第9話 特訓の日々

 特訓を開始して暫く経った金曜日の昼。カンナはお弁当を食べながら参考書を開いていた。


「カンナさぁ……さすがにお行儀が悪いと思うよ」


「ごめんねミサキ。今週末試験だからちょっとでも時間が勿体無くて」


 とはいえ確かにお行儀が悪いと思ったカンナは、簿記の参考書を閉じてミサキに向き合った。


「簿記ねぇ……それって探索者に必要だってユズキさんに言われてるんだよね?」


「うん。パーティ運営をするならお金の流れが把握できるようになったほうがいいからって。あとは探索者を辞めても無駄になる資格じゃ無いからせっかくだから取っておいたらって」


「ふーん。まだ本格的な探索はやってないんでしょ?」


「うん。いまは色々と準備中。筋トレもしてるんだよ、ホラ」


 そう言ってチカラコブを作る仕草をするカンナだが、その二の腕は相変わらずぷよぷよだった。ミサキはすごいすごいと適当に相槌を打ちつつカンナのお弁当箱から卵焼きを一切れ頂戴する。ミサキが卵焼きを攫っていくのはいつもの事なのでカンナも特に気にしない……どころか最近は一切れ余分に卵焼きを入れてきている。


「それで、特訓の成果はいつ頃から発揮する予定なの?」


「準備は大体できてるから、あとは週末の簿記試験が終わったら来週からダンジョン内で訓練する予定」


「訓練かぁ……最近は全然稼げてないんだよね?」


「うん。ユズキは初期投資の期間だって言ってた」


 ミサキには恥ずかしいから言ってないけど、ユズキの指導のもとメイクの練習までしている。ユズキ曰く「動画映えするのが1番の目的だけど、カンナみたいな恥ずかしがり屋さんはメイクする事で「内気な自分」から「自信家の自分」に切り替えるられるようになる」らしい。


 配信トークの訓練もしており、少しずつではあるが声が張れるようになって来ていると実感する。


「初期投資ね……それって怪しい勧誘とかじゃ無いよね?」


 ミサキが心配するように聞いてくる。


「怪しい勧誘って?」


「……ユズキさんを悪く言う意味じゃ無いんだけど、最初にカンナのためにお金を使ってみせて恩を売ってからもっと高いものをローンで買わせたりとかそう言う流れに持っていく商法もあるって聞いたことがあるから……」


「それは無いと思うけどなあ。だってユズキ、うちのお母さんにも会ってるし週末は3人でご飯を食べに行ったりしてるから」


「そうなの!? おばさんも!?」


「うん。パーティを組んだその日に挨拶しに来てくれたよ。未成年の女の子とパーティを組むのに親御さんの了解は必須でしょって」


「それなら安心か……ハタチって言ってたっけ? すごいしっかりした人だね」


「そうなんだよね。だから私もしっかりしないとって思うんだ」


 そう言ってムンっと力を込めるカンナを見て、ミサキは少しホッとする。世間知らずの親友がいきなりパーティに誘われたと言った時は大丈夫かと心配したが、今のところ良い方向に作用しているようだ。

 

 ミサキは、カンナが自分から話してくれる事以上はあまり聞かないようにしている。だけどユズキの元パーティである「北の誓い」の動画はしっかりチェックしている。ユズキの脱退後は明らかに配信のクオリティが下がり、登録者数も再生数も右肩下がりである様子を見るに、火力面以外でも彼女がキーパーソンであった事は想像に難く無い。そんな人物が自分の都合でパーティを脱退したと同時にカンナを勧誘したなんて聞けば、何か裏があるのではと心配にもなる。……一度カンナにユズキの脱退理由を知っているか聞いたけれど、はぐらかされてしまったため、尚更だ。


 カンナに対して応援してあげたい気持ちは勿論あるが、同じくらい危険な事はしてほしく無いという想いもある。そんな複雑な感情を抱えつつ、見守るしか出来ないミサキは自分がもどかしかった。


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「試験お疲れさま。手応えはあった?」


「うーん、わかんない……際どいかも知れない」


「ダメだったらまた次回受ければいいわ。とりあえず勉強した中で会計の基礎は学べたって事で、今後はカンナにもしっかりお金の管理をして貰うからね」


「ひぃぃ……」


「前のパーティは経理できるのが私だけだったから助かるわ」


「ユズキはもともと簿記の勉強してたの?」


「ううん。探索者始めて必要だと思ったから勉強したのよ。残念ながら他のメンバーはやってくれなかったけど」


「私、探索者が経理出来ないといけないなんて知らなかったんだけど……みんなやってるものなの?」


「企業所属の探索者は当然会社が全部やってくれるわ。個人探索者の場合、大きいところは税理士雇ってるはず。小さいところは個別に確定申告。それを怠ってマルサから追徴課税喰らうところもあるはず」


「……ねえ、私が最初の半年間で稼いだお金ってどうなるのかな?」


「まあ少額だから誤魔化せるっちゃ誤魔化せるけど……。幸いカンナは全部の探索を配信して来たから、その配信日の取引履歴を協会に問い合わせすれば売上は追えるわよ。武器をレンタルもカンナの探索者証でやってたからそれも合わせていけるわね。武器レンタル料は経費に計上。そうだね、確定申告の時に困らないように今度履歴をもらって帳簿をつけておいてね」


「ひぃぃ、わかりました……」


「さて、デスクワークは一旦切り上げて、そろそろ本格的な訓練に入ろうか! スキルの訓練はダンジョン内じゃ無いと出来ないからね!」


「ついにだね。いつまで体力づくりをすればいいのかと思ってたよ」


「ん? 毎朝のジョギングと寝る前の筋トレは継続してね? 明日の朝も迎えに行くよ」


「ひぃっ……!」


 そう、パーティ結成以来、ユズキはジョギングのために毎朝カンナを迎えに来る。2人で河川敷を5kmほど走るのが日課になっていた。当初は1時間近くかかっていたし終わる頃にはヘロヘロになっていたが、最近は30分程度で走れるし体力にも余裕は出て来ている。


「とりあえず渋谷ダンジョンの一層でスキルの検証をしようか。私も楽しみにしてたんだよ!」


「そのわりにはユズキ、私が基礎体力をつけるの優先って言って中々ダンジョンに行かなかったじゃない」


「本当に『一点集中』が『広域化』できたら私も探索が我慢出来なくなりそうだったからね。カンナがある程度強くなるまで自重してたんだよ」


「なるほど……じゃあ今日からしっかり検証だね!」


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「……やっぱりカンナの『広域化』は私が『一点集中』で強化した『身体強化』を全身に広げられるね」


「それどころか、ユズキのスキルなのに私まで強化されてるって事でいいんだよね、これ」


 目の前にはパンチで粉々に砕けた岩があった。ユズキが砕いたものと、カンナが砕いたものだ。


「でも、身体が早く動きすぎて逆に上手く動けないよ……」


「確かに。これは慣れないと上手く動けないわね。その分、慣れれば凄い事になりそうだけど」


「暫く広域化身体強化状態をキープしてみよっか。……私は『広域化』を数時間は使っていられるけど、ユズキは?」


「『身体強化』は1時間くらいかしら」


 その後、身体強化した状態で過ごしてみたが、強化され過ぎて2人ともまともに歩くことさえ出来なかった。


「そろりそろりと歩けば……」


「それだと身体強化するメリットを殺しちゃうわ。なるべく強化状態で普通に動けるように訓練あるのみよ」


 そのまま丸一日転んで、転がって、体中土だらけにした2人だったが強化された体にはすり傷ひとつ付かなかった。


「痛みは無いんだけど、精神的な疲労がヤバい」


「わかる。痛く無いんだけど、それでも転ぶのって地味に心にダメージ来るんだね。新鮮な発見だったよ」


「ついでに広域化身体強化を切った今もなんか歩いてて違和感ない? 遅すぎてしんどいって言うか……」


「それもわかる。身体と心の速さがあってないんだよね」


「しばらくは訓練が必要ね。課題としては強化中に上手く動けるようになる事と、切り替え時の違和感を無くすこと。当面はそれを目指して頑張りましょう」


「……そういえば、ユズキは初めて私にあったときにワイルドウルフとやり合ったよね。その時はこの広域化身体強化で動けてたんじゃないの?」


「鋭いわね。実はあの時のことを思い出そうとしてたんだけど、無我夢中だったからどうやって身体を動かしていたのかよく覚えてないのよね。たぶん一種のゾーンに入ってたんだと思うけど……」


「そっかぁ」


「土壇場で動けたって事は必死になれば出来るのよ。ただそれだと安定しないから平常時でも出来るようにしないとねって事」


「練習あるのみだね。頑張ろう!」


 実際に超人と言っても差し支えのない動きが自分にもできた事で、カンナもモチベーションは高かった。ユズキの考えた地道なトレーニングをこなすだけの状態から一緒に成長していこうという段階にステップアップしたことも、やっと並んで歩けるようになった気がして嬉しかった。


 そんなカンナのやる気はユズキにも伝染し、2人の気合いは益々高まるのであった。


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 平日はカンナの学校のあとに渋谷ダンジョンの一層、人目につかない場所で広域身体強化をはじめとしたスキルの訓練。土曜日は探索計画を作ったり動画撮影の練習をしたり。日曜日はオフ。そんなサイクルを数ヶ月繰り返し、季節はいつの間にか春を迎えようとしていた。


「そろそろ探索を始めようか」


「うん。スキルの連携もバッチリだしね」


「実は先週でバイト辞めて来たんだ。背水の陣ってやつ?」


 ユズキはこの半年、流石に無収入というわけにもいかなかったので平日昼間はアルバイトで自身の生活費を稼いでいた。体も鍛えられる倉庫作業である。時給も比較的高くシフトも融通の効く良い職場であったが、これからはパーティとして積極的にダンジョン攻略一本で生計を立てていきたい。そんな決意の表れであった。


「最初はやっぱりここでいい?」


 カンナが一緒に作った探索計画書のひとつを取り出す。


「うん。私達の第一歩はここから始めたい」


「同感!」


 戦闘服と武器と、カメラ。しっかりと準備した2人は渋谷ダンジョンに向かう。目指すは二層である。

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