昨夜持って行くと言っていたものはこれのことだろう。マジカル・ジェダイトは2人が練習している曲が主題歌になっている同名のアニメシリーズ『2人はマジカル!』の主役の1人だ。名前はジェダイト(翡翠)でボーイッシュ担当のキャラクターだ。コスプレ衣装はシリーズ初期の黒基調バージョンだった。


「市販の、だけどね。それで、これは私の」


 次に取り出したのはきれいに折りたたんであるマジカル・クリスタルのコスプレ衣装だ。マジカル・クリスタルはフェミニン担当で、対照的に白が基調。SNSでるりりんのアイコンにも使われている黒髪ロングのキャラクターだ。


「作りが甘いところはつむぎが手を入れてくれた。2割くらいハンドメイドかな」


 瑠璃が言わんとしているところは、非ヲタの蒼にもわかった。


「いやいや、マジカル・ジェダイトがいくらボーイッシュだからって僕は男だよ?」


「今どき、男の娘でコスプレは珍しくない。細野くんは声変わりもまだだし、中学生の今しか女の子のコスプレはできないよ。女顔だし、ウィッグつけてメイクすれば大丈夫、すっかりマジカル・ジェダイトだよ」


 瑠璃のテンションは最高潮に盛り上がっている。


「マジカル・ジェダイトはヘソ出しコスチュームじゃなかった? 男の僕がやって大丈夫なものなの?」


「沢田くんに言われて筋トレ増やして、腹筋いい感じだって前に言っていたよね」


 勉強会の後、筋トレを増やしたのは事実だし、そう言ったのも記憶にある。蒼は少々後悔した。


「私は魔法少女になりたかったけど、当然、現実ではなれないからアイドル声優を目指しているって前に言ったと思う」


 瑠璃は真剣そのものだ。蒼は頷いた。


「コスプレも、魔法少女を目指す人間としては現実化の手段の一つ。私がマジカル・クリスタルになるなら、パートナーのマジカル・ジェダイトが必要。そして現実の私のパートナーが細野くんだってことは、わかってくれるかな?」


「僕は魔法少女は目指してない……目指してないけど」


 瑠璃の力になりたい、とはいつも思っている。瑠璃への思いがより強くなっている今では……蒼はまぶたを強く閉じた。


「だから、細野くんがマジカル・ジェダイトになるのは自然の帰結じゃないかな」


「強引すぎる帰結だ!」


「イヤ?」


 いつもの愛らしい声がした。うっすらとまぶたをあけると目の前に潤んだ瞳で自分を見上げる瑠璃の顔が見えた。リップが塗られて朝日に輝いているピンク色の唇がすぐ近くにあった。こんな硬軟織り交ぜた攻撃に蒼が耐えられるはずがない。


「今回だけだよ」


 そうはならないことをわかっていながら、蒼はそう答えた。瑠璃がすぐに笑顔になって、後悔しそうなことを予感しながらも自分がコスプレに応じたことを蒼は嬉しく思う。


「でも、嬉しいよ。2人で魔法少女マジカルになって、『2人は魔法少女マジカル』を歌えるんだから」


「ええっ、そういう展開?」


 それは予想外だった。屋外ステージでのコスプレとストリートライブ、両方のデビューを瑠璃は計画しているのだ。


「ほかにコスプレの目的があると思う? 私は大真面目なんだよ」


 瑠璃は、レジャーシートの上でぺたんと女の子座りした。


「真面目な話、なんだね」


 瑠璃は微笑み、大きく頷いた。2人の演奏だけでは弱いのはわかる。コスプレで演奏すれば、インパクトの弱さは補えるだろう。


「大真面目、です。劇中設定と同じ中2で魔法少女のコスプレして主題歌を歌うなんて、魔法少女になりたかった小さい頃の私が知ったら夢のようだと思うに違いないよ。これは、私が夢を現実に変える第一歩だと考えているんだ」


 瑠璃は微笑したまま蒼の瞳を見つめ、蒼はハア、と小さくため息をついた。


「それが君の望みなら、そして僕が力になれるなら、力になるよ」


 瑠璃は目を細め、そして微かに口を開けて、小さく言葉を発した。


「私は、そんな君が、本当に……」


 そこまで言ったところで、瑠璃は刹那の早さで口を手で覆い、みるみる内に白い頬が真っ赤に染まった。


「僕が――?」


 蒼は首を傾げる。


「なんでもない。なんでもないったらなんでもない――自分でも気がついていなかった心の声が漏れそうになっただけ」


 そして瑠璃は露骨に俯いた。


「大変でしょ? 心の声を抑えるの」


 どんな心の声かはわからないが、抑えるのが大変なこと自体は蒼も共感できる。


「うん……大変だね。まだ、当分、言葉になりそうになかったのに、意識しないで出かかるなんて、自分でもびっくりだ」


「僕はそんなことばかりだけどね。それで自分の中にあるものに気づくんだ」


 瑠璃は俯いたまま頷いた。


「そっか――そういうことか」瑠璃は顔を上げ、蒼を見た。「気づいたんだ、今、私」


 蒼は訊かない。訊いてもその答えが返ってこないことがわかるから。何に気がついたのか、自然に瑠璃が言葉にして、自分に話してくれるまで待とうと思う。


 蒼がじっと見ていることに気づいたようで瑠璃は今度は空を見上げる。


 蒼もつられて空を見上げる。


 手前には満開の桜。舞い散る花びら。薄い雲。透き通った青い空。


「私、忘れないよ。この空」


「僕も忘れられないと思うな」


 そして2人は空からお互いの瞳に視線を移し、笑みをこぼした。


 蒼は用意してきた食べ物を瑠璃に披露し、だいたい平らげた後、ちょっとだけギターを弾いて、歌って、大勢の花見客が来るずっと前に、桜の木の下を後にした。


 分かれ道で瑠璃がマジカル・ジェダイトの衣装直しをしたいと言いだしたが、つむぎを含めた3人の誰の家でも角が立ちそうだった。そこで、午後に再び蒼の祖父の家に行って、邪魔のないところでコスプレテストと衣装直しの検討をすることになった。


「じゃ、一旦、解散だね。つむぎは私が連れて行くから」


「うん」


 蒼は力なく頷いて、瑠璃と別れる。


 力になると瑠璃に言ったものの、いきなり男の娘でコスプレとは想像の斜め上過ぎて、蒼はずしーんと重苦しくなるしかなかった。

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