第1話 現物支給品の受け取り
岡山遠征翌週の週末。ユズキは1人で探索者協会渋谷支部を訪れていた。2ヶ月前、札幌でエルダートレントを討伐した際に現金を受け取る代わりに要望した「現物支給品」。それを受け取りに来たのだ。
馴染みの受付女性に来訪を告げると、別フロアの会議室に通される。中で待っていると、男性が2人部屋に入ってきた。
「どうも、柚子缶さんですね」
「はい。リーダーの天蔵ユズキです」
名刺を受け取る。2人は渋谷支部総務部の部長と、探索支援課の課長との事であった。
「札幌支部長からも要望事項については引き継いで居ますし、メールでもやり取りさせて頂いている通り、協会からはこちらを準備しております」
探索支援課長から紙の資料を手渡される。事前にメールで詳細は確認しているので軽く目を通すに留めた。
「こちらで問題ないでしょうか?」
「はい、私たちの要望は満たして頂けています。ありがとうございます」
「それは良かった。では細かい条件について確認させて頂きます」
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渋谷支部から徒歩10分ほど。真新しいタワーマンションに案内されるユズキ。
「キレイですね」
「新築ですからね。こちらにどうぞ」
ロビーに入ると吹き抜けになった開放感のあるエントランスがユズキを迎える。
「柚子缶さんの部屋は25階ですね。こちらがエレベーターホールになります」
案内されるままエレベーターに乗る。25階は中層エレベーターなんだ。一番上が40階とかだから中層と言われればそうなのかと納得する。
案内された部屋は北東向きの角部屋であった。
中は空間を贅沢に使った部屋であった。家具が無いので声が響く。
「こちらの部屋になります。鍵は専用のカードキーが2枚と予備のディンプルキーがあります。無くされた場合は鍵の交換となるのでその場合の費用はご負担となります」
「分かりました」
探索支援課長から鍵を受け取るユズキ。
「何か質問はありますか?」
「いえ、大丈夫です」
「では私はこれで。何かありましたら遠慮なくご連絡下さい」
「ありがとうございます」
最後に礼をすると探索支援課長は部屋を出て行った。1人残されたユズキは各部屋を見て回る。20畳はあるLDK。寝室は3つ、それぞれ8畳ほどだが各部屋には大きめのウォークインクローゼットがある。洗面所と浴室も広くて明るい。
「専有面積が120平米とか、贅沢にも程があるわね。これにオートロックと24時間管理人が居て、ジムだのラウンジだのは使い放題で……凄いなぁ。物置にするには勿体無いし、今の部屋は解約してこっちに住んじゃおうかな」
カンナとここで同棲したら、毎日楽しいだろうな。いや待て待て、女子高生と同棲とか流石に犯罪の匂いがする。でもあと1年半ちょっとであの子も卒業だし……。
「せっかくだし生活感出る前にカンナにも見てもらった方がいいよね。荷物持ってくるのはあの子が帰って来てからにしよう」
丁度その時ユズキのスマホが震える。カンナからメッセージが送られて来た。修学旅行先の沖縄からだ。海と空の写真が添付されている。
ユズキはお返しにと部屋の様子を撮って送ろうとして、思いとどまった。お楽しみは先にとっておいてあげたほうが良いと考えたのだ。
「さて、じゃあせっかくだしラウンジとか見に行ってみようかな」
預かった鍵をカバンに入れて、ユズキは部屋を後にした。
エルダートレントの素材売却の対価にユズキが現物支給として要求したのは「セキュリティの高い事務所の提供」だった。仮に1億円を受け取ったら、そのお金でテナントを借りて事務所を構えようかなと思ったので、だったら現物としてそれを準備して貰えばいいじゃ無いと考えての要求だった。
柚子缶が探索で使う装備やカメラなどの機材は、今はユズキの1DKのマンションに保管してある。もともとの装備や撮影機材は合わせても精々200万円に届かない程度だったけれど、最近新調した装備は2人合わせて1500万円。これを保管するならもっとセキュリティがしっかりしたところにしたいと考えたのだ。
ユズキの部屋は結局のところただの賃貸住宅。女性の一人暮らしなので最低限のオートロックはついているものの、セキュリティの面では心許ない。
そんな要望を札幌支部を通して渋谷支部に伝えてもらった。そこで提案されたのがこのセキュリティの高い最新の新築タワーマンションの一室だった。
たしかに2人パーティであればそこまでモノも増えないし、テナントを借りて事務所を構えるよりセキュリティの高いマンションの方がお手軽かも知れない。なるほどと感心した。
同じグレードの部屋に賃貸で入居すると家賃は月々100万円程度と、超高級住宅である。ちなみにこの部屋、分譲で購入すると1億円じゃ全然足りない。もちろん差額を協会がサービスしてくれたというわけでもない。
今回交渉でユズキが得たのは、「協会からこの部屋を
本当にタダで借りると色々と問題があるので、毎月家賃として100万ちょっとを支払う。ただ、翌月協会から「探索者補助特別手当」として同じ額が返ってくるというだけだ。傍から見れば完全なマネーロンダリングだが、柚子缶が特別手当を貰うための申請書と実績レポートを毎月出しさえすれば特別手当を貰うことは至って合法となる。
「あくまでも私達はこの部屋を協会から適正価格で借りる。それとは別に、私たちが特別手当を申請するとたまたま全く同じ額が支給されるってことね。
新築のタワーマンションに10年タダで住めるってどう考えても私達に都合が良すぎる契約だよなぁ」
もちろん協会側にも打算はある。そもそもオークションにかけたら10億円はかたいであろうエルダートレントの素材を1億円で買い取れた時点で、既にかなりの利益を上げている。
さらにこの契約のキモである「特別手当を貰うため、実績レポートを毎月提出」のために柚子缶がこれからも探索者活動を続けてくれるという事実は、協会からすれば既に実力があり伸び代にも期待ができる若手探索者に首輪を着けたに等しい。
この合わせ技で月に100万円程度の経費は十分許容範囲内だと判断したのである。
「まあ優遇してもらった分くらいはきちんと協会に還元しないとね」
ユズキにしたって大人の思惑も分かった上で、あえて乗っかっている。用意された物件がしょぼかったら今後協会に対する態度も考えるところだが、120点の部屋を準備されれば、手のひらの上だと分かっていてもそこで踊る気になろうというものだ。
帰る前にもう一度自分達の部屋を覗いていく事にする。真新しい部屋は当たり前だががらんとしている。ふと窓から外の景色が目に入る。この窓にはどんな色カーテンをつけようかな……と、そこで思考を止めて頭を振った。
この真っ白な部屋をどんな色に染めていこうか、そう考えるのは、カンナと一緒の方が絶対楽しいから。
「「私達のパーティの事務所になる部屋のカギ、無事に受け取ったよ。帰ってきたら一緒に行こうね」っと」
無事に今日のミッションが完了した事をカンナにメッセージで伝えると、すぐに返信が来る。クマのキャラクターがハイテンションで喜んでいるスタンプである。きっと向こうではこのクマみたいにはしゃいでるんだろうなぁと想像してユズキは笑ってしまった。
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