第12話 変身
1
蒼は瑠璃からの連絡を受けて、クスッと笑った。
〔今度は私がハーブティーを持って行くから、いれてね〕
茶葉の準備はいらないようだ。
蒼は帰宅してすぐ、ラジオのクラシック番組を聞きながら昼食の準備を始め、合間に勉強して、ギターをつま弾いた。
フライパンの中の鶏胸肉を極低温でローストしてしっとり仕上げ、食べる直前に添えるためのミントとジンジャーとヨーグルトのソースを作る。
ミントはさっき堤防沿いに映えていたものを摘んできた採れたてだ。ヨーグルトは今、冷蔵庫の中で水切りの最中だ。
メインはこんな感じで、野菜室にプチトマトとレタスがあることを確認。彩りも悪くない。
炭水化物は食パンを七輪で焦げ目をつけよう――ああ、ドライフルーツもあるな、とプランをたてる。
ながら勉強で数学の復習。調理の間に1、2問解ければ上々だ。
それにしても今日も瑠璃はかわいかったと蒼は感慨にふける。
桜の木の下の瑠璃は本当の妖精のようだった。
自分の幸運を素直に喜ぶ。付き合ってはいるが、恋人ではない。とても不安定な関係だが、今は仕方ないと思うし、頼られているだけで十分だと思うようにしている。周囲に関係をオープンにできただけ、すごく気が楽になっていた。
とはいえ、最近、彼女はずいぶん自分を意識してくれているように蒼は思う。恋人っぽいとか、桜茶で結婚のキーワードが出たらバタバタしたりと、思うところはある。僕の方がこの感情を恋だと認めてしまったらどうなるのだろうと思う。きっと彼女のエリアに大きく踏み込むだろう。
それは、怖い。
しかし魔法少女のコスプレを懇願してくるくらいなのでとりあえず様子見だ。
気を許していなければ、断られるだけだと考えるだろうから、こんなことを頼むはずがない。
「時間か」
極低温で皮目の方を30分ローストした鶏胸肉をひっくり返し、裏面は余熱で調理する。これで鳥ハム的なしっとり鶏胸肉ローストのできあがりだ。少し出てきた肉汁はヨーグルトのソースに入れてしまう。
サラダ用の野菜をタッパーに詰め、冷蔵庫に戻し、鶏胸肉ローストの焼き上がりを待つ。食パン1斤を折りたたみコンテナに入れ、準備はだいたい完了だ。
これから女の子キャラのコスプレに挑戦か――と思い出すと鬱になる。
了承したことだ。あれこれ考えても始まらない。
保冷バッグに調理済みのものを詰め、喜ぶ瑠璃の姿を脳裏に浮かべる。いや、委員長も来るんだったな、と蒼はイメージを付け加える。沢田くんを呼んだらきっと委員長も喜ぶだろうと思いつつも、コスプレ姿を見せたくないので、今日は決して呼べないと思う。
準備を完了した蒼は自転車に乗って一足先に祖父宅へ行き、雨戸と引き戸と障子を開けて換気と掃除をし、熊手を見つけ出して、外の桜の花びらを1カ所に集める。
七輪に火を点け、ラジオからのど自慢大会が聞こえてきた頃、外から自転車が止まる音が聞こえてきた。瑠璃とつむぎだった。
つむぎが桜の木を眺めながら庭に入ってきて、瑠璃の姿が見えた。
瑠璃は朝の格好ではなく、白いワンピースを着てきていた。
「いいところですね」
つむぎが感心したように言う。
「委員長も共犯ですか」
「うーん、主犯は彼女ですが、確かに共犯です」
瑠璃はつむぎの陰に隠れるようにして立っていて、言われてそっと顔を出した。
「朝ぶり」
「うん。もしかしてウインドウショッピングのときに合わせたワンピース?」
瑠璃は頷いた。
「まだ、残っていたから」
「すっごく似合ってる。春らしくてとってもいいね。かわいいよ」
「――ありがと」
瑠璃は借りてきた猫のようにつむぎの陰に隠れたままだが、蒼は脳内シャッターを幾度となく切り、保存した。
それにしても瑠璃の態度の変化に蒼はついていけない。まず考えられることから口にした。
「コスプレするって決めたのは僕なんだから、そんなに罪悪感を感じなくてもいいよ」
「違うの、そうじゃないの」
「あ、そうなんだ。ワンピースとっても似合っているから、よく見せてよ」
瑠璃はつむぎの陰に完全に隠れた。
「野良猫じゃないんだから。隠れたら見せられませんよ」
つむぎが横に動き、蒼は瑠璃のワンピース姿の全身をようやく拝むことができた。脳内シャッターがまた作動し、記憶にとどめた。
ワンピースの裾が、春風に揺れていた。
いつものことながら、蒼の脳内での瑠璃は、かわいらしさが人類を超越し、あたかも天使が降臨したかのようにきらきらと輝いている。
脳内物質のせいだろうな、と蒼は冷静に考えた。
「るりりん、心の声」
「やった!」
つむぎと瑠璃の間に何のかけ声かわからないやりとりがあった。
「委員長、坂本さんのこと、るりりんって呼んでるんだ。そういえば坂本さんの方は名前呼んでいるものね」
「2人きりのときはそうですよ。細野くんも、るりりんって呼んであげてはいかがですか?」
「ええ?!」
蒼の動揺を見てか、瑠璃は恥ずかしげに俯いた。
「いや。今日はもう限界が近いから、初コスプレに全力を向けるよ」
「それは残念ですね、るりりん」
瑠璃から返答はなかった。
蒼は2人を縁側に招き、盛り付け済みの鶏胸肉のグリルを縁側に置き、軒下の七輪で食パンを焼く。食パンは一口大に切り分けて、同じく切り分けた鶏胸肉やサラダの野菜と一緒に食べられるよう、一皿に盛る。
「いつものことながら手際いいなあ」
瑠璃が感心したように言う。彼女のいつもの調子が戻ってきたようで、蒼は安堵する。
「今日からしばらくヘルシー志向です」
「どうして?」
瑠璃が愛らしく首を傾げ、蒼は目をつむる。
「ウェストを絞るために」
「コスプレする前から意識が高い」
つむぎが感嘆の声をあげる。
「無様なお腹を見せたくない」
サーブを終えた蒼も縁側に座る。
もちろん瑠璃の隣に自然に座ったが、鶏胸肉を挟んだパンを持つ瑠璃の手は一瞬止まった。
「ヨーグルトミントのソース、きつかった?」
「う、ううん。変わった味だけどおいしいよ」
蒼はまた安心する。
「よかった。このミントは河川敷で見つけたんだ。日本だとミントって歯磨き粉かアイスかって感じだけど肉にも合うんだよ。よもぎも同じようにいけると思う」
「本当に細野くんはすごい」
瑠璃はパンを頬張り、蒼は首を横に振る。
「たいしたことないよ。知っているか知らないか、使うか使わないかだけで、僕は知っていただけ」
瑠璃は嬉しそうに口の中のものを飲み込んだ。
「堤防に生えている雑草を見事に有効活用しているんだから、謙遜することないよ」
七輪の上のやかんでお湯ができ、瑠璃はダッフルバッグの中からハーブティーの密封袋を取り出す。
「近くにハーブティー屋さんがあるの。今まで入ったことなかったんだけど、買ってみた。目にいいハーブなんだって」
「へえ。最近、勉強ばかりだからちょうどいいね」
蒼はフィルター付きの耐熱お茶ポッドにハーブティーを入れ、お湯を注ぐ。抽出時間は4分ほどと書かれていた。
お湯を注ぐとラベンダー色がお湯にしみ出していき、ハーブの香りも楽しむことができた。
3人はハーブティーを楽しみ、その後、女子2人は後片付けをすることになった。
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