#002 『カシュア・フィルメール』


 レインが飛び出した崖際で、冒険者狩りの男達は崖下を覗き込んだ。

 全力疾走のまま飛び出したのだ。余程運が良く無ければ、この高さからの落下で、生還するのは絶望的だろう。

 冒険者狩りの男の片割れ──ウッズは、苛ついたように舌打ちを一つ鳴らす。


「チッ、流石に追うのは無理か」


「どうする? 下流に回ってあのガキの荷物を回収するか?」


「あれだけ逃げ回ったんだから余程奪われたくないブツを持ってたのかもしれねぇ、もしかしたら遺物を持っているのかもな」


「なら決まりだ。ったくあのガキ、面倒掛けやがって」


 この場所から滝壺に向かうには、迷宮内を大きく迂回しなければならない。

 移動にかなりの手間が掛かるが、もし迷宮の遺物を持っているのなら話は別。物にはよるが、それ一つで数年、数十年単位で遊んで暮らせる程の金が手に入る可能性があるからだ。苦労してでも手に入れる価値が遺物にはある。


「遺物さえあれば隣街の闇ギルドへの賄賂としては十分だろうよ。何としてでも手に入れるぞ」


「ああ」



 冒険者狩りの男、ノイラとウッズは、元々普通の冒険者だった。

 Gランク冒険者だった事もあり、生活は苦しく、日々泥水を啜りながら生きてきた。

 それでも彼らはいつか日の目を見る事を夢見て、真っ当に生き続けていたのだ。

 だがある時、共同で依頼を受けた相手が魔物に奇襲されて死んでしまった事があった。死に際に託されたという事もあり、その冒険者達が身に着けていた遺品を回収し、死んでしまった彼らの意思を継ぐ為に使い続けていた。

 しかし、Gランク冒険者としていつまでも大成出来ず、最終的には飢えに耐え兼ねて、遺品を売り払う事となった。その遺品は迷宮の遺物だったらしく、彼らは簡単に大金を手にする事が出来た。……

 それまで日銭を稼ぐのですら必死だった彼らにとって、その大金は彼らの意思を折らせるには充分過ぎたのだ。

 そして──同業者を狩る事が手っ取り早く成果を上げられるという事に気付いてからは、同業者を狩る事だけに専念し続けるようになってしまった。

 結果、近隣の都市の冒険者ギルドに目を付けられ、街を追われたという経緯がある。



 やって来た道を引き返し、滝壺へと向かう二人。


「しかしこんな時化シケた迷宮でまだ価値がある遺物が見つかるなんてなァ」


「まだ遺物を見つけた訳じゃ無い、油断するな。……それに、迷宮は核が残り続ける限りは遺物や魔物を産み出し続ける。たまたま、あのガキがそれを見つけただけの話だろう」


「それもそう────ッ」


 その時、ズン、という重低音が背後から聞こえた。


「────ノイラ?」


 ふと、相棒の声が聞こえなくなり、ウッズは慌てて後ろへと振り返る。

 振り返ると、そこに居たのは──。


『ヴォモォォォオオオオオオオ!!!』

 

 【パラサイト・タイタンボア】。元々凶暴な猛獣である【タイタンボア】に、サナボラ樹海に生息する寄生植物型の魔物──【パラサイト・ヴァイン】が寄生する事で誕生する変異種の魔物。

 その特異性と凶暴性から、このサナボラ樹海の中でも最上位の“E”ランクに該当する危険な魔物だ。

 そんなパラサイト・タイタンボアの傍らに、瞳に光を失った状態で横たわるノイラの姿があった。


「……あ、ぁ……」


 目の前の光景に絶望し、思わずへたり込むウッズ。

 冒険者ギルドの設定した『ランク』の差は、一つ違うだけで絶望的なまでの戦力差がある事を意味する。

 Fランクの冒険者であるウッズだが、そのランクも“冒険者狩り”として他者から奪い取った成果で到達したもの。

 本来の実力・実績共にGランクであるウッズでは、どう足掻こうとも絶対に勝てない相手だった。


「くそったれがああああああああああああああああ!!」


 ウッズは半ばヤケクソになりながら立ち上がり、パラサイト・タイタンボアへと斬りかかった。

 だが────。


『ヴォヴォ』


「が、は」


 一蹴。その表現が相応しい程、ウッズは一瞬で叩き潰され──軽々とその命を散らした。


 他者を足蹴にして生きてきた男達の、当然の末路だった。




『ヴォヴォヴォ……』


 パラサイト・タイタンボアから伸びた蔓が、物言わぬ死体となって転がった二つの遺体を突き刺した。

 まるでストローから飲み物を吸い上げるように、彼らの肉体から血や栄養を吸い上げていく。


 足りない、足りない。


 もっと栄養を。生きる為の栄養を。


 そうだ、さっき見たあの


 あの子供の分の栄養も吸い上げれば……当分は生きていける。


『ヴォォォ……』


 パラサイト・タイタンボアは狡猾な笑みを浮かべる。

 そして、新たな獲物に狙いを定めて──静かに、その場を去っていった。







 ──焦土の夢を見た。



「誰か、誰か──」


 何もかもが焼け焦げ、黒ずんだ大地。そんな中、傷だらけの身体を引き摺る影が一つ。

 突如として魔物の大群が押し寄せ、少年の住む故郷の地を蹂躙した。

 家、財産、友、家族──全てを失った少年は、深い絶望をその眼に宿しながらあてもなく歩き続けていた。


「誰か──」


 足がもつれ、どしゃ、と音を立てて地面に倒れ込む。

 ざあざあと降り注ぐ灰色の雨が、少年の頬を打ち付ける。

 既に空腹は限界を迎え、傷だらけの身体にはまともに立ち上がる力すら残っていなかった。


「お父さん、お母さん、どうして……僕を一人にしたの?」


 少年の呟きに返答は無く、ただ雨の中に溶けていく。

 ただ降り注ぐ雨だけが少年を打ち続ける。


「どうして……」


 少年の頬に涙が伝った。

 押し寄せてくる魔物の軍勢に最後まで立ち向かった勇敢な父と母は、少年の目の前で無残に殺されてしまった。

 そんな彼らを誇りに思いつつも、齢5歳の少年にとっては圧倒的に寂しさの方が勝っていた。


「……っ、あ……」


 その時、少年を覆うように巨大な影が現れた。

 名も知らぬ、強大な力を秘めた魔物。舌舐めずりする音が聞こえ、少年はビクリと肩を震わせるが、抵抗する気は無くそのままゆっくりと目を閉じた。


(ああ、ようやく死ねるんだ)


 全てを失った少年に生きる気力は無く、ただその最期の瞬間を待ち続けていたが……少年に、その瞬間が訪れる事は無かった。


「────え」


 いつまで経っても来ない最期に、思わず目を開けたその時。

 一筋の光が、魔物を切り裂いていた。


「俺が来たからにはもう大丈夫だ。──もう誰一人だって、失わせやしない」


 勇者レクス。

 魔王討伐を掲げ、世界を旅していた最強の冒険者。

 その眼差しが放っていた輝きに、今も彼は焦がれ続けている。





『──大丈夫かい?』


「……ここ、は……」


 意識が戻って一番最初に飛び込んできたのは川のせせらぎの音だった。

 自分の置かれている状況をいまいち把握出来ていなかったが、すぐに状況を思い出して表情を険しくする。


「迷宮内か!? 俺はどれだけ気を失って……!!」


『安心しておくれよ、君が気を失ってからはそれほど時間は経ってない』


 慌てて起き上がってから、自分の傍らに佇んでいた少女を見て目を見開く。


「お前は……」


 そこに居たのは、先ほど出会った魔導士らしき少女だった。精緻な人形のように整った顔。腰ほどまでに伸びた銀色の髪の、蒼天を思わせる美しい青の瞳。

 お世辞にも起伏に富んでいるとは言えないが、それでも全体的にバランスの良い健康的な体つき。

 場所が場所ならば、一目惚れしてもおかしくはない風体の少女だったが、ここは迷宮。次の瞬間には命を失ってもおかしくはない場所だからこそ、目の前の少女に対して意識を完全に持っていかれる事は無かった。


 そんな視線を受けてか、少女は腰に手を当てて自慢げに微笑んだ。


『ボクが居なければ君はあそこで死んでいただろうね。ボクと出会えた幸運に、存分に感謝すると良いさ!』


「ああ。ありがとう。本当に助かった」


 少女に対して、即座に頭を下げてお礼を述べる。

 その様子を見て、少女は驚いたように目を見開くと、照れたように頬を掻いた。


『……そ、そんなに簡単に感謝されるとこっちが照れるんだけど……』


「両親から、誰かに助けてもらったら必ず感謝しろって叩き込まれていたからな」


『……良い両親に恵まれたんだね。まるでお師様みたいな人だ』


 そう呟くと、どこか寂しそうな雰囲気を纏わせる少女。その様子に疑問を持つが、それを遮るかのように少女は自分の胸をドンと胸を叩いた。


『自己紹介が遅れたね。ボクの名前はカシュア。10年前、と呼ばれた魔法使いさ』


「──ッ、勇者!? それに、カシュアって……まさか」


 俺の反応を見て、自身満々の笑みを浮かべるカシュア。

 当然知っている。かつて勇者に憧れた俺がその名を知らない筈が無い。


 ただ──。


!?」


『────』


 カシュア・フィルメール。


 それは、魔王との決戦の際、という、最低の勇者の名だった。

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