第13話 パープルアイズ
一瞬なにかおおきくて黒いものが生えたと思ったら、すぐに消えてしまった。
あたしにはなにが起こったのか一体全体わからなかったけど、まばたきせずに見ていたポーとメガネウラが落ちてきているのはわかった。
「あっ!あっ!」
あたしはアホみたいに口をあけて、両手をさしだして、ポーを受け止めようと駆け出した。
メガネウラがふたつになって落ちてきたけど、今はそれどころじゃない。
ポーだ。ポーを受け止めないと。この命に代えても。もともと、もらったものだから。ちゃんと返すから。
けど、ポーはなかなか落ちてこなかった。
まるで羽毛のようにフワリ、フワリと落ちてくる。というか、飛んでいる。
「ヨッ、と」
ポーはひとりで楽々着地したのだった。背中にはなぜか黒い羽が生えていた。
「やあ、出迎えありがとう。ふふっ、ナナちゃんはおどろいた顔もキュートだね」
いつもどおりの軽口とともに羽はたたまれて、ポーの影にシュルリと溶けていった。
「…ポーってやっぱり悪魔だったの?」
「ん?やっぱりとはどういうことかな?」
むらさき色に発光した瞳がよけいに悪魔感を出していた。
あたしはもう頭が爆発寸前で、ボンヤリしていると、いきなりうしろから押し倒された。
「いっつ…!」
「わり」
テイラーだった。
熱くてベットリしたものが、顔に落ちてきた。赤い。
真っ二つになったメガネウラの片方が最後の力をふりしぼり飛んだのがわかった。目の端にうつったメガネウラの口が、赤く血まみれになっていたから。
「て、テイラー…?」
あたしはテイラーの背中にふるえる手をのばした。なんでそんなことをしたのかわからない。両手にやっぱりベットリと熱い血がついた。
テイラーの背中はおおきく裂けていた。
「やだ…!なんで!助けないでって言ったじゃない…!」
あたしはせっかく助けてくれた相手にひどいことを言う。
あたしを助けて死なれるくらいなら、自分が死んだほうがいい。
「へっ…!やだね。俺はお前を絶対に助けるね」
痛みをこらえ、テイラーはまるで憎まれ口のように言った。
「なんで…?」
テイラーはあたしのほっぺたにやさしくふれた。
「泣きそうな顔して悲しいこと言ってるからだ」
テイラーの手はとても熱かった。だから、あたしのほっぺたもとても熱くなった。
…いや、これは熱すぎないか?
「こら、いつまでナナちゃんにおおいかぶさってるんだい」
ポーがテイラーの頭をスパーンと叩いた。
ひどい。いくらなんでもあまりに思いやり無さすぎじゃないか?テイラーといえども、けが人だぞ。それも大けがだ。
「ちぇ、わかったよ」
だが、テイラーは軽く返事をするとあたしに「耳ふさいでな」と言った。
テイラーは吠えた。
それはまさしく獣のような遠吠えで、あたしはとっさに耳をふさいだ。
そして、あたしのうえでみるみる変わっていくテイラーをまじまじと見つめているしかなかった。
テイラーはいつもよりさらにおおきくなった。全身にフサフサしてそうな毛が生え、口には立派な牙が生えた。
テイラーのからだから熱風が吹いた。
「ふぅ。これやるとどんな大けがでもすぐに治るんだ。腹は減るけどな」
テイラーはするどい犬歯をむきだしにしてニカッと笑った。
あたしはクラクラが極みに達して気絶してしまった。
テイラーは狼人間だった。
遠のく意識のなかで、あたしは食べられるのかな?と思った。
でも、こんなにうつくしい獣になら食べられてもいいかもって思った。
あたしは食べられていなかった。
起きたら、屋根裏部屋のベッドに寝かされていた。
「…わ」
おどろいたことにネコのトラ子さんとクロエさんもベッドに寝ていた。
そしてなぜかテイラーも丸まってベッドに寝ていた。テイラー、クロエさん、トラ子さんに囲まれて寝ていたようだ。
「やあ、起きたね」
声のしたほうを見ると、ポーがソファにすわってこちらを見ていた。月の光を反射して、むらさき色に瞳が光っているが、さっきのように自分で発光はしていなかった。
「…うん」
まだ寝起きで頭はぼんやりしていたが、あたしはさっきのことを夢とは思わなかった。
ポーは黒い羽を生やし、テイラーは狼人間だった。
「なにか聞きたいことはあるかい?なんでも答えるよ」
ポーがやさしげに言った。
「…桜山兄妹はどうなったの?」
とりあえず、そこらへんから聞いておいた。
「起きたら、いろいろ夢だと思ってもらってお帰りねがったよ。動画も消してもらった。騒がれてはめんどうだからね。ぼんやりしていたけど、だいじょうぶ。無事だよ」
夢だと思ってもらう術を使ったと言わんばかりの口ぶりだった。
「木彫りの大熊は?」
「テイラーががんばってくれた」
「そっか」
ひとりで作業場まで運んでくれたのだろう。まあ、あの狼人間の姿ならかんたんそうだ。力すごそうだったし。
「強盗さんは無事かな?」
「自力でがんばって森を出て、病院に行ったよ。だから無事さ。まあ、そこでつかまっちゃったみたいだけどね」
「だいじょうぶ?」
「ん?」
「騒がれたらめんどうなんでしょ?」
ポーはうすく笑った。
「だいじょうぶだよ。子供を人質にとってなんかいないし、デカいトンボも彼は見ていない。ボクらにも会っていないからね」
「そっか…」
あたしは意を決して聞いた。
「あたしの記憶も消すの?」
「キミが望むならね」ポーは真剣なまなざしであたしを見つめた。「キミが望むなら、今日一日はなかったことにしてあげよう。こわい思いをしただろうし、なによりこれから一ヶ月もボクらと過ごすのはこわいだろう」
「ムリすることはないぜ」
「わっ」
いつの間にか起きていたテイラーがいきなり言った。
「おまえがどんな選択をしようとも、だれも責めやしない」
あたしはふたりのむらさき色の瞳に見つめられていた。
だからなのか、まだ寝ぼけていたのかわからないが、あたしは自分でも思いがけないことを聞いた。
「…ねえ。あたしはあなたたちに甘えていいの?」
テイラーとポーは一瞬ふたりで見つめ合って、クスリと笑いあった。
「あたりまえじゃないか。ナナちゃんはボクの大切な妹だからね」
「あたりまえだろ。ナナは俺の大切な弟だからな」
声がかぶった。
「…おまえ、まだ弟とか言ってるのか。こんなかわいい女の子つかまえて」
「ナナには無限の弟の可能性がある。俺はそう信じてる」
「なんだそれは。呆れたやつだな」
「無限に妹いるやつには言われたくないね」
テイラーとポーが口げんかを始めた。
「…ふふっ」
あたしはつい笑ってしまった。
いつかこの口げんかに参加できる日が来るだろうか。妹として、弟として。
ふたりのむらさき色の瞳が、こちらを向いてやさしげに光った。
テイラーがめずらしくモジモジしながら切り出した。
「…なあ、お前がどんな選択しようといいけどよ。これだけは言っておかなきゃなんねえから言っておく。助けないでなんて、言わないでくれ。助けてって言ってくれ。…弟じゃなくてもよ」
「…うん。ごめんなさい」
ポーが近づいてきて、あたしのほっぺたにキスをした。あたしは前みたいにおどろかなかった。自然なこととして、受け入れていた。
「テイラーはさみしがり屋さんなのさ。そして、ここだけの話、ボクもね」
耳元でささやかれた。
ポーはいたずらっ子のような微笑みを向けて言った。
「記憶の件は明日また聞かせておくれ。テイラー」
「おう。おやすみ。ああ、そうだ。腹へったら、下の冷蔵庫にオムライス入ってるからな」
「うん、ありがと」
「俺特製のうまいやつだぜ」
テイラーはウィンクした。
あたしもウィンクを返そうとしたが、どうしても両目をつむってしまう。
ふたりは屋根裏部屋の階段をおりていった。
「…どうしようか?トラ子さん、クロエさん」
トラ子さんとクロエさんは『そんなの知らないわ。自分で自由に決めたらいいじゃない』とでも言うかのように片目を開けて、すぐに閉じた。
暗闇のなかで、スプー、スプーというネコたちの寝息をあたしはずっと聞いていた。
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