#010 『宿屋での一幕』
「こ、こんな大金、見た事無いぞ……」
冒険者ギルドを後にし、休憩がてら宿屋へとやってきた俺達。
Fランク冒険者の昇格手続きの後、パラサイト・タイタンボアの魔石を始めとした魔石を買い取ってもらった事で、今俺の手の中には大金があった。
その合計、10万マギア。これだけあれば、当面の宿代も心配しなくていい。
リトルフラワーと戦闘して辛勝した時は、不衛生な路地裏でまた寝なきゃならないのかと恐れていたが、まさかここまで一気に小金持ちになるとは。
世の中、何があるか本当に分からないものだ。
カシュアが後ろから覗き込みながら、悩まし気な声を漏らす。
『10万マギアか……うーん、今後の活動資金として考えると少し物足りないな』
「じゅ、10万マギアだぞ? これだけあればしばらく食いっぱぐれないだろ」
『そんなに君の生活は切羽詰まっていたのかい……?』
「う、うるさいっ」
同情するような視線を向けられて、思わず視線を逸らした。その日暮らしの俺にとってはこの金額はあまりにも大金なのには変わりない。
お金があったらやってみたい事が何個かあったので、何をしようかなと考えていると、咎めるようにカシュアは呟く。
『言っておくけど、あまり無駄遣いしちゃいけないぞ。……今回みたいに上手く行くとは限らない。たまたま入った収益だけを当てにすると、すぐにお金は無くなるからね』
「う……はい。分かりました」
カシュアの意見が尤もなので、素直に首肯する。多分、カシュアに釘を刺されていなかったら無駄なものばかり買いそうな気がしたし。
カシュアは呆れたようにため息を吐いてから、眉根を少し下げて。
『今日はもう休むと良い。治癒ポーションの効力で君の傷は大分良くはなったが、失われた血は帰って来ない。今でこそ死線を潜り抜けた興奮状態で何も感じていないかもしれないが、その内体調に影響が出てくるだろう。体力が回復したら、君の修行を始めようと思う』
「分かった、そうするよ」
言われてみれば、僅かに身体がだるい。風邪を引く時の初期症状のような、ほんの僅かな違和感があった。放置すれば確実に悪化しそうなので、カシュアの指示に従う。
ベッドに入ろうとした時、カシュアは何かを思い出したかのように「あ」と声を漏らした。
『ああごめん、寝る前に一つ君に頼みたい事があったんだ。ボクの事を悪く書いた君の愛読書、見せて貰っても良いかい?』
「言い方」
『だって本当の事じゃないか。というか何だい腰抜けカシュアって! ボクがどれだけ新たな魔法を産み出して世界に貢献したと思っているんだ! そんなボクが辿る末路がこれってあんまりだろう!』
カシュアが頬を膨らませながらそう抗議する。英雄回顧録が愛読書だった俺にとってカシュアという勇者の存在は『腰抜けカシュア』としての認識が強すぎるのだが、偉人的な意味合いで言えば彼女が残した功績はかなり大きいのだろう。
今度、彼女にどういう魔法を作ったのか聞いてみるのも良いのかもしれない。
ベッドの下に置いてあった袋の中を探り、目的の物を見つける。
『英雄回顧録』と表紙に書かれた本を取り出し、テーブルの上に広げた。
「分かったよ、ほら」
『すまない、ボクは物理的に干渉が出来ないから君がページをめくってくれると助かる』
「そっか。大変だな、その身体……」
『本当さ、全く。こんな身体のせいで調査を進めるのも凄い苦労したんだ。魔王の奴め、絶対に許さないからな……!』
カシュアが綺麗な顔を歪め、魔王への怒りを滲ませているのを見て思わず苦笑する。
「じゃあ、まずは最初のページから──」
それから、数十分の間、カシュアの為に俺はひたすら本をめくり続けた。
その途中で眠気がどっと押し寄せてきたので、ベッドに入って休息したのだった。
◇
(ふふ、寝顔までそっくりだ。……なんですぐに気付かなかったんだろうな)
寝静まったレインの寝顔を見ながら、カシュアは微笑ましそうに笑う。
短く切り揃った、くすんだ赤色の髪。まだ幼さを残す、可愛げのある顔立ち。
だが、理想を追い求め、覚悟を決めた時の彼は年齢以上の精神性を感じさせた。
かつて、彼女が師事していた師──アルベルト・シュナイダー。同じ姓、似た容姿を持つ彼にかつての師の面影を感じながら、彼の頭をそっと撫でる。
(ねえ、お師様。これが運命の巡り合わせというものなのかな。あなたがかつて後悔し、救いたいと願ったものは、今、ボクの所へとやってきたよ。……ボクがあなたに学んだ事を、今度は彼に与える番なのかもね)
遠い昔の事に思いを馳せながら、カシュアは窓の外へと視線を向ける。
辺りはすっかり暗く、部屋にある蝋燭だけが室内を仄かに明るく照らしている。魔力構成体の身体になってしまってからは、睡眠を必要としなくなったので夜が長く感じるようになってしまった。
だが、こうして自分を認識できるレインという存在が出来た事で、心に少しだけ平穏が訪れた。自分がやっている事は無意味になるかもしれないと恐れながら、ひたすら奔走する5年もの年月は、確実に彼女の精神を蝕んだ。探し求めた師の姿は見つからず、途方に暮れていた彼女は、ようやく報われたのだ。
(ありがとね)
先の見えない道に僅かながらも照らし出してくれたレインに心の中で感謝を言う。
(ボクの為に、隣に居てくれると言った君を、ボクは絶対に見捨てやしない。だから、一緒に頑張ろう。レイン君)
そして、カシュアは改めてレインに尽くす事を心に誓ってから、ベッドから立ち上がった。
(さて、と──)
カシュアはそこで、思考を切り替えた。
(やっぱり、おかしい)
燭台の下に開かれっぱなしの英雄回顧録に近寄ると、訝し気な視線を向ける。
本に刻まれた文字を指でなぞりながら、カシュアはもう片方の手を口元に当てる。
(回顧録は本来、当事者が自分の経験を基に書き記す物。だから、著者は必然的に勇者の中の誰かという事になる)
魔王との戦いの結末を書き連ねているという事は、この著者も間違いなくあの戦いに参加、もしくは傍観していたのだろう。だが──。
(デルベック・ノルマンド。そんな名前、ボクは知らない。ペンネームにしても何故偽名を使う必要があった? 何かやましい事でもあるのか? 自分の栄光を捨ててまで、優先したい事があった──?)
顎に手を添えて、熟考する。鋭く細められた目は、刻まれた文字を追い続ける。
(──そいつは、この事態を一体どう見ている? 世界中に迷宮が乱立し、その核が魔王復活の為に存在しているという事に、気付いていないのか?)
カシュアも、5年前に意識を取り戻し、この誰にも認識されない身体になってから魔力が見えるようになり、迷宮の実態について知ることが出来た。
だが、普通の人間は魔眼を持つレインのように魔力を眼ではっきりと認識出来る訳では無い。一部の猛者は肌で感じる事が出来るかもしれないが、レインやカシュアの域には達し得ない。
だからこそ気付いていないだけかもしれないが──カシュアの勘はこう告げていた。
──この事態を知った上で、敢えて放置していると。
(ああ、嫌だな。これでも数年共に旅をしてきたんだ。多少なりとも情は湧いてしまうものだ)
一つため息を吐き、カシュアは天井を仰いだ。
(──ボクらの中に、裏切り者が居るのかもしれないと考えるのは流石に心苦しいな)
カシュアを含めた勇者5人。こんな本を書いた記憶はカシュアには無いので、自身を除いた4人の中に、この本の著者が存在し、その人間はこの事態に気付いている。
なのに、行動していない。それが意味するのは、自分一人では対処出来ず、この事態に気付く人間を待っているのか、それとも──。
(レイン君には、言わないでおこう。勇者レクスですらも容疑者になってしまうのは、今の彼にとっては良くない話だ。ただでさえ大罪の共犯者になってもらうというのに、彼の理想すら疑わせてしまうのは、間違いなく悪影響が出る)
少しうなされているような声を漏らすレインの頭をそっと撫でてから、カシュアはそっと立ち上がった。
(これは、ボク個人が調査しなきゃいけない案件だ。……少しずつ、慎重に調べて行こう)
カシュアは一人静かに、旅の目的を追加する。
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