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「過去の自分……なにやっているんだろう……」
「だって前々から彼のこと、大好きじゃないですか」
「それはそうなんだけど、恋と呼んでしまったら、今の楽しい時間がなくなってしまうかもしれないと思って。恋がわからない同士だから問題なく付き合えていて、お互い、わからない方がいい、バランスが崩れてしまうからって、話してた。私の方が先にわかってしまうなんて、細野くんに申し訳ない」
「いやいや、細野くんはわかっていてそう言っているだけですよ。そうでなければあの、万能執事的姿勢は生まれないと思いますよ」
「もう、彼はなんでもやれて、なんでもできちゃうから。勉強だって今までしていなかったから比較的遅れているだけだし、絶対、私と一緒の高校に行ってくれるって信じてる――じゃなくて、わかっていてわかっていないフリをしてくれているのかな。だとすると鋼の精神力だ……私には真似できない」
「私にはできそうに見えますね。文化祭のクラス出展を失敗の芽を摘んで成功させた手腕があるのに、変更は成功に必要な最低限に済ませて、不満は微塵も出さず、縁の下の力持ちに徹したことを考えると」
「いや、あれは単に面倒なだけだったと思う」
「そうですか。わかっていますね。さすがパートナー」
「あ、しっくり来た。そうだ。パートナーって言ってもらえていたんだった。パートナーって仲間とかって意味だけじゃなくて、夫や妻って意味もあるものね」
瑠璃は小さくガッツポーズをとる。
「それでね、細野くん、マジカル・ジェダイトのコスプレを了承してくれたの」
つむぎは小さくつぶやいた。
「――愛されていますね」
「もう、嬉しくって嬉しくって! それで、衣装直しを例の彼の亡くなったおじいさんの家でやりたくて、つむぎにも来て貰わないと始まらないので、午後、時間をください」
つむぎは大きく頷いた。
「わかりました。行きましょう。初コスプレで女の子キャラ。男の娘呼ばわりされるのも覚悟の上で彼女のため……」
つむぎはバンバンと音がするくらい瑠璃の肩を叩いた。
「こんな男の子、二度と現れないから大事にしないといけませんよ!」
「わかってる」
「あと、クラスの女子でも細野くんいいなーとか言っている子はいますからね。最近、俯かなくなったとか猫背が治ったとか、前を見ているからカッコ良くなったとか」
「それは腹式呼吸の効果です。腹式呼吸は姿勢をよくしないとうまくいかないので」
瑠璃は自分が教えたことで蒼がカッコ良くなったのかと素直に自慢げに思う。
「要はるりりんが彼をただの陰キャから、見られる陰キャに育てたということですね。見られる陰キャは悪くない。チョコも貰っているはずですよ」
「そんなの聞いてない! さては隠してるな!」
「完全に彼女きどり……」
「嫉妬すること自体はもう伝えてあるので大丈夫」
「だいたい、恋人同士でもないのに、細野くんが誰からチョコを貰おうと、るりりんには関係ないはずじゃないですか」
そう言われるとその通りだと瑠璃も納得する。
「そうか。これが単に付き合うことと恋人関係の差なんだ――束縛したくなる。束縛の意識なんかない。でも、今までも、細野くんを独占したいって思っていたし、実際に、一緒にいられるときはできるだけ一緒にいた」
「だから、恋だって気がついただけで、ずっと恋をしていたし、細野くんもるりりんに恋をしていて、理解もしている。けどまさか、超級美少女のるりりんが自分を恋人にしてくれるとはとても思えないから、心のブレーキがかかって、『恋がわからない』のではないでしょうか?」
「なるほど――でもでも、恋だとわかった途端、もうすごいよ。嫌われたらどうしようとか、かわいく見てもらえなかったらどうしようとか、コスプレがイヤになって私のことも呆れたらどうしようとか、無限に心配が生まれるよ……」
「そうです。そんなものです!」
「つらい……この気持ちに名前をつけた途端、こんなに苦しいことに気づくなんて」
瑠璃は脚を崩して、ぺたんと座る。
「細野くんを信じるしかないですよ」
「信じてる。彼もそれは知ってる」
「では、問題は解決ですよね」
「でもそれとこれは別で、今日はいつもの場所でお花見をしまして、彼お手製の桜茶を披露してくれたんだけど」
つむぎが微笑む。
「通常の報告モードになってきましたね。安心しましたよ」
「桜茶というのは桜の花びらの塩漬けにして発酵させたもので、彼のおじいちゃん家の桜で作ったんですよ」
「その無駄情報もいつも通りですね」
「それで、江戸時代はお祝い事のときに飲んだらしいって言って、どんなときか聞いたら知らないって言うから、調べたら結納とか結婚のときに飲むらしくって」
「ありがとうございます」
つむぎは瑠璃を拝む。
「もうびっくりしちゃって、もしかして、細野くんは私と結婚なんか考えてたりしなかったり。いや、絶対今じゃないのはわかるけど、ええ! そうなの、って」
「それからどうした」
「思わずタンブリンで殴りました。そのタンブリンは南米のバリエーションでパンデイロっていうんだけど――」
「今日の無駄情報は長くなるからその辺でいいでしょう。これからもそのままでいいんですよ。細野くんから逃げなければそれだけでいいんです。緊張してお話しできなくなったって、その分、袖でも引っ張って俯けば十分コミュニケーションになります。言葉と同じくらいリアクションって大事じゃないですか。タンブリンで殴るのだって気持ちがこもっていればコミュニケーションですよ」
「殴るのがコミュニケーションだなんてイヤな例だな」
「実際にやったんでしょう!?」
「それはそうだけど――どうしてつむぎは沢田くんにそういう接触を伴うリアクションを実践できないんでしょうかね」
つむぎは風向きが変わったことを悟ったのか、難しい顔をする。
「私の場合、ホワイトデー前日でふられておいて、翌週には最推し認定とか、もうなるようになれとしか思えませんので」
つむぎは頬を掻く。
「いいことあったな」
「内緒です」
つむぎは恥ずかしげに微笑んだ。目をスマホに向けたところを見ると、IDを教えて貰ったに違いないと瑠璃は思う。
「とにかく、逃げないことです。逃げたら嫌われたと思われるだけですから。午後は最初の関門です。いや、彼のマジカル・ジェダイト姿を見ることになるんですから、関門じゃなくて難問かもしれませんが」
「萌え死必至です……」
「備えましょう。午後に。一度家に帰って、勝負服着て、集合です」
「なにか持って行かなくていいかな。甘いものとか飲み物とか?」
「敵地に踏み込み、なおかつ敵の得意戦術に乗る大胆不敵さはよし。しかし、負けることも容易に想像がつきます。ハーブティーの茶葉を持って行くくらいで、ハーブティーそのものは彼に入れてもらいましょう」
「軍師殿。頼りにしておりますぞ」
そして瑠璃とつむぎは声を合わせるようにして笑った。
つむぎの家から出て、集合の場所と時間を決めて別れ、瑠璃は帰路につく。
「そう。逃げないこと、か」
そして平常心。つむぎが言うように彼が恋だとわかった上で言葉にしていないのなら、それはそれで仕方がない。しかし自分の抑えられない好意が彼に伝われば、自ずとゴールも変わるのではないか――そう思う。
「無理はしない」
今はそれしかない。
つむぎのおかげでだいぶ落ち着いたが、今日は濃い1日になりそうだ。
瑠璃は一連の朝の出来事を思い返す。
恋だと気づいたその瞬間とその感覚を忘れたくない。
そう瑠璃は強く思い、何歳になっても忘れないよう、未来の自分に願った。
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