#005 『君の英雄』
こちらに気付いたパラサイト・ティタノボアが咆哮し、戦闘が始まる。
『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオ!!』
まるで抵抗を感じさせない程に、軽々と木々を薙ぎ払いながらパラサイト・ティタノボアが突撃してくる。
まともに轢かれればそれだけで即死するであろう攻撃を、横っ飛びで回避し、地面を転がってからすぐに立ち上がった。
パラサイト・ティタノボアの動きに注力して逃げ回ると、カシュアが慌てて助言する。
『何故正面から挑んだんだ!? 今の君の実力だと、正面から戦っても絶対に勝てない! それはさっきも言った通り、絶対不変の事実だ!』
「助言は良いって言っただろ!」
『でも、ボクが助言しなければ確実に死ぬぞ! こんな所で死んでいいって本気で思ってるのかい!?』
「うるさいな、もうほっといてくれ!!」
パラサイト・タイタンボアの身から生えている触手がこちらに強襲する。
短剣を抜き、迫る触手を打ち払い、半ばで断ち切って相手の手数を減らしていく。
──行ける。俺一人でも、やれるかもしれない。
一瞬だけ心の内から湧き上がった高揚感に口端が緩むが、次の瞬間倍の数になった触手を見てすぐに気を引き締める。
この程度、わけないってか!
『駄目だ、物理的な攻撃は本体にしか意味が無い! 奴の触手の数を減らしたいなら火を使うべきだ!』
自暴自棄になっている俺を無視して、なおも助言を続けるカシュア。
だが、生憎俺は火を起こせる手段を持ち合わせていない。
今日の迷宮探索で、既に使い切ってしまっているからだ。
一向に動かない俺を見て察したのか、カシュアは表情を歪ませた。
『まさか、持っていないのか!? 唯一と言っても良い君の勝ち筋なのに!?』
唯一。そう彼女が断言する程なのだ、万が一にもこいつに勝てる手段は無い。
だが、ただ殺されるだけなのも癪だ。なるべく最後まで粘ってやる。
『っ、そうだ! 君を追っていた冒険者狩り! あいつらの荷物の中になら火を起こす道具がまだ残っているかもしれない! 一旦この場は逃げて、態勢を立て直すんだ!』
カシュアがそう提案するが、俺は敢えて無視した。
パラサイト・タイタンボアとの距離を詰め、至近距離で斬りかかる。
やはり、巨体という事もあってか至近距離での戦闘は苦手らしい。
この距離であれば、戦闘経験の浅い俺でも十分に回避が可能──。
『ヴォヴォヴォモォォオオオオオオオ!!』
──否。
ちょこまかと動き回る俺が目障りに映ったのか、触手を器用に操り、無数の手数で応戦してくる。
捌き切れないと判断し、すぐさまパラサイト・タイタンボアから距離を取った。
状況に応じて戦闘方法を変えてくる高い知能──やはり、この怪物はこれまで戦ってきた相手とは別格の存在のようだ。
有効な戦い方を探すべく、荒い息を吐き出しながら、再び突進の体勢を取ったパラサイト・タイタンボアの動きを見続ける。
『お願いだ! 言う事を聞いてくれ!! でないと君が死んでしまう!!』
「……ッ!」
カシュアの指示を聞かず、独力でパラサイト・タイタンボアの攻撃を回避し、反撃を試みる。
無論、技術も実力も伴っていない無謀な行動の結果は、刻まれていく傷の数が物語っていた。
その様子を見ていたカシュアは、手を振りかざしながら叫ぶ。
『勇者に憧れたんだろう!? 英雄になりたいんだろう!? こんな所で死んでしまえば元も子も無いぞ!!』
彼女の再三の呼びかけも、聞こえていないように無視を続ける。
憧れの愚弄。信じ続けていた物の否定。原動力の損失。
俺がカシュアを信頼する事が出来ない理由としては十分過ぎるものだった。
そして、地面を力強く蹴り、パラサイト・タイタンボアが再び突進してくる。
「ぐ、あ……っ!」
避けきれなかった。
交差した瞬間、強靭な牙が身体を抉り、鮮血が飛び散った。
激しい痛みに意識が持っていかれ、パラサイト・タイタンボアから意識が一瞬逸れてしまう。
その一瞬の隙を突くように、触手が足に絡みつく。そして、俺の身体を軽々と持ち上げ……。
「────が、は」
鞭を振るうように、凄まじい勢いで大木に叩き付けられ、ズルズルと地面に滑り落ちる。
全身に走る凄まじい痛み。骨が粉砕され、痛みのあまり視界が明滅する。思考が真っ赤に染まり、激痛以外の思考が出来なくなる。
力なく倒れ込んだ俺を見て、パラサイト・タイタンボアがゆっくりとした足取りでこちらへと向かってくる様子が、赤く滲む視界に映った。
か細い呼吸を繰り返しながら、瞼を徐々に閉じていく。
(これでいいんだ。英雄になれず、犯罪者になるぐらいなら、もういっその事……)
──ここで死んでしまっても良い。そう思ってしまう程、俺の心は沈み込んでしまっていた。
『──ッ』
どれだけの言葉を尽くしても、俺の心には響かない。
そう確信したのか、カシュアは振りかざしていた手を降ろし、悲痛な面持ちで眼前の光景を見続けていた。
パラサイト・タイタンボアから伸びた触手が、俺の首を縛り上げ、ゆっくりと宙へと持ち上げる。
奴が浮かべる、モンスターらしからぬ醜悪な笑み。どうやら生きたまま俺を捕食するつもりらしい。だが、もう抵抗する力も、気力すらも残っていなかった。
(これで──)
諦観の境地に至り、視界から世界の色が失われていった。
せめて最期は痛くなければ良いな、とそんな淡い期待を込めながら、その瞬間を待つ。
──その時だった。
(っ、あれ────?)
ぱちっと、閃光が脳内で弾けた。
俺はどこかでこの景色を見たことがある。
どこで見たんだっけ。……いや、でももう死ぬんだから関係無いか。
レイン・シュナイダーという平凡な人間の人生はここで終わる。
勇者に憧れ、冒険者を志し──初めての冒険で、呆気なく命を散らす。
この残酷な世界ではありふれた話の一つ。
輝かしい栄光を残した英雄のように、後世に残る事も無く。
取るに足らない少年の人生は、ここで幕を──。
『お願いだ……頼む……』
その声を聞いて、閉じかけていた目を前に向ける。
正面に立っていたカシュアは俯き、身に纏うローブを力強く握りしめながら呟いた。
『……ボクを……もう一人にしないでくれ……』
「────」
それは、決して意図的な物では無かったのだろう。だが、だからこそ、カシュアが何の取り繕いも無く呟いたその本音が、心の奥底を激しく打ち付けた。
やはり、カシュアは本当はもう限界だったのだ。一人で過ごす5年もの年月は、彼女の精神を確実に擦り減らしていた。まるで何も感じてないかのように明るく振る舞っていたが、俺という存在が現れた事で、何とか持ち直したのだろう。
俺が死ねば、また彼女は一人になる。誰にも認識される事無く何年も、もしかしたら彼女が消えるその日まで、一人で居続ける事になるかもしれない。
──ああ、そうだ。見た事があるのは当然だった。
あれは、過去の自分だ。
全てを失い、先の見えない明日に絶望し。
救いの手を求めた時の俺の姿と、全く一緒だった。
目前に迫る濃厚な死の気配。崖から飛び降りる時にも感じた、急速に時間が引き延ばされる感覚。
その刹那の如き時間に、脳内に駆け巡る原点の記憶。
「お父さん、お母さん、どうして……僕を一人にしたの?」
焦土の夢を見た。
魔物によって滅ぼされた故郷。失われた家族や友達の笑顔。
失意の果てに、絶望のどん底に、照らし出された一筋の光。
「俺が来たからにはもう大丈夫だ。──もう誰一人だって、失わせやしない」
ああ、そうだ。そうだったんだ。
ようやく、思い出した。
俺は、思い出を美化し過ぎていた。
確かに、俺は勇者レクスによって救われていた。
何も出来ず、死ぬだけだった俺を安心させるように、肩に手を乗せてくれた。
だけど、強大な魔物を前に──乗せてくれた手は、僅かに震えていた。
それでも、肩に置かれた手は優しく、それでいて眼前の敵に向ける眼差しは力強く。
勇者レクスは、決して俺を一人にしなかった。
彼が、本当は泣き虫で、臆病者だったのだとしても。
あの日憧れた英雄は、偽物なんかじゃない!
俺が夢見た英雄の姿は、紛れも無く本物だった!
対して、今の自分はどうだ!?
自暴自棄になって、死ぬことだけを考えて!!
──憧れたものとまるで真逆じゃないか!!
思い出せ!! 俺が焦がれ、目指した理想を!!
これから先を生きていく原動力となった憧憬を!!
思い出したのなら、今するべき事があるだろう!!
──彼女が元勇者だろうが関係ない!!
誰かが救いの手を求めているのなら!!
例え目の前の敵が怖くても!! その手を取るのが英雄の役目だろうがっ!!!
猛るような感情が爆発する。もう既に満身創痍の筈の身体に活力が満ちていく。
色の失われた世界が急速に色付いていき、爛々と輝き出す。
昂る本能の赴くままに、目前に迫る死の気配を、武器を握る右手を振るい、断ち切った。
「……そうだよな……!!」
『ヴォアアアアアア!?』
完全に油断しきっていたパラサイト・タイタンボアが大きく仰け反る。
俺の手によって切断された触手は、先端が燃えて無くなっていた。
「一人は寂しいし、辛いよな。良く知ってるよ。──だから!」
俺は自分の身体から吹き出した炎を操り、眼前の強敵を見据える。
深く息を吐き出し、覚悟を決めると、ゆっくりと短剣を構えた。
「──これからは、俺がずっと隣にいる!!」
『────っ』
憧れた理想にだけは、もう嘘を吐きたくないと、心に決めたから。
◇
レイン・シュナイダーはこの日、初めて誰かの英雄となった。
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