第8話 D3の事情
「D3はエリカに何か言ってきたりしてないの?」
マフユが質問する。
「向かい合っての話はリーダーがしたからなぁ。最後の魔石を買い取ってもらうときに雇用の話は無しだって言われて今後は取引しないって三行半を突き付けられた事と、担当者に嫌味も言われたみたいだけどそれ以上に何かされたりって事は今のところ無いわね。」
「エリカって個人で見ても有能な探索者だと思うんだけど、D3から個人的な勧誘とかはなかったの?」
「そう言ってくれるのは嬉しいけど私ぐらいの実力なら企業にはボロボロいるからね。わざわざ損害を与えたパーティに属していた人間を雇わないんじゃないかな。」
「損害を与えたと言えば、やっぱり私たちもD3に喧嘩を売った形になっちゃってるんですかね?」
ユズキがエリカに問いかける。
「そりゃあプライベートダンジョン化の計画までしてた鎌倉ダンジョンを消失させちゃったわけだからねえ……参考までに私達が1年間でD3に売ってた魔石って大体50億円分くらいよ。ミスリルゴーレムの魔石は除外してね。」
ミスリルゴーレムはそもそも「持って来れるものなら持ってくれば良いよ」というスタンスで、企業として本当に必要な時はD3に所属している探索者と共同攻略という形になるからカマクラバクフとしては美味しく無かったらしい。
「そんなに売り上げてたんですか!? 儲かってたんですね。」
「さっきも言ったけどそんな値段で買ってもらえるようになったのはここ2〜3年で、それまではずっと買い叩かれたんだからね。とはいえ協会に売るよりは高く買って貰ってたけど。10年近く取引して信頼関係を築いてやっと今の値段で買ってもらえるようになったのよ。」
「カマクラバクフの皆さんは億万長者だったんですね……。」
「あくまでパーティ資金としてプールされてるから個人の貯金はそこまででは無いわよ。……それでも数億円はあるけど、それはあなた達も同じでしょ? パーティ資金を個人資産に分配すると半分以上税金で持っていかれるから、どうするかっていうのも今後悩ましいところね。」
「節税は色々と考えますよね。」
ユズキは苦笑いしつつ答える。……20代で数億円の資産を形成できる探索者はひと握りである。つまりカマクラバクフもまた成功者ではあったという事だ。そんな者であってもただ一度の不運、選択ミス、どうしようもない理不尽で命を落としかねないのが探索者という稼業である。
「それでD3がどれだけの恨みを持っているかって話だけど、会社全体としては別に大した事ないと思うわ。さっき言った通り、あのダンジョンで取れる魔石は年間50億円分ぐらい。そこからの利益をかなり高めに見積もって10%としたって、5億円の利益なんてあの会社からすれば気にならない金額だとは思う。ただ……。」
「直接的に被害を被った人はそうでは無い、ですね。」
「ええ。プライベート化しようと動いていた人達やその責任者は何かしら社内でペナルティがあったかもしれない。そんな人たちが個人的に恨みを持ってる可能性はあるかもね。」
なるほど、と頷くユズキ。
「でもボスを初見で撃破しちゃうような実力だとそれこそあなた達に対して勧誘が山のようにくるんじゃないの?」
「今のところはまだ、ですね。来てもフリーの立場を捨てるつもりもないんですけど。」
「そうなんだ。まあその辺りはパーティ毎のスタンスの違いだからやりたいようにやれば良いと思うけど……大手からの誘いを断ると、今度はそれが妨害に変わるから注意した方が良いわよ。」
「はい。そうなっても大丈夫なように色々と準備しているって感じです。」
とりあえずD3は要警戒、ということでそれが分かっただけでも有意義な話し合いであった。
エリカと別れ、家路につく。カンナは助手席から運転するユズキの横顔を見ながら、今日の話を思い出していた。企業の話もためになったけれど、それよりもエリカが既に前をしっかりと向いて次の一歩を踏み出している事に驚ろいていた。思えばイヨとマフユも妖精譚が解散してもすぐに柚子缶に来てくれたし、ハルヒ達だって明るく引退して行った。ユズキだって以前のパーティから追放されたあとすぐにカンナと組んで柚子缶を結成してくれたことを思えば、誰もその場で過去を振り返ったりして無い。私の周りのお姉さん達はみんな前向きになれて凄いなとカンナは思う。それと同時に、もしも柚子缶が無くなったら私はこんな風に前向きになれるのだろうか? ふと、そんな事を考えてしまった。
「カンナ、どうしたの?」
視線に気付いたユズキが優しく声をかけてくれる。
「ううん、何でもない。……いや、何でも無くもないかなぁ。ねえユズキ、頑張って柚子缶を守ろうね。」
「ん? 今さら決意表明?」
「うん、そう。改めて頑張ろうって思ったから。」
そう言ってカンナは笑って見せた。私も周りのお姉さん達に負けない強さを持ちたい。柚子缶は私が……私達が守らないと。
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4月からの人事を受けた男は肩を落とす。薄々予感していた事が現実になってしまった。
神奈川地区の開発部長だった自分への異動の辞令。行き先は所謂掃き溜めと呼ばれる部署であった。
花形部署から掃き溜めへの異動は明らかな降格人事である。しかし役職的には部長から室長となって基本給は上がっているため文句を言うことは出来ない。例えそれがたった1人しか居ない
「どうしてこうなった……。」
理由は明らかだ。自分が社内で推し進めていた鎌倉ダンジョンのプライベート化プロジェクト。それが最後の最後で頓挫したためだ。
この地位に昇り詰めるために男は多くの同僚を押し退け、陥れ、恨みを買って来た。有能な上司に取り入って周りを蹴落とし出世を目指す。上手くいっている内は問題無かったし事実30代の若さで「部長」の肩書を手に入れ、年収は2000万円に届こうとしていた。
若くて美人の後輩を口説き結婚し、都内の一等地にマンションを買った。絵に描いたような成功人生だったはずだ。あの時までは。
「あまりにタイミングが悪かった……。」
同期のライバルと競った社内コンペ。アイデアが優れているのは最低限で、必死の根回しと接待による社内政治を勝ち抜いた結果、僅差で自分の案……鎌倉ダンジョンプライベート化プロジェクトが勝利したのだ。その後者社内決済が下り、協会との調整も終わり、ついに来月にはプライベート化する目処が立ち本社で壮行会が行われた。
鎌倉ダンジョンのコアが破壊されたという情報が協会からもたらされたのは壮行会で自分が決意表明をして社長から「期待しているぞ」と肩を叩かれた、その直後であったのだ。
今でも思い出す、足元がガラガラと崩れていくような感覚。間違いでは無いかと協会に詰め寄ったが、現実は非情であった。
その後の事は思い出したくも無い。上司と共に社長、役員達に頭を下げて回る。方々から「見通しが甘かったのでは無いか」と叱咤され当然プロジェクトは白紙。これまで媚びてきた上司にも「君には失望した」と梯子を外された。
妻は会社を退職済であったが、元同僚の友人から話を聞いたのかしきりに「大丈夫? お給料下がったりしない?」とそんな事ばかり聞いてくる。夫が大変なときに気遣い一つ出来ない使えない女だと思った。
頭を下げて、始末書を書いて、同僚からの嘲笑に耐えながらも開発部長として減った利益の補填案を作成して……気が付けばあっという間に数ヶ月経ち季節は春だった。そして渡されたのは明らかな降格人事の辞令。もはや異を唱える気にすらならなかった。
唯一いい事といえば、勤務地が横浜中心街から都内の本社に移ることだ。まあオーシャンビューの高層フロアにあるオフィスから、本社地下の薄暗い資料室にではあるが、都内一等地のマンションからの通勤時間自体は半分以下になる。なったところでまともな仕事など無いのだけれど。
「やってられんよな……。」
4月になり、
表向きは新しい事業の立ち上げを期待しているような部署であるが要は体の良い追い出し部屋だ。社内ネットワークに接続すら出来ないこの環境でイノベーションが起こるわけが無い。半年か1年か、碌に成果を出せなければそれを理由に大幅な減給となって辞めざるを得なくなるだろう。……基本給だけは増えたが、手当が殆ど付かない事とボーナスがほぼゼロになるであろう事から既に年収は大幅減の見込みだ。ローンが払えなくなると言って妻にはこの4月から会社に復職させている。
男の手にはUSBメモリが握られていた。協会の人間に、鎌倉ダンジョンのコアを破壊したバカ共の情報を寄越せと言っても守秘義務と言って情報を渡さない。
それがこのUSBに入っているデータという事だ。このご時世、私物のUSBを会社のパソコンに刺した時点でセキュリティ担当が飛んでくるが、目の前のパソコンはネットワークに繋がっていない。デスクトップには前任者がインストールしたと思われるゲームソフトのアイコンが並んでいる始末だ。
「こんなもの見てもイライラするだけなのは分かっているがな……。」
そう言いながらも男はUSB内のデータを確認していく。中には協会の機密文書……鎌倉ダンジョンが無くなった事での損失からその損害賠償を算出する計算書、さらにその返済の会計報告や柚子缶と鎌倉支部との面会の議事録まで入っていた。
「妖精譚に柚子缶……この女共が俺の邪魔をしてくれたって事か。」
とはいえ復讐が出来るわけでない。許しがたい相手だけど手を出すわけにはいかないのだから。中のファイルに一通り目を通していった男は最後のファイルをクリックする。
「これは……探索動画? こいつら配信者なのか。」
それはイヨが、ハルヒとナツキがコアを破壊した事がやむを得ない事情によるものだと示すために協会に提出した動画であった。鎌倉ダンジョンに突入した直後から雑魚ゴーレムを討伐していき、途中でカマクラバクフに遭遇する。バックアップとして彼らに同行してそのままボスとの戦闘に突入、命からがらボスを倒したあとコアを破壊して救援が来るまでの全てが記録されていた。
男は自分のスマホを取り出すと妖精譚と柚子缶について調べる。
「中々に優秀な探索者と言ったところか。コイツらの勧誘を推薦すれば成果になって花形部署に戻れるか? ……いや、弱すぎるな。何かもう一押し無いものか。」
さっきはシークバーをささっと動かして流し見し動画を今度は初めからじっくりと観ることにする。どうせ他に仕事は無く時間だけはたっぷりある。動画自体が6時間近くあるがこれを見終わる頃には終業時刻だろう。
男はだらし無く椅子に寄りかかると鞄から水筒を取り出しそこに入れたコーヒーを飲みながら、妖精譚と柚子缶の鎌倉ダンジョン探索動画に没頭する。
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