#008 『少年と少女の始まり』

 死闘を終え、少し経ってから。

 倒れ込んだ俺に、カシュアが語り掛けてくる。


『そのままでいい。聞いて欲しい』


 魔力切れの影響でまともに動けず、顔だけをカシュアの居る方へと向けた。


『さっき伝えようとした話には続きがあるんだ』


「……話って?」


 何の事だろうか。そう思っていると、カシュアは近くで腰を下ろす。


「確かに勇者レクスは泣き虫で、すぐに弱音を吐くし、強大な相手を前に逃げようとするような奴だったんだよ」


「ああ、その話か」


 そう言えば、パラサイト・タイタンボアと戦い始める前にご機嫌取りが云々とか言ってたような。


 昔を懐かしむように、カシュアは遠くを見据えながら語る。

 でも、もう怒りは湧いてこなかった。どれだけ彼が悪く言われようが、俺が憧れたあの日の英雄の姿は、誰よりも光り輝いていたから。

 俺が目指すべきものは間違いじゃないって、心に決めたのだから。

 カシュアは遠くに向けていた視線をこちらに向けると、穏やかに微笑む。


『でもね、レクスはただ魔王を討伐出来るだけの力を産まれつき持ってしまっていただけで、それ以外は他の人となんら変わらない、ただの人間だったんだよ。どれだけ強くても、怖い物は怖いっていう、言わば普通の感性を持っていた』


「……やっぱり、そうだったのか」


 カシュアの言葉に突き動かされ、思い出した過去の記憶。

 勇者レクスが俺の肩に乗せてくれた手は、あの時震えていた。

 ……そうだよな。例え勇者と呼ばれたような存在でも、俺と同じ人間だったのだ。

 どれだけ力があろうとも、強大な敵が立ち塞がれば怖いだろう。俺は勇者という存在を神格化し過ぎていたのだ。

 そして、カシュアは俺の傍に寄ると、俺の手に優しく手を被せる。


『でも、それでも。あいつは、最終的には顔も知らない誰かの明日の為に戦い果てた』


 顔も知らない誰か。それは、見ず知らずの子供だった俺を含む、世界の人々。

 その軌跡は、俺のように誰かの心の救いとなった。

 カシュアは俺の瞳を真正面から見つめながら、満面の笑みを浮かべる。


『紛れも無くあいつは──誰よりも勇者勇気ある者だったんだよ』


 ああそうか。やっぱり俺が目指し、憧れた存在は間違いなんかじゃなかった。

 思わず目尻から涙がこぼれそうになり、熱い吐息を吐き出した。

 カシュアは立ち上がると、くるっと周り、両手を後ろで組む。


『少年。これはボクの持論だけどね。勇者とは、最初から定められたものでは無くて……誰しもが持ち得る素質だと思うんだ』


 目の前の彼女もまた、かつて勇者と呼ばれた一人。

 そんな彼女が言う、勇者の定義が気になり、彼女の背中に視線が吸い寄せられる。


『目の前に立ち塞がる障害を前に、心が折れそうな時に……それでも諦める事無く、一歩を踏み出せる者だけが──勇者と呼ばれるんだよ』


 ドクン、と大きく心臓が跳ねた。カシュアの言葉を聞いて、俺が目指す理想の姿が、明確に定まったような気がした。

 大切な物を守れるように強く、そして俺にとっての勇者レクスのように、誰かの心の拠り所になれる存在になりたい。

 今はまだそんな大層な夢を語れる程強くは無いが、彼女とならば、いつかきっと。


『強大な敵を前に、逃げ出す事無く立ち向かった君の姿は、勇者のそれと重なった。……今はまだ弱いかもしれない。でも、一緒に強くなろう。君がボクと一緒にいるって言ってくれたように、僕も君の傍に居続けるから』


 そこまで言ってから、カシュアは深々と頭を下げる。


『改めてお願いするよ。ボクと一緒に、魔王復活の阻止をしてほしい。そして、その旅の最中で良い。ボクの身体を取り戻す手助けをしてほしいんだ』


 その願いに対する回答はもう決まっている。

 もう、俺は誰も一人にしないと決めたんだ。

 だから──。


「──ああ。分かった。お前の願いの為、そして何より俺の理想の為に、最期まで戦うと誓うよ」


 それを聞いてにっこりとカシュアが笑うと、ぐいっと身体を伸ばした。 


『契約成立だね! さて、こんな所で寝続けるのもなんだ。さっさとこんな陰気くさい迷宮なんか出て、お天道様の下へ行こうぜ!』


「いや、普通に無理だが。魔力切れのせいでまともに動けないんだが。少し寝たいまである」


『はあ!? こんな所で寝たら他の魔物に殺されるぞ!?』


「お前の為に命を賭けたんだ。今度はそっちが命を賭けて守る番だろう?」


『き、君ねえ!! ボクはこんな身体だから何も出来ないって言っただろう!? 君が寝てしまったらボクはサポート出来ないんだぞ!?』


「じゃあ動けるようになるまでで良い。見張りは頼んだぜ、相棒」


『君は相棒を便利な目覚まし時計か何かだと思っているのかい!? いやまあ確かに君が死なれたら困るからちゃんと見張るけどさぁ……!!』


 ぷんぷんと擬音が聞こえてきそうな程頬を膨らませ、こちらをジト目で見てくる。

 しばらくその状態で居ると、カシュアは何かに気付いたように『あ』と声を漏らした。

 そして、人差し指をこちらに突きつけながら口をへの字に曲げる。


『それと君、お前は禁止だ。これでもボク、君よりも年上なんだぜ? ちゃんと年上は敬いたまえ』


「はいはい、分かったよカシュアさん」


『さんも駄目だ、他人行儀感が強い。カシュアと気軽に呼んでくれたまえ。というか君、何度かカシュアって呼んでただろう!?』


 はあ、はあと荒い息を吐き出しながらカシュアがそう叫び散らす。

 言い合いもそこで終わり、少しの静寂が辺りを包んでから──。


「くっ」


『あははっ』


 そして、どちらともなく、吹き出して笑い合う。

 ひとしきり笑い合い、目尻に浮かんだ涙を人差し指で拭いながら、カシュアが尋ねてくる。


『そうだ。これから長い付き合いになるんだ。君の名前を教えてくれないかい?』


「あれ、そういえば俺の名前、教えてなかったか」


 カシュアと出会ってから、確かに自分の名前を伝えていなかった事に気付き、頬を掻きながら苦笑する。

 身体に少し力が入るようになったので、立ち上がる。

 そして、カシュアへと向かってゆっくりと手を差し出して、握手を求める。


「俺はレイン。レイン・シュナイダーだ。これからよろしくな、カシュア」


『……ッ!』


 俺の名を聞いたカシュアが、大きく眼を見開いた。

 そして、ゆっくりと目を閉じると……口元に小さく笑みを浮かべた。


『シュナイダー、か。……そうかい。……君が、お師様の……』


 彼女が小さく、何事かを呟く。

 余りにも小さな声過ぎて何か聞き取れなかったが、すぐに満面の笑みを浮かべながら手を差し出してきた。

 

『ボクはカシュア。カシュア・フィルメール。元勇者にして、最強の魔法使いと呼ばれた大魔法使いさ。……今後ともよろしくね、レイン君!』


 差し出された手に触れる事は出来ないが、それでも気持ちだけでもと。

 握手が交わされ、共に笑い合う。


 彼女との出会いこそ最悪な物だった。だけど、共に死線を超えた事で、時間以上の繋がりが出来た気がした。

 俺の理想に少しでも近付く為に、彼女の力を借りて、強くなろう。

 今はまだ遠い目標かもしれない。けれど、少しずつでも進んでいこう。

 これから歩んでいく軌跡が、後世に伝えられる冒険譚になる事を夢見て。


 カシュアが駆け出し、こちらへと振り返ると、手を差し出してくる。

 

『さあ行こうぜ、レイン君! 長い長い冒険の始まりだ!』




 きっと俺は、この日の事を一生忘れない。





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以上でプロローグ終了になります。

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