3
放課後になり、帰宅部の蒼と瑠璃は顔を見合わせる。明日は卒業式で、今日まで給食がある日だ。この時間だと瑠璃は直接塾にいくのが普通で、関係を秘密にしていた2人が一緒に帰ることは今までなかった。しかし今日からは違う。クラスメイトが2人の動向を見守る中、蒼は瑠璃に声をかけた。
「一緒に帰ろうか」
「うん」
瑠璃は笑顔でカバンを両手で持ち、蒼と並んで教室を出た。
教室の中が大きくどよめいたが、2人は振り返りもしなかった。
「邪魔するぞ」
沢田が大股歩きでついてきた。蒼は笑顔で振り返る。
「邪魔なもんか」
「つむぎも!」
教室の前で動向を窺っていたつむぎに瑠璃が声をかける。つむぎもカバンを背負って、廊下を走って追いつく。
「私も入れて!」
そして沢田の後ろまで走ると息を止める。
「一緒に帰ろう!」
沢田がつむぎの背中をカバン越しに叩き、つむぎは俯いたのか頷いたのかわからない感じで床を見た。そしてすぐに顔を上げ、3人の顔を確認した。
沢田が蒼の肩を抱き、瑠璃がつむぎの手をとり、歩き出す。
「この4人で帰れる日がまたくるなんて思わなかった」
瑠璃が感慨深げに言う。つむぎが答える。
「でも、そんな遠くないと思っていましたよ」
「沢田くんが一番複雑そうだけど」
蒼が少し心配そうな顔をしてしまった。つむぎとの関係は今、どんな風になっているのか、見当もつかなかったからだ。沢田はつむぎを見た。
「いいの。委員長が俺の最推しであることに変わりないから」
つむぎはみるみるうちに顔を赤くしていき、口を手のひらで押さえた。
「そんなの聞いてないです!」
「言ってないし」
沢田は豪快に笑った。難しい関係であることにまだ変わりない様子だが、今はこれでよしとしようと蒼は思う。瑠璃がつむぎの背中を押し、少しずつ歩き始める。
「推しって便利な言葉だよね」
瑠璃が蒼を見るが、蒼は真面目に答える。
「『推し』については研究中なのでお答えには少々時間を要します」
「研究してるんだ……じゃあ、研究結果を楽しみに待っています」
瑠璃が笑い、つむぎと一緒に昇降口に先に着く。すると2人はさっきのテンションはどこにいったのか、立ち尽くしていた。
「まあ、想像通り」
蒼の下駄箱にはゴミが詰め込まれていた。蒼が取り出し、分別を3人が手伝う。犬の糞まで入っていたのには驚いた。わざわざ拾ってきたのだろう。ご苦労なことだ。
「先生に相談した?」
つむぎが眉をひそめる。瑠璃は言葉がない。さすがにショックだったようだ。
「体育の先生には報告した。でも、この原因が嫉妬なら、ある程度は覚悟しないとならないな」
ゴミを片付けつつ、蒼は先刻の出来事を思い出す。これはそんなに長くは続かない気がした。親衛隊が動いてくれる気がする。自分が困れば、瑠璃が悲しむ。そんなことを彼らは放っておきそうにない。ふと、蒼はポケットから腕章を取り出し、ロゴを確認する。これにも『RURIRIN’S SS』と書いてあった。
「ナチスドイツの武装親衛隊のSSですか? “るりりんズ”?どうしてこんなもの」
やっぱり厨二だ。なるべく彼らには関わらないようにしよう、と蒼は思った。
「なんでもないよ。大丈夫」
蒼はポケットに腕章をしまい込み、運動靴を鞄から取り出す。
4人揃って歩き出し、校門を出るのも期末テスト対策の勉強以来だ。
最初に沢田が別れ、つむぎとは途中で別れる。
最後は蒼と瑠璃の2人になる。
少し遠回りしたいと言う話になり、堤防沿いを歩く道を選ぶ。
「本当に大丈夫?」
瑠璃は蒼の肩を小突いた。蒼は少々痛いと思いつつ、返事をする。
「変わりたいと思った。だから、変わることができると思う。だから大丈夫」
「私も変わりたいと思うよ」
瑠璃は立ち止まった。
偶然にもそこは初詣をした水神宮の前だった。
堤防の上に植わっている桜が五分咲きで、もう散り始めている桜の花びらが堤防下にある水神の祠まで風にながれて幾枚も幾枚も舞い降りてきていた。
祠を見て、2人で手を合わせたあのときに思いを馳せ、蒼はさらに過去の記憶を呼び起こした。
「話し始めた頃さ、君は僕のことをモブじゃないって言ってくれたのに、僕は『主人公を演じる必要があるのか』なんて返したんだ」
蒼は自重した。瑠璃も苦い顔をした。
「覚えてるよ」
「うん、君のいうとおり、演じる必要なんてなかった。最初から僕は僕の物語の主人公だから。物語をバッドエンドにするのも、ハッピーエンドにするのも、今、そう、今日このときをどう生きるかだと思う。自分の物語の主人公であることを放棄しない。自分の時間と人生に責任を持つ。頑張らないと、何者にもなれない。一日一日、アコギやって、コツコツ勉強すれば、ダメな僕でもいつの間にか前に進めたんだから」
「君がダメだなんて思ったことないよ」
「少しでも前に進み続けることができたのはみんな、君のおかげなんだ。ありがとう」
瑠璃ははっとしたように小さく口を開け、そして首を横に振った。
「ううん。日本に帰ってきて、すごく悩んだ。こんな、内面を見てもらえない、自分自身を主張することもできない私って一体何なんだろうって。でも今は、君がいてくれるから自分を取り戻せている。それどころか先に進めている。一方的に感謝されたくない。私たちの関係はイーブンだと思うよ」
瑠璃が手を差し出した。蒼はためらわずその手をとった。
彼女の手は温かかった。
別れるまであと少ししかなくても手をつないでいたかった。
少しして、彼女がハミングを始めた。蒼がよく知っていてギターでも弾く松任谷由実の曲だ。Aメロをハミングで歌うと瑠璃は曲名を口にした。
「『守ってあげたい』」
瑠璃はそれ以上は歌わず、蒼を見た。蒼は固唾をのみ、彼女の言葉の続きを待った。
「私の、今の、嘘偽りない、本当の気持ち」
力いっぱい、白く、細い身体を抱きしめたくなった。
僕も彼女を守りたい。守り続けたい。
だけど今の自分にはまだその資格がないと、蒼は守る力を示す代わりに、つなぐ手の力を増す。すると瑠璃もより力を入れてくる。だがすぐに彼女は力を抜き、蒼も彼女の手を離す。しかし完全に離れる前に彼女の指が絡んできて、蒼も自分の指を絡め、手のひらを合わせるようにして手をつなぎ直した。
2人を見ているのは堤防の桜だけ。
淡いピンク色の花びらが舞う中、2人は言葉を交わすことなく、いつもの曲がり角で手を離した。そして小さく手を振り、お互いの気持ちを確かめながら、別れた。
翌日は卒業式だったが、蒼への嫌がらせはもうなくなっていた。卒業式が終わって卒業生が校門を出る時間帯に蒼は1人で親衛隊長の姿を探した。こんな簡単に嫌がらせが終わるなんてことは考えにくい。考えられる理由は1つだけだった。大柄な彼の姿はすぐ見つけることができて、蒼は礼を言った。
親衛隊長は照れくさそうに笑った。
「人間はろくに考えずに簡単に人を傷つける。今もまだ、君への嫉妬心がある。それでも止められて良かったと思う。もしこの後、君が同じような目に遭っている人に出くわしたら、今度は君がその人の力になってやって欲しい。なんて、卒業生が後輩に送る言葉っぽいな」
「はい」
大きくお辞儀をして、蒼は親衛隊長を送り出そうとしたが、いつの間にか瑠璃が隣にいて、驚いた。親衛隊長はサインペンを懐から取り出し、自分のYシャツに“るりりん”のサインをねだり、瑠璃は戸惑いながらも、彼の背中にサインをした。
蒼は親衛隊の腕章を握りしめて彼を見送り、卒業を祝ったのだった。
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