翌朝9時、蒼と瑠璃は隣の駅の改札口前で待ち合わせた。隣の駅までは歩けない距離ではないので、2人とも歩いて駅までやってきた。


 蒼のファッションはデニムジャケットにロングTシャツそしてデニムパンツにスニーカー。背中にソフトタイプのギグバッグを背負っているとなるとどこから見ても音楽少年だ。元からこういうファッションが好きというわけではなく、アコースティックギターを始めてからだ。好きなアーティストが路上で演奏していた頃の格好が、こんな感じだった。


 一方、瑠璃は前に見たような清楚系ではなく、パンツルックに長めのデニムジャケット姿だった。長い髪を結い上げて、ベースボールキャップの中に入れている。ぱっと見は男子だが、ウェストと脚が細すぎてすぐ女の子だとわかる。


「デニム、思いっきり被ったね」


 瑠璃が苦笑しながら赤くなる。


「2人してギター弾きっぽい気がするのでOK」


「はは、知らない人が見たらペアルックだけどね」


 乾いた笑いのあと、瑠璃は俯いた。蒼もようやくそれを意識して、しどろもどろになりながら、言葉を選ぶ。


「僕がギグバッグを担いでいるから2人ともそれらしく見えるよ。じゃあ、行こうか」


 改札口から南口の階段を降りるとバスロータリーがある。そのバスロータリーの前に広さは車1台分ほどだろうか、高さは30センチほどの“ステージ”があった。

 土曜日の9時なのに、南口の階段からは電車の降車客がひっきりなしに降りてくる。また、バスが到着するたび、降車してきた客が駅へ向かうため、前を通る。

 2人は顔を見合わせ、瑠璃が言った。


「場所もシチュエーションも良すぎ……」


「ハードル高っ」


 アマチュア中学生2人が人前で初めて演奏するには人通りが多すぎる。この場所は夕方になったら、もっと人が増えるだろう。


「ここは最後の手段だね……学区域から近いし」


 うん、と蒼は頷き、2人はすぐに次のデビュー候補地を見に行くことに決めた。


 次の屋外ステージがある駅は路線が違うので乗り換える必要があった。


 ホームで電車を待ち、下りなので空いている電車に乗り、2人はロングシートに腰をかける。今までもベンチで隣り合って座っていたが、ベンチには1人分のスペースごとに仕切りが付けられているから、自然と距離ができる。しかし電車のロングシートに仕切りはないし、きちんとスペースに納まるようへこんでいるから、瑠璃と蒼はくっつく形になった。蒼はギグバッグを膝ではさんでホールドした。


 蒼は話題に困り、だんまりしてしまった。彼女に触れていることを口にはできないのに、今はそれだけで頭がいっぱいだ。


「どこでランチするか決めた?」


 スマホの画面に指を走らせていた瑠璃が声をかけた。


「乗り換えがあっても10時前には到着する。スタジオの時間が13時だから、次の駅の周りしかないけど、意外と時間が中途半端だ」


「ここにしない? テラス席があるんだって」


 スマホを見せつつ、一緒に自分も画面を見ようとして瑠璃が身体を曲げ、肩と肩が触れあう。膝ではさんでいるギグバッグを避けて頭も近くなって、瑠璃の髪の匂いが漂ってきて、蒼は固まった。


「細野くん?」


 瑠璃が上目遣いで蒼の瞳をのぞき込む。


「う、うん。テラス席が禁煙なら」


「あ、そうだよね。テラス席だとタバコ吸えたりするかもね。――大丈夫、禁煙だって」


 スマホ画面の店舗情報を見て瑠璃は安心する。


「外食なんて久しぶりだな」


「意外だ」


「母が食の健康にうるさいタイプなので。本人も料理が好きだから作るものみんなおいしいし、基本、困らないんだ」


「だからキャラデコケーキ持ってきたのか。どうして家で食べないんだろうって思ってた」


「母、クリスマスケーキを当然のように手作りするの」


「それも食べていたら確かにカロリーオーバー過ぎるね。そういえば坂本さんの家族の話、初めて聞いたかも」


「帰国してから初めて誰かに話したかも」


 瑠璃はスマホをポケットの中に戻し、正面を向いた。


「細野くんは確か、去年おじいさんを亡くしたんだよね」


「うん。このアコギ(アコースティックギター)はじいちゃんの形見なんだ」


「七輪も形見だよね」


「あれはじいちゃんの家に残っていたってだけ。このアコギで、僕が小さい頃、童謡とかよく弾いてくれてさ、遺品ノートに僕に渡すよう書いてあったらしい。それで僕のところに来た。結構、高価なものらしいんだけどね。本当に形見なんだ」


「おじいさんと『もしもしかめよ』とか歌った?」


「歌った、歌った」


 祖父を思い出しつつ、蒼は微笑んだ。そもそも使っているコード譜は祖父が遺したものだ。生きていたときは好きでも嫌いでもないと思っていたが、こうして思い出すと、どうやら小さい頃の蒼は祖父が好きだったようだ。


「緊張、ほぐれたみたいだね」


「やっぱり、わかっちゃうか」


「私だって同じ。同じ年頃の男の子とお出かけなんて、これはもうデートだよ。初めてだから緊張して当たり前、だよね?」


 瑠璃が蒼を見て、蒼も瑠璃を見た。


「うん、まだ、緊張している」


「意外だと思った?」


「どちらもあるかな、と思ってた。教室では誰とも距離を縮めないでいたから。あるとするとニュージーランドでかな、とか」


「でもおかしいね。毎朝のように2人きりで会っているのに緊張するなんてね」


「河川敷と違って、誰かに見つかるかもしれないスリルがある」


「誰かに見つかったらなんて言おうか?」


「本当のことを言えばいいと思う」


「え、ランチデートだって正直に言うの?」


「児童館でスタジオ借りて音楽の練習、って言う」


「だよねー」


 瑠璃が苦笑する。


「そういうとこ、意地悪だ」


「ランチはついでですよ、ね?」


「どっちも重要でしょう」


 瑠璃は真顔で、蒼の額を人差し指で軽く弾いた。


 乗り換え駅のアナウンスが流れ、瑠璃がシートから立ち、遅れて蒼が立ち、ギグバッグを担ぐ。瑠璃はじっと蒼の顔をのぞき込む。


「誰かに見られても大丈夫。どっちにしたって私たちは悪いことしてない。偶然ペアルックだけど」


 そして扉が開き、瑠璃と蒼は乗り換え駅のホームに降りる。


「それは間違いない」


 蒼は小さく頷いたが、それでも、彼女の隣で胸を張っていられるだけの何かが欲しい、とも改めて思った。


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