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その前に蒼はつむぎからコスチュームだけでなく、シェービングフォームと女性が使う顔用のカミソリを渡され、露出する部分のムダ毛処理をするよう言われた。
蒼は抵抗することなく洗面所で生まれて初めてのムダ毛処理をしたあと、マジカル・ジェダイトのコスチュームを身につけた。スパッツなので違和感は少ないが、腰回りのひらひらが気になった。
洗面台の鏡をみるとそんなに違和感がないのは、ジェダイトがボーイッシュなキャラクターだからだろう。救いだった。
縁側に戻ると女子2人は洗い物を終えてコスプレ衣装を着用した蒼を今か今かと待っていた。蒼の姿を見た瑠璃は今にも感涙しそうだった。
「おお……腹筋がきれいに割れてる。ウェストが細い。おへそかわいい。ダイエットなんて必要ないよ、これ」
「こんなことのために僕は筋トレしてきたんじゃない……」
蒼はお腹を手で隠し、心の中で涙する。
「まだまだですよ。ウィッグに合わせて、メイクしますから」
つむぎがメイクボックスを開ける。
「中学生なので、100均コスメでご容赦です」
「そもそもメイクされることに、ご容赦ですと言って欲しいよ」
「はい、ご容赦ください」
「感情のかけらもない」
「るりりんも準備してきて? その間に終わらせます」
つむぎの言葉に瑠璃は頷き、瑠璃は洗面所に向かった。
「彼女も?」
「合わせます。椅子、あるかな」
つむぎに言われて丸椅子を持ってきて、その椅子に座らされる。
「瞳は……ジェダイトは茶で、細野くんも地で茶だから大丈夫ですね。眉は形を整えるくらいで。日常生活に支障を来すのはよくないですから」
つむぎは超速で蒼にメイクをほどこす。手鏡で見せて貰うと陰影がはっきりして深い顔立ちに見える。それからウィッグネットと赤茶色のウィッグを順番にかぶせられ、ウイッグの形を整え、メイクの手直しをして完成、らしかった。
「姿見がないのでお見せできないのが残念ですが、いいデキですよ。というか、このウエストなんですか? スカートはゴムだから安心だと思っていましたが、そんな必要なかったじゃないですか。細野くんだけに細い?」
「そんな名前の回収しなくていいです」
「もう完全に男の娘ですよ。るりりんが喜ぶ姿が目に浮かびます」
そうつむぎが言い終わった頃、居間の入り口に気配がした。
「ジェダイトが、マジカル・ジェダイトがいる。かわいい! かわいい! かわいい!」
そういう瑠璃こそ、すっかりマジカル・クリスタルに変身済みだ。クリスタルはフェミニン担当のキャラクターなので、アニメ調全開のお姫様系コスチュームである。瑠璃の方こそ、もとが完璧に美少女なだけに、2次元から抜け出してきたかのようなマジカル・クリスタルぶりだった。蒼は呆然としてしまう。
「コスプレすごい!」
「――ジェダイトも本当にすごいよ!」
瑠璃はスマホを手に、360度から蒼を撮影する。蒼は戸惑いを隠せなかったが、瑠璃の気が済むまで撮影させた。
「かわいい、かわいい、かわいい! 女顔だから前からかわいいとは思っていたけど、ここまでとは思わなかった!」
「え?」
瑠璃の心の声が漏れたのだとわかり、蒼は恥ずかしくなって俯いた。
「坂本さん、そんな風に僕のこと見ていたんだ……」
「心の声が出てしまったので……ごめん」
瑠璃はしゅんとしてしまうが、蒼は顔をあげ、言葉を選んで返答する。
「僕は男だから、かわいいって言われてもあんまり嬉しくないけど、今はマジカル・ジェダイトだから、素直に嬉しいよ」
「!」
瑠璃は言葉にならないようだった。
「早速カメラテストをしましょう。せっかくだから外の桜の木の下で撮りますか。太陽も上の方にあるからよさげですよ」
つむぎがミラーレス一眼を取り出し、庭に出る。瑠璃が続き、蒼は新品のブーツのまま降りるのがためらわれたが、瑠璃に呼ばれて降りた。
生け垣の外に出て、桜の木の下に赴き、2人はスタンバイする。
桜の木は堤防上の桜と同じく七分咲きで、花びらが舞い落ちている最中だ。
「絵になるね」
表情を作ったりポーズをとる間もなく、つむぎは連写を始める。素の表情でいいのかと思い、戸惑っていると瑠璃、いやマジカル・クリスタルが蒼に寄り添った。
「カメラ目線、カメラ目線」
瑠璃の声で蒼はつむぎが構えるミラーレス一眼のレンズを見る。瑠璃は表情を作って笑っているのだろうかと思うが、見ることはできない。
「ジェダイト、表情硬いよ」
つむぎに言われてもいきなり笑うことなどできない。
「えい」
瑠璃が蒼の肌を見せている脇腹をくすぐった。
蒼は小さく悲鳴を上げ、再び連写の音がする。
「坂本さん、ひどいよ!」
「緊張ほぐれるかと思って」
「そうだけど――恥ずかしいよ」
「私だって本当は恥ずかしいよ。細野くんの脇腹……触っちゃった」
その言葉に驚いて蒼は隣のマジカル・クリスタルを見る。彼女は俯いてモジモジしてしまっていて、つむぎが大きな声を出す。
「こっち見て!」
そうだった、とカメラ目線を思い出し、蒼もミラーレス一眼のレンズを見ると、つむぎが満足げに頷いていた。
「カメラテスト終了。最後はいい顔してましたよ。見てください」
つむぎが2人に寄ってきて、撮影した画像を見せる。最初は堅そうな表情のマジカル・ジェダイトだったが、クリスタルにくすぐられて真っ赤になり、次はクリスタルも恥ずかしそうに俯き、最後はびっくりしたという表情で2人の目線が合っていた。コミカルな感じで撮れていて、蒼は悪い気がしなかった。
「僕も坂本さんも、こんな表情をしているんだ」
クリスタルの恥ずかしげに俯いている画像から最後までは素の表情が出ていた。自分も瑠璃もかわいらしく、笑顔の一瞬が切り取られている。
「というか、困ったことにマジカル・ジェダイト、普通にかわいいんですが」
「でも細野くんだよ。間違いなく」
ミラーレス一眼の小さな液晶画面をのぞき込みながら、クリスタルが頷く。
「そっか……これなら外に出て屋外ステージで演奏しても大丈夫かな。本当に変身みたいだね。僕だとはとても思えないし、男の娘だとも気付かれない」
「2人で変身だ」
クリスタルの中の瑠璃が、真顔で蒼に言う。コスプレは単に彼女の夢を実現させるための一手段だと蒼は考えていたが、それだけではないことも感じていた。それが一体何なのかまでは、コスプレ初体験の蒼にはわからない。
「うん。問題はこの衣装を着たまま、ギターを弾けるかだけどね」
「そんなゴチャゴチャしたコスじゃないから大丈夫でしよう」
つむぎが言う。その通りかもしれない。腰回りのひらひらが気になる程度だ。
「細野くん、順応性高いね」
クリスタルが笑い、蒼はそうかも、と頷いて笑った。
その後は、ブーツの底を雑巾で拭いてから縁側に上がり、パーツの検討に入る。ややシャープさが足りないパーツ、あまりにも安っぽいパーツはつむぎが新しく作ることにした。そのほかは労力が見合わないし、時間もあまりないのでストリートライブ後に再検討することにした。蒼の眉毛は直前に剃って最低限形を整えることにした。眉毛消しはファンデーションシールか何かでやるにしても、余分な部分はない方がいい。
瑠璃もつむぎも楽しそうで、自分が楽しいことに打ち込むことほど幸せなことはないと蒼は再確認した。自分の場合はアコギだな、と祖父に感謝をした。
つむぎは塾の時間だからといって先に帰り、蒼と瑠璃で戸締まりをした。
生け垣の門から自転車を押して出るとき、瑠璃が言った。
「こんなことまで付き合わせちゃって、本当にごめん」
妙にしんみりした物言いで、蒼は少し考えてから答えた。
「僕たちが『付き合っている』って確認したのはこの家でだったね。『こんなこと』も含めて僕たち『付き合っている』んだと思う。だから、謝ることはないよ」
瑠璃ははっとしたように唇を真一文字にして、少ししてから応じた。
「『付き合っている』って言い出したの私だったのに、ぜんぜんわかってなかった。言葉って、難しい」
「うん。それでも言葉でお互いを理解しようとすることを諦めたくないな」
瑠璃は大きく頷き、そして気がついたようにスマホを取り出した。
「でも、このかわいらしさは言葉だけでは語り尽くせないよ」
そして先ほど撮った蒼のマジカル・ジェダイト姿の画像を愛でた。
「普段の君のかわいらしさの方が、その画像よりずっと語り尽くせないかな」
蒼は逆襲を仕掛けたが、瑠璃が真っ赤になって絶句しているのを見て、反省した。どうも瑠璃のメンタルにクリティカル攻撃だったらしい。
「ごめん」
「――ううん。こういうやりとりも含めて私たち『付き合っている』んだと思うから。むしろ、嬉しい」
そして瑠璃は得意げに笑顔を作ってサムアップした。
「強いなー坂本さんは」
「強いですよ。強くないと細野くんと渡り合えないんだから」
「僕ってそんなに、あれ、というかなんというか?」
「手強いねえ。覚悟していてね」
「――はい」
蒼は訳もわからず頷いた。
その後、2人は自転車で帰路につき、堤防下の水神宮にお参りした。
水神宮で2人はストリートライブの成功を祈り、屋外ステージを借りる日を3月31日に決めた。『
「やっぱり私たち、同じこと考えてるね」
瑠璃の言葉に蒼は大きく頷いたあと、2人は別れたのだった。
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