瑠璃の回想-2

 初めて蒼と彼女が直接的な接点を持ったのは文化祭の準備のときだった。


 瑠璃の周りの人間が勝手に盛り上がり、瑠璃をヒロインにしてロミオとジュリエットを教室を舞台に仕立てた上でやることになった。だが、盛り上がった人間はそれを実現するためにどれほどの労力を要するか考えないもので、この一件もその例に漏れなかった。


 しかも題目を提案した上、ロミオ役をやる、と言った張本人が部活が忙しいからと責任を放棄し、学級委員長のつむぎが結局仕切ることになった。


 ヒロイン役を断れなかった瑠璃はロミオ役のように逃げる気になれず、彼女の補助役になることを決めた。つむぎは聡明で責任感が強く、瑠璃はすぐに彼女のことが好きになった。


 さらに幸運なことに、劇の下準備を進めているとき、瑠璃は、つむぎが魔法少女シリーズの文房具を隠し持っているのを見つけた。同好の士を発見して大盛り上がりし、つむぎは瑠璃の友達第1号になった。


 しかしつむぎには中学生にもなって魔法少女好きと知られたら確実に変人扱いだから内緒と言われ、内緒の趣味友、ということになった。それはそうだ、と瑠璃も思った。


 しかし友達ができたのは不幸中の幸いでしかなく、2人は不幸をクラス中に捌かなければならなかった。特に問題は衣装で、ロミオとジュリエット分を作るだけならともかく、脇役陣までは衣装を作るのもレンタルするのも予算的・時間的に不可能だった。


 衣装担当になった蒼がつむぎと話をし、蒼が肩をすくめた。


「面倒だな。ロミオとジュリエットじゃなくてウェストサイド物語にすればいいのに。なんなら舞台を日本に翻案すれば衣装問題はすぐに解決する。それにダンスシーンをすごく短くしてみんなに割り振れば今、お役がない人にも出番ができる」


 それを聞いた瑠璃は名案だと思い、いいね、と返した。クラスで決めた題目を普通ここまでひねらないと思うが、この変更が通れば衣装や小道具の労力は大幅に減る。


 つむぎは台本をその線で書き、放課後にクラスメイトに残って貰って承認を得た。ロミオ役の男子は不満を隠さなかったが、みんな15秒ずつ、登場シーンや格闘のシーンで各々踊って退場。台詞なしで、無声映画の弁士のように脚本を読み上げて進めることで、つむぎは支持を得た。ロミオ役の男子は代案を出せず、つむぎ案を飲んだ。


 舞台も60年代の日本にしたので衣装も制服の上に、体育祭のときに応援団が使った赤と白のスタジャンを借りてくることで解決した。これも蒼のアイデアだった。


 ここまで考えてアイデアを提供したのだろうと思うと、感心するしかなかった。


 それから瑠璃は文化祭の準備の最中、蒼を目で追った。彼は手品で使うナイフを用意して格闘シーンに迫力を持たせようとしたり、レトロな電話機を調達してきたりとクォリティを上げるのに尽力していた。


 手が空くと大道具の書き割りを描くのを手伝ったり、必要物品の買い出しに行く女子を荷物持ちとして手伝ったり、一緒に休憩のお茶を入れたりと大活躍だった。


 大道具係の中には沢田がいた。蒼と沢田の仲は良いように見えた。ちらちらとつむぎが大道具作りの様子を見ているから何かと思ったが、どうやら沢田を意識しているようだった。


 文化祭の準備を通して、今までクラス内のモブでしかなかった蒼に気がついた女子は瑠璃だけでなかった。次第に彼を評価する声が時折耳に入るようになり、男女問わず頼りにされ始めた。


 台本を読む弁士役は瑠璃が手を上げ、瑠璃が出るシーンはつむぎが読むことになった。


 文化祭の前日に全ての準備が無事終わり、瑠璃はつむぎと夜中の教室で安堵した。


 クラスメイトの大半は帰宅していたが、ダンス担当の男子と女子はダンスの練習に余念がなく、カップルが生まれている様子がうかがえた。


 瑠璃もロミオ役、ではなく、トニー役の男子と噂されたが、正直、彼の無責任さに辟易としていたから、暴言を吐かないことだけに全力を注ぐしかなかった。


 しかしカップルになっているクラスメイトを見て、自分はどうしたらあんな風になれるのかと思わないこともなかった。


 文化祭当日は午前午後2回ずつ上演し、特に失敗もなく、毎回盛況になった。劇の空き時間に一緒に回ろうと言ってくる男子はトニー役を含めて多数来たが、全員丁重にお断りした。ヒロインと弁士役を務め、疲れ切っていたのもあるが、とても男子と回る気にはなれなかった。弁士役が最高に面白いことだけが救いだった。


 後片付けを終えて、トニー役の男子が打ち上げを企画し、ヒロイン役としては欠席して場を盛り下げるわけにはいかないと、行くことにした。何より、蒼に礼を言わなければならないと強く思った。彼がいなかったら、こうスムーズに進むことはなかっただろう。きっと早い段階で破綻していたに違いなかった。


 つむぎと一緒に後片付けの最終チェックを終えてから、皆が集まっているという打ち上げ会場のファストフード店に行った。


 だが、店内に蒼の姿はなく、瑠璃は重い疲労感を覚えた。トニー役男子の隣に座らされそうになり、思わず拳を堅く握りしめたが、幸い隣の席に座らずに済み、殴らずに済んだ。


 瑠璃は何も注文せず、30分だけ会場にいて、笑顔で退席した。


 陰の功労者である蒼がいなければ打ち上げの意味がない、と瑠璃は思う。


 打ち上げは表に出た人間も裏方も一緒になって成功を祝うものだ。


 表に出ている人間だけでは、何事もうまく進まないし、ましてや成功はほど遠い。劇が成功したのは彼の力によるところが大きい。


 なのに、打ち上げの輪の中にいないなんて。


 なんだか悔しくなって、瑠璃の目尻が熱くなった。



 

 翌朝、瑠璃は河川敷へ行き、蒼の姿を探した。


 文化祭の翌日は代休日だ。すぐに蒼は見つかり、お休みの日も練習しているとは、と軽く驚いた。


 自分が声をかけても迷惑だろう。


 本当に下手だから彼も聞かれたくもないはずだ。


 そう瑠璃は思い、離れたところでボイストレーニングを始めた。


 帰国してからはボイストレーニングをしていなかったから、なかなか声は出てくれなかったが、身体の芯から声が飛び出していくようで、気持ちよかった。


 日本の秋の光景が河川敷に広がっている。


 堤防の斜面や河川敷には、セイタカアワダチソウもあるが、ススキの群生地もまだまだある。


 青空が気持ちよく広がり、遠くに都心部の高層ビルが見える。


 風が微かに東へと流れ、薄い雲が漂い、ススキを揺らした。


「がんばるぞー!」


 瑠璃は自分に言い聞かせるように大声で叫んだ。




 雪がちらつく冬空の下、蒼と鉄道橋の下で会うまで、あと2ヶ月だった。

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