないからお前の『獣化』スキルを使ったら傷が目立っちまうだろうが。俺がやるよ」


「お前のスキルこそ証拠が残るだろう?」


「死体をモンスターの群れに放り込んでおけば良い。明らかに身体中に傷があれば、わざわざ検死までしないだろう」


「……まあそういう事にしといてやるか」


「どっちでも構わんが、取り逃す事だけはするなよ。全員顔を見られてるんだ」


 先導していた男が二人に釘を刺した。


「それは大丈夫だ。この先の地形は事前に調査済み、どう進んでも最後には袋小路の広間に行き着く事になっているからな」


「うっかり見落とさなければ逃す事もないということか。そこについては俺のスキルに任せてくれ。マーキングした対象までの方向と距離は絶対に見失わないからな。……今はそっちの方向に300mの距離にいる」


「よし、行こう。慎重にな」


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「あの人たち、何が目的だと思う?」


 とにかく足を動かしながらも状況整理をするカンナとイヨ。


「カンナさんなのは間違いないよね。札幌支部長も「もしかすると過激な輩が湧いてくるかもしれない」って言ってたし、ホントにあんなのが来るなんて半信半疑だったけど」


「企業に拉致とかするつもりかな……?」


「言いたく無いけど「協力させられないなら殺してしまえホトトギス」じゃないかなあ」


「信長より物騒だよ!」


「ふふ、ツッコミ入れられる程度には、まだ心に余裕ありかな。誘拐か殺人か、どっちか分からないけど、向こうが殺す気で襲って来てる前提で構えておいた方が良いとは思う」


「どうしたらいいかな?」


「なんとかユズキさん、フユちゃん先輩と合流できれば良いんだけど、連絡のしようもないんだよね。最悪戦闘になるかもしれない……カンナさん、通信機ある?」


 カンナは顔を横に振って両手でお手上げのポーズを作った。ダンジョン内で外に連絡を取るには通常のスマホではなく専用の通信機が必要だが、無我夢中でプレハブ小屋を飛び出して来たカンナ達はお互いに手ぶらだった。


「ごめんね、咄嗟の事だったし」


「あの状況では仕方ないね。……戦闘服のポケットに都合よく入ってないかな」


「うーん、古いカメラならポケットに入ってたんだけど」


「あ、それは一応起動しておこうか。……武器も無いよね?」


「剣も短剣もプレハブ小屋の中だね」


 戦う事になったとしたら、厳しい事になりそうだ。


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「動かなくなったな。この先100mのところだ」


「ああ、例の袋小路の広間がそこだな。行ってくる」


「お前のスキルは俺たちまで巻き添えになるからな。ここで待っているからさっさとやって来てくれ」


 リーダーと探知役に親指を立てて見せ、男は一人で広間に向かった。


 広間に入ると奥に二人が固まっていた。こちらを警戒しており、隙の無い構えは流石に探索者としてある程度以上の実力がある事を示しているが……。


(この状況は好都合だ)


 男は心の中でほくそ笑んだ。自分のスキルはこういう状況でこそ最大限に効果を発揮する。


 お互いに睨みを利かせながらジリジリと距離を詰めていく。


「……あなたたち、何が目的なの?」


 カンナが男に問いかける。男としては答える義理は無いが、都合よく時間が稼げそうなので少しだけ相手をする。勿論、話に集中して油断するようなヘマはしない。


「個人的な恨みはないんだが、あんたのスキル広域化が存在すると都合が悪い連中が世の中にはごまんと居るらしいからな」


「その言い分だと、誰かから依頼されて来たってこと?」


 イヨが問いかけると、男はしまったと言わんばかりに肩をすくめた。


「鋭いな。だが残念ながら依頼者の名前は明かせない。それに、知ったところであんた達には意味が無いわけだしな」


「やっぱり私を殺すつもり!?」


、だ。依頼は『広域化』使いだけだったが、アンタにも顔を見られちまったからな。抵抗しなければ楽に殺してやれる。こう、ポキッとな」


 手でボールを捻るようなジェスチャーをしてやる。カンナはひっと一瞬、青い顔になったがすぐに男を睨み返した。


「そう簡単にやられてたまるかっ……」


「カンナさん、やるしか無いね」


 袋小路のになった地形に追い詰められた上、相手は自分達を殺すと宣言した。だからって自分達も相手を殺していいとはならないが、このままやられるわけにはいかない。精一杯抵抗する覚悟を決めるカンナとイヨ。


「おいおい、2対1か?」


 そう言いつつも男は余裕を崩さない。自分の実力に圧倒的な自信を持っているからだ。ケルベロスの3人は事前準備として柚子缶の探索配信動画を一通りチェックしている。彼女達は年齢のわりに高い実力を持っている事は認めるが、それでも自分達の方が戦力は上だと分析した。


 柚子缶の中で特に注意すべきはリーダーの天蔵あまくらユズキで、『一点集中』と『身体強化』を合わせた動きは流石に正面から戦ってなんとかなるとは思えず、ユズキとカンナがペアで居た場合は正面からの戦いは避けるべきだと考えて居た。

 次点が八鏡やかがみマフユの『氷魔法』で、『広域化』と合わせた時の高威力・広範囲の面を制圧する攻撃は自分達と相性が悪いと感じおり、これも奇襲で片をつけたい相手であった。


 だがそこまでだ。残る高原イヨのスキルは凡庸な『剣術』と『短剣術』ついでに『格闘術』程度で、3つのスキルを持っている事については要警戒だが一つ一つは「武器の扱いが上手くなる」程度のスキルだ。さらに今は武器を持って居ない。勿論プレハブ小屋に置き去りにされた彼女達の荷物の中に武器もしまってあった事は確認済みである。


 日出カンナについては『広域化』が厄介なだけで戦闘能力はまるで問題にならない。本人も『剣術』『短剣術』『格闘術』のスキルを持っているようだが、ユズキの『一点集中』『身体強化』と合わせて使わない限りは脅威になり得ない。


(そういう意味では、この二人のペアだったのは僥倖だな)


 単純な戦闘能力で2対1でも問題無く勝てる相手な上、本命の策まで弄している。負ける事は無いだろう。


「はっ!」

「やぁっ!」


 イヨとカンナが同時に男に飛びかかる。やはり『格闘術』スキルだと冷静に判断。右からイヨの上段蹴りが、左からカンナの足払いが繰り出される。しかしどちらも見てから対応できる程度のキレである。男は落ち着いてイヨの蹴りを防ぎつつ、カンナの足はスウェーバックで躱わす。


 その後も矢継ぎ早にパンチ、キックを繰り出してくる二人だが、全て冷静に見極めて捌いていく。『格闘術』はその名の通り武器を持たずに戦う際に体術が向上するスキルだが、実は型がキレイすぎて対人戦においては動きを非常に読み易い。

 モンスターを相手とする一般的な探索者にとってはさしたる欠点では無いが、時に人を狩る暗殺者、ケルベロスからしたらこんなに御し易い攻撃も無かった。


「はぁ、はぁ、はぁ……。たっ! はぁ!」

「う……りゃあっ!」


 更にイヨとカンナは比較的小柄な女性だ。下手をすれば男の半分程度の体重しかない。『格闘術』スキル相手とはいえ、これだけ体重差があると渾身のパンチもキックもほとんどダメージにならなかった。


「お嬢ちゃん、もう終わりかい?」


 男は懐から取り出したナイフを振り回してカンナ達を牽制する。ナイフによる攻撃を警戒し、これまで以上に攻めあぐねるカンナとイヨ。


(そろそろだ……)


 男は冷静にカンナ達の様子を観察する。思った通り、今のままでも自分の方が強い。だけどそれでも無理に攻める事は無い。万全を期すためにはこのまま牽制しあって、二人が動けなくなったところでトドメを刺せばいい。


「……っ!?」


 それは突然だった。カンナはグラリと大きくふらつくとその場に膝をついてしまう。


「カンナさん!?」


 ここだ。


「――まずは1人」

 

 男はナイフを逆手に持ち替えると一気にギアを上げてカンナに斬りかかる。隙だらけのカンナの背中にナイフを突き立てようと腕を振り上げた瞬間、背後から衝撃が男を襲った。


「がはっ!?」


 トラックに撥ねられたかのような衝撃。一体なんだ? 鞠のように地面を跳ねながら衝撃が来た方に目を向けると、片手をパーにして押し出しもう片方の手でそれを支えて姿勢のイヨが目に入った。


「……衝撃、波……?」


 遠距離攻撃があったのか? 一体どういう……?


 思考を巡らせる男に、また予想外の方向から衝撃が走る。


「えいっ!」


 のカンナが、先程までと変わらない様子で距離を詰めるとそのまま男の金的を思い切り蹴り上げたのだ。


「クァっっっ!?」


 意識の外からの2連撃、しかも2発目は金的への容赦無い蹴り。あまりの痛みに、男はそのまま意識を失った。


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「……あいつ、負けやがった」


 100m先から様子を窺っていた男がリーダーに告げる。


「確かか?」


「ああ。あいつの気配が極端に弱くなって典型的な意識を失ったパターンだ。反対にターゲット達はピンピンしている」


「任せておけと言ったくせに情け無いやつだ」


「『酩酊毒』が効かなかったのか?」


「極端に酒に強いヤツらだったのかもしれんな。もしくは『毒耐性』持ちか」


「『毒耐性』、それか! 高原イヨがそれを持っていて『広域化』されたとしたら2人とも動ける理由に説明がつく」


 なるほど! と手を叩く男に、リーダーはかったるそうに告げる。


耐性スキル自分の弱点を失念して負けてるなら世話ないな。仕方無い、俺が行く」


「あんたのスキルだと外傷を誤魔化せなくないか?」


「トレントにしてはちょっと乱暴になるかもな。なあに、ひき肉になったらお前がその辺に穴でも掘って埋めてくれればいい」


 そこに掘っておいてくれ、と開けた場所を指差すリーダーの言葉に、もう1人の男はブルリと震えて首を縦に振った。ひき肉にするという言葉が比喩では無いことを知っているからだ。


「……毒耐性以外にも切り札を隠し持ってる可能性は残っている。油断するなよ?」


「わかってる。じゃあな」


 去っていくリーダーの背中を見送りながら、残された男は呟く。


「流石にあの2人に同情するな。さっさとやられてくれれば地獄を見ずに済んだものを」


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「カンナさん、ナイス演技!」


「イヨさんこそ即興で『上級格闘術衝撃波』の援護、ありがとう!」


 イヨが腕をまくってスキル進化リングを見せる。念のためカンナと同行するメンバーが日替わりでつけており、これによってイヨのスキルは全て1段階効果が上昇していた。


 男に放った衝撃波は『上級格闘術』で使える技で、掌から魔力の塊を打ち出せる技だ。燃費が悪く連発は出来ないし、構えを取ると何をするつもりなのかバレバレになるためここぞという時や相手の不意をついて使う必要があるが、威力は先ほどの通り折り紙付きである。


 またイヨが元々持っていた『毒耐性』も『上級毒耐性』に進化しており、これはもともとの「毒が効かなくなる」という効果に加えて「防いでいる毒の種類が分かる」というものであった。


 札幌ダンジョンに主に生息するトレントには一部、毒を持つものがいる。襲撃者から逃げている最中にそういったトレントに遭遇する可能性を考慮してイヨの『上級毒耐性』を自分に広域化していたカンナも、この広場に男が入ってきたタイミングで『酩酊毒』――まるで酒に酔っぱらったかのように酩酊する毒――が辺りに充満し始めた事に気付いていた。


 その後の戦いで男の狙いが2人を毒で動けなくする事だと気付いたカンナは咄嗟に毒が効いた振りをしたのだ。好機と見て襲いかかった男にイヨが必殺の衝撃波をお見舞いするという即席のコンビネーションが上手くいったのは、やはり日頃のダンジョン内での訓練の賜物である。


「魔力は平気?」


「うん、問題無い。勢いに乗ってこのまま脱出と行きたいところだけど……」


 広場の入り口を見ると、最初にプレハブ小屋を襲った男が立っていた。


「本当にそいつを倒したのか、やるな」


 この男とも戦わないとならないのか。カンナとイヨに緊張が走る。


「久しぶりに本気を出すかね……『獣化』」


 男がスキルを発動すると、身体中の筋肉が盛り上がる。目は紅く光り、手には長く鋭い爪が生える。口元には巨大な牙を生やし、全身を黒い毛が覆った。まるで羆の獰猛な部分だけを強調したような姿だとカンナは感じた。


「っ! カンナさん、『上級格闘術』をっ!」


 イヨが咄嗟に『広域化』するスキルを支持する。


「……行くぞ」


 文字通り獣と化した男はその巨体からは想像も出来ない速さでカンナとイヨに襲いかかった。

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