乗り換え駅で別のホームに移るが、乗り換えた先の駅に大型のショッピングモールがあるためいつも混雑していて、今朝もそうだったが休日だからなお混んでおり、蒼と瑠璃は少しでも空いている車両に乗ろうとホームの端まで歩いた。数分電車を待って、到着した混雑した電車に乗り込む。どうにかドア脇の隅を確保して瑠璃をそこに立たせ、ギグバッグを足下に置いて向かい合う。他の客に押されて瑠璃との距離が近くなるが、蒼は壁に手をつけてこらえる。それでも瑠璃の顔が至近にあって、長すぎるまつ毛にドギマギした。


 大型ショッピングモールに行くために乗っていた乗客が2つ目の駅で降りて、一気に車内が空く。


 蒼は瑠璃から距離がとれ、安堵する。


「初めて男の子に壁ドンして貰っちゃった」


 いたずらっぽく瑠璃が言い、両手を頬に当てて照れたジェスチャーをした。


「違うし。それにもう死語だよ」


「定番ともいう。昔のアニメの中でよく壁ドンやってたから、ちょっと考えてはいた」


「坂本さんを押しつぶさないように頑張っていただけなんだけど」


 蒼は苦笑するが、もちろん悪い気はしない。


「そう言ってくれるのも嬉しい」


「それにしても坂本さんは本当に美人だよね。近くで見たらなお思ったよ」


「日本人の感覚だとそうらしいけど、海外だといろんな美人の定義があるのでそんなでもないから、帰ってきて困ったよね」


「あー、ごめん。そうに違いないと思っていたから、坂本さんが美人なのは気にしないようにしていたんだけど、思わず口に出てしまった」


「別に細野くんに言われる分にはいいよ。素直に褒め言葉と受け取る」


「どうして?」


「だって細野くんが私と一緒にいるのは音楽っていう同じ目的があるからで、学校で評判の美少女を連れ歩くのが目的じゃないから。自分で言っていて、いろいろ痛いわ……」


「そう言ってくれると面倒がない」


 時々、あまりのかわいさに悶絶しそうになるとか言いそうになったがやめた。


「私と一緒にいるの、面倒?」


「それは考えたこともなかったな。僕の場合、非効率的なことをすることを面倒って言っているだけだから。リスク回避は別に面倒じゃない。必要なプロセスだ」


「リスク回避?」


「今の僕じゃ、坂本さんと付き合っていると誤解されるだけで学校内で存在を抹殺されかねない。ファンクラブに何されるかわからん。ああ、そう、美人って言っても大丈夫そうなので面倒がない、と言うのは、心の叫びをとどめるのにエネルギーを使うからだよ。思わず本音を漏らしても許されることがわかったから少し省エネできる」


「情報量過多なんですけど……いろいろ知らないワードが。ファンクラブ? 私に美人っていうのが心の叫び? とか」


「だって坂本さんは僕の心の琴線に数え切れないくらい触れる本当の美人さんだから、心の叫びは生じる」


 それは紛れもない蒼の本音だ。


 瑠璃は声を発しそうになっていたが、目的駅のアナウンスが流れ、口を閉じた。


 そして降車すると瑠璃は駅のホームで立ち止まった。蒼は少し遅れて気がついて振り返ったが彼女が動く気配がない。瑠璃は他の乗客がいなくなってからようやく言った。


「だから、どうして、ストレートパンチばっかり撃つのかな! 言っていて恥ずかしくない?」


 瑠璃は真っ赤になっていた。悪いことをしたと蒼は思う。


「でも、どうせ本音を漏らすんだったらさっさと言葉にした方が面倒がないので……」


「細野くんの面倒の基準がわからないよ」


「ファンクラブがあるのも本当だよ。最近、告白される回数が減っていると思うんだけど、紳士協定ができたからだから。まだスタジオを予約した時間まで結構あるからいいけど、もうそろそろ行こう?」


「情報は小出しにしてください!」


 瑠璃は歩き出し、蒼は瑠璃の隣をいく。


「美人なのは大変だと思うけど、もし坂本さんが歌手を目指しているならルックスの要素も大きいから、それだけですごいアドバンテージなんだから受け入れないと」


「歌手というか、もうわかっているとは思うけど、歌える声優アイドルを目指している」


「そこまでとは思っていなかった。アニソン歌手かなとは思っていたけど」


「小さい頃、魔法少女になりたかったの。でも、現実ではなれないことに気づいた。でも、小さかった私に夢と希望をくれた歌は、私でも歌えるし、演技で勇気をくれた声優にもなれる。だから、全部やりたい」


 瑠璃は立ち止まり、じっと蒼を見つめる。蒼はその真剣さにたじろぎそうになるが、そこはこらえて言葉を選ぶ。


「だからあの曲なのか。納得」


 蒼は昨夜送られてきた楽譜の曲を思い出す。瑠璃は付け加える。


「ルックスがいいのが有利なのは私自身わかる。だけどそのせいで、他人と自分とを折り合いつけるのにエネルギーが必要なのもわかるでしょ? あ、でも細野くんと折り合うのにそんなにエネルギー使ってないよ。念のため」


「委員長と一緒にいるときよりはエネルギー使うと思うけど、僕といるときは自然体でいて欲しいな」


「ああ、もう! また!!」


 瑠璃は早足になって蒼に先行する。脚が長すぎるため、蒼とはスピードが違う。あっという間に先に行ってしまう。


「行こう! 細野くん! 早く!」


 瑠璃が振り返り、彼女に追いつこうと蒼はかけだした。




 2人が降りた目的の駅は埋め立て地に作られた、比較的新しい駅で、都市計画された街の中にあった。駅前広場はたいへん広く、駅と一体化しており、高層マンション群までの道は整備された歩道が併設されている。人通りもそれなりにあるが、駅前広場と歩道が広いから人口密度が低い。


 蒼たちの最寄りの駅とは大違いだ。昭和に作られた街は建物の建て替えや道の拡張などがあっても再開発がされていないから狭くてごみごみしている。2人は同じ市内なのにこんなに綺麗なのかと驚いてしまう。


 改札を出て、階段を降りるとすぐに屋外ステージが見えた。直径20メートルほどもある半円形で、コンクリート製のバックパネルと袖パネルもあった。


 常にステージとして使われているというよりは公園の一部という感じだ。実際、今日はステージ上で母子連れが子犬と遊んでいた。


「開放的でいいね」


「かわいい!」


 子供は男の子で、まだ保育園児だろうか。伸縮自在のリードをつけた柴の子犬と一緒に走り回り、ステージから落ちないか母親が心配げに見守っていた。


「本当。かわいいね」


 男の子と子犬はもちろん、かわいいと言う瑠璃本人もかわいかった。


「なんか2、3曲くらいだったらゲリラ的にやっても許されそうね」


「あくまで練習の体ならいいかも」


 蒼の返事を聞き終わらないタイミングで、瑠璃はステージまで駆けていき、軽やかに舞台の上にのった。すると柴の子犬が遊んでくれるの、とばかりに駆け寄り、後ろ脚でジャンプして瑠璃に飛びつき、ペロペロと嘗めた。


「うわ、遊んでくれるの? 嬉し~い!」


 手足を激しく動かす子犬を止めようと、男の子がリードを引っ張るが、子犬と大して力が変わらず、男の子はリードを引っ張るのをやめてボールを投げる。すると子犬は瑠璃から離れてボールを追い、ボールを男の子の下にくわえて戻ってくる。


「お利口さん。この子の名前は?」


 男の子は自分の名前と子犬の名前を答え、瑠璃はそれを繰り返した。


 蒼は思わずスマホのカメラでそのシーンを撮ってしまい、図らずも母親も同じシーンを撮影していて2人で顔を見合わせてお互い微笑みかけた。


 遊んでくれてありがとうね、と男の子の母親に言われ、蒼はいえ、と返すのが精いっぱいで、瑠璃に目を戻した。


 男の子は瑠璃にボールを渡し、今度は瑠璃が子犬の名前を叫びながらボールを投げると、また子犬が走って行った。子犬はボールをくわえて戻ってきたが、投げた瑠璃にではなく、主人である男の子の下に戻ってきて、男の子は子犬を褒め、瑠璃はざんねーん、と声を上げた。


 瑠璃と男の子と柴の子犬が10分ほど遊んだあと、男の子の父親が戻ってきた。3人と1匹との別れ際、男の子の母親は蒼に、デートの邪魔をしてごめんなさいね、と耳打ちした。蒼は、そんなんじゃ ――と言いかけて、やめた。


 男の子は大きく瑠璃に手を振り、柴の子犬は尻尾を大きく振りながら、彼の周りを回った。瑠璃と蒼も手を振って返した。


「あー、楽しかった!」


「写真、いっぱい撮ったからあとで送るよ」


「え、恥ずかしい!」


「ううん。そんなことぜんぜんないよ。見る?」


 瑠璃は頷き、蒼のスマホをのぞき込む。


「私、遊んでいるとき、こんな顔してるんだ――」


 画像の中の瑠璃には『無垢の笑顔』というありきたりな表現を許される輝きがあった。本人が見たらどう感じるかはわからなかったが、悪い気はしていないようだ。


「この笑顔でセッションができたら最高だね」


「無理だな……文化祭の劇のときの写真見たけど、ガチガチだったから」


「そればかりは慣れるしかないし、慣れれば夢に一歩近づくよね」


「うん」


 瑠璃は決意を新たにしたように頷いた。


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