第31話 VS ユニークスキル『獣化』

 プレハブ小屋に到着したユズキとマフユはその戸がひしゃげて窓が内側から割られている様子から、カンナとイヨが襲撃に遭ったことを理解した。


「カンナ!?」


 慌ててプレハブ小屋に飛び込んだが、当然彼女達の姿は無い。2人のリュックの中身が乱暴に床に散乱していることから、取るものもとりあえず外に飛び出した事がわかる。


「マフユ、どうしよう!?」


「ユズキちゃん、とりあえず落ち着こう」


 取り乱し、すぐにでも2人を探しに行こうとするユズキの肩をガッチリと掴んで固定するマフユ。


「闇雲に飛び出してもどうしようも無いよ。落ち着いて状況を整理してから動かないと」


 そう言いつつ、床に転がっていた通信端末を拾ったマフユは「札幌支部に連絡するね」と言ってユズキに背を向ける。


 ユズキは落ち着いて周囲を観察する。戸が外から壊されて窓が内側から壊されているということは、何者かが戸を壊してプレハブ小屋に乱入してカンナたちは咄嗟に窓を蹴破って逃げ出したのだと判断できる。……もちろん、そうで無い可能性だってあると頭をよぎるが今は悪い想像をしないようにとユズキは頭を振る。


 そのまま襲撃者はカンナ達の鞄を軽く物色しているが、財布や高価な通信機などには手を出していない。つまり物取りではなくカンナとイヨ……おそらくカンナが狙いだった?


 襲撃の痕跡を処分せずに追いかけているということは少人数か? 組織的な拉致では無いと思われるが、果たしてそう決めつけて良いものか。


「だめだ、頭が回らない」


 ユズキは一度大きく深呼吸。落ち着け、焦っても仕方ないだろうと自分に言い聞かせる。そこに通信機をスピーカーにしたままマフユが戻ってきた。


「いま、天蔵と合流しました」


「マフユ?」


― ユズキ君、そこにいるね? マフユ君から様子は聞いた。おそらくカンナ君達は何者かに襲撃され、今も逃走中だ。


 スピーカーからは札幌支部長の声が聞こえる。マフユが通信機で札幌支部に連絡すると直ぐに支部長に代わってくれたとのことだ。


「どうして、」


 今も逃走中だとわかるのか、ユズキがそれを聞く前に支部長が次の言葉を紡ぐ。


― そこで柚子缶の配信動画は見られるかね?


 マフユが散乱している荷物から配信を確認するための専用端末を探し出した。スイッチを入れると小型のモニターに映像が映る。画面は激しく揺れているだけの映像だが、小さくリズミカルな吐息が聞こえる。どうやら胸ポケットにカメラをセットして走っているようだ。


「これは、カンナ!?」


 小さく聞こえるはぁはぁという吐息は、聞き慣れた声であった。


― 視聴者によると、10分ほど前に唐突に配信が始まったらしい。最初にカンナ君とイヨ君が何者かに襲われて、逃げているところだから札幌支部とユズキ君たちに伝えてほしいと言って、その後はずっと走っているとの事だ。


「マフユ、こっちからカンナ達にメッセージは送れる!?」


「無理。これはカンナちゃんが昔使ってた最低限の機能しかない配信専用の安いカメラだと思う」


― 救援に向かいたいが、この映像だけでは場所が特定出来ない。プレハブ小屋から反対方向に向かっているとは想像できるが……何か目印になりそうな映像が映らないか支部側でも確認を始めたところだ。あと、今から『気配察知』に優れた者をプレハブに向かわせる。歯痒い気持ちは分かるが、その者の到着を待っていてくれ。


「……わかりました」


 ユズキは頷いた。広いダンジョン、闇雲に飛び出して探しては見つかるものも見つからない。グッと拳を握り、唇を噛み締めて今直ぐにでもカンナを探しに行きたい気持ちを抑える。


― ユズキ君、すまない。警戒はしていたがこうも容易く襲撃されるとは……。


「いまは、カンナ達を無事に助ける事が先決です」


 支部長に当たっても仕方が無い。それは理解しているが、どうしても口調は険しくなってしまう。


― ……そうだな。何かわかったら直ぐに連絡する。


 支部長が最後にそう告げると通信が切れた。


「ユズキちゃん」


「マフユ……大丈夫、私は冷静だから」


「うん。だけどおまじない」


 そういうとマフユはユズキの頭にポン、と手を置いた。心なしかひんやりとした空気が頭頂部付近広がっている気がする。


「頭を冷やせ、なんて慣用句であって物理的に冷やしてどうするんだって話だけどね。不思議とこれをやると落ち着いて物事を考えられるようになるんだよ。妖精譚の頃もピンチになると良くハルヒさんやお姉にやってたの」


 ほら、あの2人ってすぐカッカするじゃない? と言って笑うマフユ。ハルヒとナツキが熱くなってマフユに文字通り頭を冷やされる様子を想像して、ユズキも少しだけ笑った。


「ありがとう、マフユ」


「うん、じゃあ私達は応援を待ちつつ2人を見守ろう」


 配信確認用の端末をテーブルに置いて、マフユがイスをポンと叩いた。ユズキはそこに座ってカンナの配信を食い入るように見つめる。


「カンナ、待っててね。……必ず助けるから」


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 その後15分ほど走り続けて袋小路に追い込まれたカンナとイヨ。ほどなく現れた男と対峙し、交わした会話……明確に彼女達を殺そうとしている事と、それを依頼した人間がいるであろう事は配信を通してユズキ達、札幌支部および探索者協会、そして多くの視聴者に伝わる事になる。


 カンナが雑に胸ポケットに放り込んだだけのカメラで生配信をしているとは、慎重なケルベルロス達も気が付かなかったのである。


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 そして現れた2人目。『獣化』スキルによりまるで獰猛な羆のように変身した――羆男は、その巨体からは想像も出来ない速さでカンナとイヨに迫る。


「カンナさん、『上級格闘術』をっ!」


 咄嗟に叫んだイヨの声に半ば無意識に反応してイヨの『上級格闘術』を自分に『広域化』したカンナ。


 鋭い爪による一閃を辛うじて身を捩って躱わす。その速さは、柚子缶の十八番である『広域化一点集中身体強化』には及ばないものの、それでも十分に人間離れした、まさに野生の獣を彷彿とさせる力強さと瞬発力だった。事実、『獣化』スキルで変身した男の初撃を躱せる探索者はこれまでにも数える程しか居なかった。殆どの者は何が起きたかすら分からず一撃で命を刈り取られてきたのだ。


 カンナが羆男の攻撃を避けることができたのは、日々ユズキと高速で動いているため動体視力が鍛えられていたことと『上級格闘術』によって攻撃の軌道を高い精度で先読みできたからである。


 しかし長くは続かない。次の攻撃を避けられる自信も余裕も無かった。カンナは羆男から大きく距離をとるようにバックステップするが、羆男は執拗にその距離を詰めてくる。


「くっ!」


 顔面を狙って繰り出された爪による突きを今度は皮一枚で避けると、伸び切った腕を掴みそこを支点にしてまるで鉄棒のようにクルリと周りつつ羆男の背後に回った。『上級格闘術』は身体強化こそされないが、魔力を衝撃波として打ち出す以外にも今のようなアクロバティックな動きを即興で実行できるようにもなるというスキルである。

 羆男の背後に回ったカンナはすれ違いざまに後頭部に踵をお見舞いする。しかし硬い毛皮に阻まれてその衝撃はほとんど殺されてしまう。この一撃でカンナは悟る。


(武器が無いと、攻撃が通らないっ!)


 厚くて硬い毛皮、その下の皮膚も丈夫なゴムのように柔軟で弾力がある。これは格闘ではまともなダメージを与えられないと判断した。


 羆男はぐるりと振り返り、改めてカンナに狙いを定める。


 ドンッ!!


 そんな羆男を横から衝撃波が吹っ飛ばした。


「はぁ、はぁ……どうだ!?」


 イヨが手加減無しの全力の衝撃波を叩き込んだのだ。燃費の悪いスキルを最大火力で叩き込んだ事により、魔力をほとんど消費してガス欠に陥るイヨ。しかし自分たちの持つカードではこれ以上の威力を出す方法が無いと判断したためここで切り札を切らざるを得なかった。


 頼むから起き上がらないでくれっ……! そんな祈りを込めて羆男を見るイヨとカンナ。しかし羆男はその場でゆっくりと立ち上がる。


「このっ……!」


「イヨさん、それ以上は、」


 追撃の衝撃波を撃つ構えをとるイヨ。ガス欠状態で無理矢理魔力を使おうとすると精神に強い負担がかかり最悪命に関わるため、慌てて制止しようとカンナが声を掛ける。


「カアッッ!!」


 そんな2人に羆男を両腕を突き出して衝撃波を打ち出す。咄嗟にイヨがカンナを突き飛ばした。イヨに押されて尻餅をついたカンナの目の前を一瞬遅れて衝撃波が通り過ぎる。まともに喰らったイヨはそのまま10m以上後ろに吹っ飛ばされる。


「イヨさんっ!!」


 そのまま地面に転がったイヨに思わず駆け出そうとする足を押さえ、羆男の方を振り返るカンナ。


「……さっきの体術と衝撃波は『上級格闘術』だな。少し驚いたが、俺の『獣化』ユニークスキルはその程度で御せる代物じゃない。衝撃波くらい、俺だって撃てるしな。さて、次はどうする?」


 カンナはイヨの『上級格闘術』が広域化出来なくなった事で彼女が意識を失った事を理解した。もう手持ちのスキルだけでなんとかするしか無い。


「……それでも、私は諦めない……」


 カンナは小さく呟くと羆男に対峙する。羆男はニヤリと顔を歪ませると再びカンナに向かって飛び込んできた。


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「イヨ!」


 モニターで様子を観戦していたユズキとマフユ。吹っ飛ばされたイヨを見てユズキが慌てた声をあげる。


「……生きてる事を祈るしか無い、ね」


 マフユは自分に言い聞かせるように呟く。彼女もユズキと同様、今にも飛び出していきたい気持ちを必死に抑え込んでいるのだ。


 モニターには物凄い速さでカンナに迫る羆のような姿に変身した男と、その攻撃を必死で躱し続けるとカンナが映されている。


「カンナっ!」


 カンナは今、『格闘術』による体術の底上げのみでその猛攻を避け続けていた。まともに喰らえば彼女の華奢な身体は一撃で破壊されてしまうであろう攻撃の雨霰を紙一重で避けている。それは既に奇跡に等しい所業。研ぎ澄まされた集中力と諦めない意志だけが、彼女を生かしている。


 

 

 だがそれも長く続かないであろう事は明らかだ。羆男のラッシュは止む事なく続き、体力を削られたカンナの身体には徐々に小さな傷が付いていく。紙一重の回避がほんの少しずつ間に合わなくなり、皮膚が切れ、肉が裂け始めている。それでもカンナは諦めず、この局面を打開するための思考をしながら攻撃を避け続ける。


(諦めるな。コイツを倒すために、思考を止めたらダメ。攻撃は反射神経だけで避ければいい。何をすれば、どうすれば……。)


 カンナの眼から光は消えて居ない。


 


 それはモニター越しにカンナを見守るユズキも同じだ。ここでただ待つだけでは無く、何か……何か自分にできる事はないか。カンナのために。イヨのために。


「何か無いか、この状況……カンナのために、私が出来ること……。何をすれば、どうすれば……」


 ブツブツと呟きながら必死で可能性を模索するユズキ。



(あっ!)

「あっ!」


 

 全く同じ瞬間、カンナとユズキは同じ可能性に辿り着く。そしてお互いに確信する。


 ユズキはその場で『身体強化』を全力で発動する。


「ユズキちゃん!?」


 マフユはユズキがそのまま飛び出すのかと慌てて彼女の肩に手を置いた。しかしユズキは『身体強化』をしたままモニターを凝視し続ける。




 遂に羆男の攻撃がカンナを捉えた。左右のコンビネーションからの回し蹴りを躱しきる事が出来ず、カンナは腕を掲げてガードする。バキィッ! と嫌な音がガードした腕から鳴ったかと思うとそのまま思い切り吹っ飛ばされたカンナ。痛みを気にする間も無く、さらに羆男の追撃の構えを見せる。


 思い切り蹴り飛ばされたため、図らずも羆男と距離をとる事が出来た。とはいえ精々10m。相手は一呼吸で飛び込んできてカンナに迫りトドメを刺そうとするだろう。


 だけど逆に言えば一呼吸だけ、時間が出来た。1秒にも満たない時間の中でカンナは敢えて目を閉じ集中力を極限まで高める。思い出すのはユズキの笑顔。


(ユズキ――信じてる。)


 感じろ、ユズキ愛する人の存在を、鼓動を、その体温魔力を――。




「諦めたかあっ!!」


 思った以上に粘ったが、これで終わりだ。右腕と共に希望もさっきの蹴りで砕いたのだろう、ついに目を閉じ立ち尽くしたカンナに、羆男はトドメを刺そうと踊りかかる。


 鋭い爪による必殺の突きをカンナの顔面に叩き込む。


 その爪がカンナの綺麗な顔を貫くまさにその刹那、カンナは目を開いた。


 次の瞬間、羆男の目に入ったのはダンジョンの天井である。


「――は?」


 慌てて。起こす? 倒れて居たのか? 自分が?


 混乱しつつ前を向き直った男の眼前にはカンナの追撃のドロップキックが迫っていた。


「ぐぁっ!」


 顔面でモロに蹴りを受けてしまい再び地面を転がる男。容赦のないカンナの追撃をゴロゴロとみっともなく地面を転がりながら避けつつ、どうにか距離を取り立ち上がり、改めてカンナを睨む。


(そうだ、コイツっ……!)


 数秒前の事を思い出す。トドメを刺そうとした瞬間、カッと目を開いたカンナは、そのまま自分にカウンターを叩き込んできたのだ。だが驚愕すべきは反撃された事ではない。


(俺より速いだと?)


 そう、目の前の女は、『獣化』で身体能力が人間の限界を超えて強化されているはず自分を上回る速度で反応し、動いている。


(これは、間違いない。)


 事前に柚子缶の動画をチェックした時に要注意としていた彼女達の必殺技――『広域化一点集中身体強化』――を、カンナはいま確かに発動していた。

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