迷宮殺しの英雄譚

立華凪

プロローグ

#001 『少年と少女の出会い』



 今から十年前、勇者と魔王による決戦があった。

 勇者との長い戦いの末、世界を支配せんと覇を唱えた魔王は生涯を終えた。

 その死に際、魔王は自分を討ち滅ぼした英雄に、こう言い放った。


「下等な人間風情が、よくぞこの我を討ち破った! その偉業を讃え、褒美をくれてやろう!」


 魔王城が崩壊する最中、魔王が指を鳴らすと世界が揺れた。心臓を貫かれ、滅び朽ちていく魔王は最後の瞬間まで笑い続けていた。


「この我を超えてもまだ人が力を望むというのならば、挑むが良い!! 数多の苦難と試練が眠る、迷宮を踏破してみせろ!!」

 

 そうして。


 長きに渡る魔族との戦乱の時代は終わり、魔王が残した迷宮に挑む時代が到来した。


 ──デルベック・ノルマンド著【英雄回顧録】より抜粋。




 時は流れ、現代。


 世界各国は、自国内に出現した迷宮をその国が保有する資産とし、そこから産出される人智を超えた遺物によって目覚ましい発展を遂げていった。

 空を駆ける靴、恒久に輝き続ける灯、精霊を宿した魔剣──。

 そんな人智を超えた迷宮の遺物に魅了され、人は迷宮を攻略しようと躍起になり……数えきれない程の死者を産み出した。

 だが、死を覚悟してでも挑む価値が迷宮には存在した。だからこそ、命知らずの冒険者達は今日も迷宮に挑み続ける。


 勇者に憧れ、冒険者になった少年──レイン・シュナイダーもまた、その一人だった。





 流血が止まらない。

 意識は朦朧とし、次の瞬間には気絶しそうになるが、右目と左腕から来る灼熱の如き痛みが、消えかけていた意識を強制的に覚醒させる。

 地獄のような反復横跳びを幾度となく繰り返しながら、内心の後悔を吐露するように呟く。


「しくじった……」


 Gランク級迷宮、『サナボラ樹海』。

 冒険者ギルドが設定したの迷宮であるこの場所で、俺は重傷を負った状態で地面に転がっていた。


 ──見込みが甘かった。


 このダンジョンと同じランクで格付けされている自分でも、十分に攻略が可能であると思い込んだのがそもそもの間違いだったのだと、そう結論付ける。

 事実、ギルドが選定した迷宮のランクは、そのランクの冒険者達がパーティを組んでようやく攻略が可能である。

 一人で挑みたいのであれば、最低でも一つ上のランク──Fランク冒険者であると認められた人間で無ければ、自殺行為にも等しい行いなのだ──と、冒険者ギルドの事務員さんがそんな事を言っていたような気がする。

 だが、手元の資金は尽き、功を急かなければならない状況だったのだ。


(一人でこの迷宮を攻略出来れば、手っ取り早くFランクに上がれると思ったのに……)


 Gランク。迷宮を管理する冒険者ギルドが設定したランクの中でものランクであり、世間一般では軽蔑の対象と成り得るランクである。

 大した依頼も受けさせてもらえず、専属冒険者としてギルドに雇われる事も無い。

 フリーの冒険者として、日銭を稼げる程度しか収益も無いという、夢の無い仕事。

 かつて、幼い自分を救ってくれた勇者に憧れ、冒険者になれば彼のようになれるだろうかと淡い幻想を抱いていた時代の自分に、今の自分の姿を見せてやりたいぐらいだ。


「……まだ死んだわけじゃない。感傷に浸る前に、まずは生還しないとな」


 自己嫌悪に陥っていた俺はふ、と乾いた笑いを漏らす。

 最低でもFランクの冒険者になれば周囲の評価は変わり、それなりの依頼が舞い込んでくるようになる。

 日銭を稼ぐので精一杯の現状を打破するには、単身で迷宮を攻略出来ずとも、せめて生還するぐらいの実績を積まなければならない。……それを実績と呼べるかどうかは置いといて、アピールポイントの一つぐらいにはなるだろう、と淡い期待を込めて。


 痛む身体に鞭を打ち、身体をゆっくりと起こすと、地面に突き刺さった愛用の短剣を拾い上げる。

 そして、その近くに転がっていた魔物の残骸──魔石を回収し、腰に下げた袋へと入れた。

 中身が零れ落ちないように、紐を引っ張って収納した事を確認してから、苦笑する。


「こんなに苦労して魔物一匹倒したってのにこの傷の薬代にすらならないかもな……とんだ骨折り損だよ、全く」


 止血処理をした後に、傷口に薬草を貼る。そして、携帯していた布を左腕に巻き、きつく縛り上げる。

 縛り付けた際の痛みに思わず顔を歪めながら、自分がやってきた道の方へと視線を向けた。


「……欲をかいて死ぬわけには行かない、引き返そう」


 冒険者稼業において、一番大事な事はである。


 それだけは、良く理解していた。




 

 『サナボラ樹海』は青々と生い茂る樹木が迷宮全体に広がっているのが特徴で、目印を付けながら進まなければ帰り道が分からなくなってしまうぐらいには広大だ。

 その広大さ故に、本来はFランク相当の難易度なのだが、出現する魔物が『火に弱い』という共通の弱点を持ち合わせている為、Gランク迷宮として扱われている。

 ただし、日銭を稼ぐ事ですら精一杯だった俺が用意出来る数なんてたかが知れていて、とっくに火を起こす為の道具は使い切ってしまっていた。

 だからこそ、身の丈に合わない魔物と交戦し、重傷を負う羽目になってしまったのだ。


 帰る際の目印として予め樹木に刻んでいた短剣の痕に指をなぞらせながら、痛む身体を引き摺ってゆっくりと歩いていく。

 初めての迷宮探索は散々だった。既に迷宮内において貴重な食料は尽き、飲み水も残り僅か。左腕はきつく縛り付けているので使い物にならず、傷を負った右目も僅かにしか開かない。

 これだけの代償を支払っているというのに、倒した魔物はたった数匹。

 手に入れた魔石をギルドに売り払ったとしても、きっと宿代すらも払えないだろう。

 今晩も、不衛生な路地裏での野宿が確定した。


「この有様を見られたら、あのギルドのお姉さんに滅茶苦茶怒られそうだな……」


 初めてギルドに訪れた時、自分の応対をしてくれたお節介な女性を思い浮かべて、深々とため息を吐いた。

 と、憂鬱な気持ちで歩き続けていると、視界に二人の男の姿が映った。


「──人だ。冒険者か?」


 そう呟いてから木陰に身を隠し、息を殺して彼らの動向を伺う。

 相手が人であるのにも関わらず、こうして姿を隠したのには訳がある。


 冒険者は、決して善人ばかりではない。命を賭けて危険な迷宮に来ているのだから、同業者は味方とは言い切れないのだ。

 最悪の場合、相手の手に入れた遺物や魔石を求めて、戦闘に発展する恐れもある。

 今の自分は、怪我をしている上に一人で行動している。……もし相手が善人では無かった場合、恰好のカモでしかない。


「ここら辺の魔物は居ねぇみたいだな、もう狩られた後か?」


「さっきの冒険者はなーんも持ってなかったしなァ、奥に行ってるかもな。さっさと探し出して狩ろうぜ」


 その声を聞いて、自身の判断は間違っていなかった事を再確認すると、鋭く眼を細めた。


(……か、最悪だな)


 冒険者狩り。それは、冒険者の中でも、悪質な部類の人間。迷宮を探索して魔物から得られる素材や貴重な遺物を手に入れるよりも、それらを手に入れた人間を襲撃して利益を得る存在。

 本来、冒険者ギルドでは、同業者殺しは禁忌とされている。

 だが、迷宮の中ともなると、同業者を殺したかどうかの判断をする事が出来ない。迷宮内で死んだ冒険者は、放置すれば迷宮の養分として吸収されるので、実証しようが無いのだ。

 この手の輩は、そうして強奪した成果を、まるで自分の手柄のように振る舞うから余計に質が悪い。


(下手に動けば気付かれる。ここはこのまま息を殺して、やり過ごして──)


 逸る鼓動を抑え、冒険者狩り達の動向を伺っていると──。


「ッ!?」


『キシャシャシャシャシャシャシャ!!』


 カチカチと歯を鳴らすような不快な音が耳のすぐそばから聞こえてきたかと思うと、勢い良く触手が襲い掛かった。

 先ほど戦闘し、負傷させられた相手──『リトルフラワー』と呼ばれる食人植物の魔物だ。

 直前に気付いたお陰で、間一髪身を躱す。その小さな身体からは想像の付かない程の威力の触手が木に叩き付けられ、ミシミシミシ!と木が盛大に軋む音が周囲に響き渡った。


(やばいッ……!!)


 咄嗟にリトルフラワーから視線を外し、先ほど冒険者狩り達が居た方へと視線を向ける。


「隠れてやがったのか!」


「魔物も居る、事故死の偽装に丁度良い……!! やれ!」


 想定通り、彼らは下卑た笑みを浮かべて、こちらへと駆け出していた。

 舌打ちを一つ鳴らすと、即座にその場を離脱する。


「ああクソ、本当に最悪な一日だ……!!」


 一番最悪なパターンを引いた。魔物と交戦しようにも、冒険者狩りに追い付かれてしまえばその時点で終わり。冒険者狩りを撒けたとしても、万全の状態で戦って重傷を負った相手に勝てる訳も無くて終わり。

 昔から自分は運がある方とは思っていなかったが、それにしたってツイて無さすぎる──そう思いながら、ひたすらに足を動かし続ける。


(闇雲に走り回れば遭難するのは確定、でも出口に向かおうとすれば冒険者狩りに先回りされる……!! どうすれば良い!?)


 窮地に陥りながらも、自身が生還する為に必要な手段を求めて思考を巡らせる。


 たまたまこの迷宮を訪れた善良な冒険者に助けを求める? いいや、それでその冒険者も冒険者狩りだったら終わりだ。

 魔物の動きを予測して、冒険者狩りにぶつける? それも駄目だ、冒険者を専門で狩るような連中がこの迷宮程度の魔物に苦戦する筈が無い。


 取り敢えずは逃げ続ける事でしか生き残る道は無い。冒険者として大成すると決めた以上、こんな所で死ぬわけには行かないのだ。


「はぁ……!! はぁ……!! 帰り道は分からなくなるが、こっちに行けば……!!」


 幸いと言うべきか、大人の人間である冒険者狩り達とは違い、俺はまだ十代半ば、成長途中の身だ。

 その体躯の差を活かし、狭く入り組んだ地形を全力で走り抜けていく。


「クソ、あのガキ怪我してる割にすばしっこいな!」


「だが、逃げるってことはそれだけ良いモンを持ってるかもしれねえ! 見失うな!」


(こっちは宿代すらまともに払えないようなショボいもんしか持ってねーっての!!)


 声を荒げて反論したい所だが、走り続けている影響で呼吸すら苦しい状況だ。

 それに、そう言った所で彼らが信用しないという事は目に見えていた。

 逃走を続けながら、思考を巡らせ続ける。


(幸い、右目も開くようになってきた。……どこか、隠れられる場所を見つけないと!)


 血と泥によって微かに赤みがかった視界ではあるが、無いよりはマシだった。

 無理に開こうとしているせいか、灼けるように右目が痛いが、泣き言を言っていられる程余裕がある状況じゃない。

 今は少しでも遠くへ逃げ続けるしかない──そう思っていると、視界に木に寄りかかって座り込んでいる一人の少女の姿が映った。

 何故こんな所に──そう思いつつも、咄嗟に叫ぶ。


「おい、そこの女の子! 冒険者狩りに追われてる! 死にたくなかったらあんたも逃げてくれ!!」


 魔導士だろうか。鍔の広い三角帽子を被り、どこか途方に暮れたような表情で座り込んでいた少女は、俺の声を聞いて、ゆっくりと顔を上げた。

 何故か動こうとしない少女の横を、足早に駆け抜けていく。


「俺はちゃんと伝えたからな!? 逃げないのなら出来るだけ早く身を隠せよ!! ──げほっ!!」


 ただでさえ全力疾走で酸素が不足していると言うのに、無理をして叫んだ代償に咳き込んでしまう。

 正直、他人を気遣っている余裕など無かった。だが、自分とあまり歳の変わらないように見えたあの少女に対し、何も言わずに逃走を続けるのは酷と言う物だった。

 言うなればただの気まぐれ程度の行動だったのだが……。


 ──その少女に声を掛けた事で、俺の運命は大きく変わる事となる。


『ねぇ!』


「は!?」


『君には、ボクの姿が見えるのかい!?』


「ッ、何を言ってるんだ!? 見えるに決まっているだろう!?」


 先ほど置いていった筈の少女が、いつの間にか自分の隣に並んでいる事に気付き、思わず驚いて声を上げる。

 自身とは比較にならない程の身体能力。恐らくはEランク、もしくはDランク相当の冒険者なのだろうか。

 そう思って少女の姿を改めて見直すと、ふと違和感に気付いた。


「な、お前、浮いて……!?」


 その少女はで並走していたのだ。

 浮遊の魔法が存在する風魔法の中でも、浮遊系統の魔法は高等魔法とされている。

 だが、少女がそういった魔法を使っているような痕跡は見られなかった。

 その違和感に、目の前に居る少女に対して、警戒心を強める。


 それに気付いたのか、少女は慌てた様子で、早口で語り出す。


『待ってくれ、ボクは怪しいものじゃない……って言うと、逆に怪しいか……。ええと、とにかく!! ボクの事情について話すと長くなるから、今は現状をどうにかする事を優先しよう。……さっき、君は追われているって言っていたよね?』


「そうだ……!」


『良いかい、よく聞くんだ。……この先には滝壺がある。そこに飛び込めば一か八か助かるかもしれない』


「一か八かって……!」


「クソガキが、追い付いたぞ!!」


「……ッ!!」


 なるべく生還率が高い方法を考えたいのだが、そうも言っている暇は無さそうだった。

 身体能力は冒険者狩りの方が上であり、その間の距離はどんどん縮まっていく。

 崖が迫ってくる。その滝はそれなりの高さだという事が分かり、一瞬の躊躇いを覚えた。だが少女は、そんな俺の不安を和らげるように、柔らかく微笑んだ。


『──大丈夫。、君を絶対に死なせやしない』


 背を押すように、少女は俺の肩にそっと触れた。

 そして、決意を固め──全力疾走のまま崖から飛び出した。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!」


 数十メートルはありそうな高さからのダイブ。落下を経て徐々に加速していき、心から湧き出る恐怖を掻き消すように咆哮する。

 これまでの人生が走馬灯のように駆け巡るが、着水するその瞬間まで、決して目を閉じなかった。

 そして、着水すると同時に──意識は遠退いていった。

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