第3話 カンナの過去と幼馴染

 中学1年の春。カンナの両親は離婚した。ある晴れた土曜日の朝、入部したばかりの部活に行こうとするカンナを呼び止めた両親から、父親が出て行く事を伝えられた。


「え? それってドッキリ?」


 だってお父さんはいつも優しくて、時々厳しいけど最後にはカンナを甘えさせてくれる、お母さんとも仲良しの、大好きなお父さんで……。


「カンナ、ごめんな」


 そういって謝る父の言葉は酷く薄っぺらく感じた。


「お父さんね、何年も前から会社の後輩と浮気していたんですって。それで相手の女の人に子供が出来ちゃったからカンナとお母さんを捨ててそっちに行きたいらしいわよ」


「……すまない……」


 お父さんと他の女の人の間に子供!?


 カンナはつい最近、赤ちゃんができる仕組みを知ったばかりであった。ミサキから借りたちょっとだけオトナ向けの恋愛漫画で、ヒロインの女の子が大好きな彼氏と結ばれる。えっちなシーンはいけないものを見ているようでドキドキしたけれど、興味も津々だった。その後、女の子が妊娠をしてしまい……というストーリーだったが、この漫画を読んで保健の時間に習った妊娠の仕組みと男女の営みの意味が理解できたのだった。


 お父さんとお母さんもこういう事を……?


 それに気付いてしまった日はまともに両親の顔が見られなかったカンナだけれど、数日もすれば「みんなそうやって産まれてきてるわけだし、まぁそんなものか」と自分の中で折り合いが付く。

 借りた漫画が絵のキレイな恋愛漫画だったこともあり、むしろそういった行為は愛を深め合う純粋な行為だと納得しつつあった。両親も仲の良い夫婦だったので自分は愛されて産まれてきたのだと安心した。


 そんな折にもたらされた父親の浮気の報告。


(つまりお父さんは、お母さん以外の女の人とああいう事をしたの!? それも何年も前から!)


 いつも仲良しだと思っていた両親。たまにカンナが夜中に目覚めてしまい、リビングに起きると2人でソファに並んで洋画を見たりしていた。カンナが甘えて間に入ろうとすると、仕方ないなと言って座らせてくれて、優しく頭を撫でてくれた。


 その裏で、父は他の女と寝ていたのだ。その手で母にも触れ、カンナの頭を撫でていたのだ。


 そこまで想像したところで、カンナは盛大に嘔吐してそのまま意識を失った。


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 親権は母が取った。父は新しい子供のためにカンナを引き取ろうとはしなかったし、カンナも父を汚いモノとして認識して拒絶したため親権については揉めることはなかった。


 苗字が変わる事でカンナが学校で噂されるような事態を懸念した母は、日出姓を続ける事を選択した。おかげで両親の離婚は同級生に知られることは無かったけれど、幼馴染の2人には打ち明けざるを得なかった。


「カンナ、私たちはいつでも味方だからね!」


「ああ、もちろん学校で誰かに話したりしないから安心してくれ」


 そんな風に声を掛けてくれるミサキとトモの存在がありがたかった。クヨクヨしていても仕方無いと部活と勉強に力を入れる。何かに没頭している時は父親の事を思い出さなくて済むのも大きかった。


 そうして部活と勉強に打ち込みすぎたカンナは、ある夏の日の部活中に倒れてしまう。過労と寝不足から軽い熱中症になっただけだろうという診断だった。


 保健室で寝ていたカンナのところにトモが見舞いに来る。


「大丈夫か?」


「うん。休んだら元気になった。もう大丈夫。部活に戻るよ」


「ちょっと待て! お前さっき倒れたんだぞ!?」


「そんな大袈裟だよ、ちょっと吐き気がしてうずくまってただけだし」


「それを、世間一般では倒れたって言うんです」


 養護教諭が横から指摘する。


「顧問の先生にはもう伝えました。日出さん、今日はもう部活を終わりにして帰りなさい。お家の人は迎えに来れる?」


「お母さんは仕事で夜まで帰ってこないです……」


「あ、うちの大学生のアネキが今日は家にいるから迎えに来てもらいますよ。こいつの家はすぐ近所なので」


 トモが提案する。


「そんな、悪いよ」


「このまま歩いて帰して途中でまた倒れられる方が困るだろ」


 そういうと保健室の電話で自宅に連絡するトモ。トモの姉……リンコは20分ほどで迎えに来てくれた。


「カンナ、倒れたって?」


「リンコちゃん、わざわざゴメンね」


「いいのよ。トモも珍しくいい判断したわね」


「俺も部活早抜けしてきた。これ、カンナの鞄な」


「……ありがとう」


「じゃあ送って行くわ。後ろで寝てなさい」


 リンコの車に乗って家まで送って貰う。家の前で降ろして貰うとトモがカンナの分の鞄も持って降りてくれた。


「トモ、本当にありがとう」


「ああ。遠慮するなよ」


「うん。じゃあまた明日ね」


「おう、また明日……っておい!」


 玄関でトモに別れを告げたカンナだったが、やはり体調は悪くその場でへたり込んでしまった。慌てて駆け寄るトモ。


「大丈夫、ちょっと休んだら治るから……」


「いいから、ほら。部屋まで行くぞ」


 そう言って差し出された手を取る。トモはグッと引いてカンナを立たせてくれる。だけど座った状態から手を引いて立つというのは、立つ方も立たせる方も少しコツがいる。そのコツを知らなかった2人は立ち上がった拍子にバランスを崩してしまった。


「わわっ!」


「おっ……とと」


 勢い余ってトモに寄りかかってしまうカンナと、正面から抱きかかえる形で支えるトモ。


「あ、ありがと……」


「お、おう」


 不意に抱き合うような形になってしまい、カンナは恥ずかしいと思いつつも、まだ身体に上手く力が入らずその体制のまま数秒間静止した。トモからすればカンナが急に抱きついて来て、そのままじっとしている形になるわけで、その数秒間で思わず体の一部が硬くなってしまったのは、生理現象として仕方のない事であった。


 そして不幸にもカンナはトモのその部位の主張に気が付いてしまった。


「あっ……」


「こ、これは、その、違うんだ……」


 カンナの視線が自身の下半身に向いている事に気付いたトモは慌てて弁解しようとするが、


「……っ!? 気持ち悪いっ……!」


 あくまで生理現象として以上の意味は無かったけれど、半端な知識しか無いカンナはその部位が硬くなるイコール欲情だと思っていた。そして、目の前の幼馴染が自分をそういう目で見ているのだと思うと、ゾワリと全身に鳥肌が立つ。そのままドンっとトモを突き飛ばした。


「カンナっ……、」


「近寄らないでっ!」


 青い顔で自分を拒絶するカンナに対して、これ以上縋るのは逆効果だと判断したトモは「お大事にな」と言って帰って行った。トモが出て行ったあと、カンナはその場に泣き崩れる。幼馴染が自分を性の対象として見ていた事がショックだった。

 未だ知識が浅く、また漫画でしか知らなかったカンナにとって性的なことは「大人達の話」または「フィクションの話」であって自分が対象では無かったのである。


 そのまま母親が帰ってくるまで玄関で泣き続けたカンナは数日間、学校を休む事となった。


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 体調が戻ったあとも、トモとはこれまでのように接する事が出来なかった。ミサキと3人でいる時とトモに話しかける事が出来ないし、トモから何か言われても「うん」と「ううん」しか言えなくなった。


 当然、3人の雰囲気は悪くなる。ミサキからは何があったのか聞かれたけれど、性的な話を人とするのがタブーだと思っていたカンナには答える事が出来なかった。


 自然と3人で居るのが苦しくなりカンナは2人から距離を置くようになる。そんな状態で数ヶ月が経った。


 状況が変わったのは、カンナがテレビのバラエティ番組を見て居た時である。テレビで芸人たちがあるあるトークをして居た時に、思春期に不意に股間が大きくなって恥をかいたと面白おかしく語っていた時に、カンナが好きな俳優も「そういうのってありますよね」と同意したのだ。


 男性にはそういった気が無くても下半身が反応してしまう時があるなんて、考えた事もなかった。そして、トモを拒絶したあの時ももしかしたらそうだったのかもしれない。そう思い至ったカンナはミサキに助けを求めた。


「それで、カンナはトモが自分に欲情してると思って避けてたの?」


「うん……だって、私の前で、その、大きくなってたから……」


「はぁ……、男の人なんてそれこそしょっちゅう大きくしてるわよ。朝勃ちとか知らない?」


「し、知らない! アサダチ?」


「朝起きると大体みんな大きくなってるってヤツよ。他にも疲れてる時とか何故か下半身はピンピンしたりするらしいわよ」


「疲れてるとき……」


 もしかして、あの時も単にトモは疲れて居たのだろうか。


「ね、ねえミサキ! 私もしかしてすごく勘違いしてたかも知れない! だったらトモに謝らないと!」


「謝れば?」


「うぅ……、その気まずいから一緒に居てくれないかな?」


 ミサキは呆れながらも、カンナがトモと話す場に同席すると約束してくれた。そして久しぶりに3人で集まる事になる。カンナはトモに頭を下げる。


「トモ、避けててごめんね。あと夏頃に私が倒れて家まで送ってくれた時に気持ち悪いって言ってごめんなさい」


「ああ、気にして無いよ」


「あの時、トモの、その、あれが、大きくなってて……、私てっきりトモがえっちな事考えてるんだって思っちゃってて……」


「えぇ……。さすがに具合悪くてフラフラしてるカンナにそんな事考えねぇよ……」


「そ、そうだよね!? 私、そうじゃない時にも大きくなるなんて知らなくて!」


「だからカンナはトモが自分をそういう目で見てるんだって思って避けて居たらしいわよ?」


「ほんとにごめんなさい……」


「なんだ、そういう事だったのか。俺、てっきりカンナに嫌われたのかと思ったよ」


「ううん! そういう事じゃなくて、ちょっと怖くなっちゃってただけだったの。……でも私の勘違いだったんだよね」


「いや、俺の方こそなんか誤解させちまって済まなかったな」


「全く、カンナもさっさと相談してくれれば良かったのに。この何ヶ月か、私は何でカンナがトモを避けてるのか分からなくて混乱してたんだからねっ!」

 

「トモもミサキも、本当にごめんね。……あと、今日はありがとう」


 こうしてカンナとトモは仲直りして、ミサキを含めた幼馴染3人はまた以前のように集まれるようになったのだった。


 だが、この時にカンナと他の2人の間に決定的な誤解が生まれていた。トモとミサキはあくまでも「トモの反応は生理現象故であった」と認識したが、カンナは「トモの反応は生理現象故であった」と思い込んでしまった。

 カンナはトモが自分に対して性欲を持つことは無いと無意識に思い込んでしまったのである。


 だからこそ、その後カンナはこれまで通り、トモとミサキに対しては家族に近い感覚で接する事が出来たし、それはこれからも変わらないと信じて疑わなかった。


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 話は現在に戻る。


 唐突にトモから想いを告げられたカンナだが、彼女の中ではそれは4年前に明確に否定されていた事柄であった。つまりカンナにとってトモの告白は、これでの家族としての関係とそこで積み重ねて来た時間を否定するに等しい宣告であり、そんな彼女の口から出たのが、「嘘吐き」という批判の言葉であった。


 言葉の真意は分からずとも、少なくとも拒絶された事は理解してショックを受けるトモを無視してカンナは部屋に戻る。


「おやおや、おかえり。また誰かを振ってきたのかい?」


「……知らないっ!」


 楽しそうにからかってくる同室のクラスメイトに、思わず強く当たってしまう。予想外のカンナの剣幕に、友人は思わず目を丸くする。


「あ、ごめんなさい……。でも、ちょっとだけ放っておいて……」


「ああ、うん。こっちこそからかってごめんね。お風呂開いたよ」


「あ、ありがとう」


 嫌な気分はお風呂に浸かって流すに限る。バタバタと入浴の準備をしているとミサキもカンナのただならぬ様子に気付いた。


「カンナ、どうかしたの?」


「……なんでもない」


 下手な誤魔化しをして逃げるように風呂に向かうカンナ。


(ミサキにだって、話せないよ……。)


 こういう時にウジウジ考えてしまうのはカンナの悪い癖である。湯船に浸かって思考の堂々巡りを続けること数十分、いつまでも出て来ないカンナを心配した同室の友人達に引っ張り出される頃にはすっかりお湯にのぼせてしまっていた。

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