翌朝、瑠璃は河川敷にこなかった。


 3学期に入ってからは高確率で会っていたから、少し心配になった。どうしてボイトレを隠そうとするのか聞いてみようと思い立ったことを予知されたのではとまで考えたが、登校すると瑠璃が体調を崩したことが噂になっており、クラスの雰囲気は澱んでいた。


 彼女が河川敷にこなかった原因がわかって安堵する自分と、クラスのほかの人と同じように寂しく思っている自分がいることに気づき、己の中の瑠璃の存在が大きさを増していることを自覚した。


 始業前につむぎが蒼の席まできて、君の落とし物じゃないかな、と言って二つに折られたメモを置いていった。メモを開くとSNSのIDが記されていた。このタイミングで渡されたとすると彼女のIDではなさそうだ。


 蒼は昼休みに屋上まで行き、誰にも見られないようにIDを入力した。するとキャラデコケーキと同じシリーズの、それよりはだいぶ前の、瑠璃に似た、黒髪の魔法少女を使ったアイコンが現れ、名前は“るりりん”と出てきた。蒼のバリア内のエリアに瑠璃自身が大きく足を踏み入れてきたことがわかり、嬉しさ半分、悩んでいたのが馬鹿らしくなったのが半分で、複雑な気持ちになった。


〔体調はどう?〕


 とだけ入力すると即座に返ってきた。


〔細野くんだよね?〕


〔そんな悪くなさそうでなにより〕


 元気です、と魔法少女シリーズに出てくる、白い陶器を背負っているのが特徴的なマスコットキャラクターのスタンプで返しがあった。


〔ちょっと風邪ひいただけ。微熱が出たから念のため休んだ〕


〔このところ乾燥していたから。屋外でのボイトレが悪かったんだね〕


〔違うよ。このところ夜更かししていたから……〕


〔じゃあ、温かくしてよく寝てください〕


〔ありがと〕


 少し間が開いて、通知があった。今度は“つむぎ”とあり、やっぱり魔法少女アイコンだった。友達追加してトークを見てみる。


〔まだ連絡先を知らせていなかったなんてびっくりですよ。感謝してくださいね〕


〔感謝感謝〕


〔じゃあ、“るりりん”のお相手はよろしくです〕


 瑠璃経由でつむぎともすぐにつながったようだ。


 また通知があった。瑠璃からだった。


〔つむぎ追加してくれた?〕


〔ありがとう。これで学校で話せなくても困らないかも〕


〔それとは別〕


〔学校が終わったらまた体調聞きたいから連絡入れてもいい?〕


 ここで踏み込んでみよう、と蒼も思い切った。


 もちろん! とすぐに魔法少女のマスコットキャラクターのスタンプで返された。


 本当に好きなんだな、と小さく言葉にしながら、蒼はスマホの電源を切る。胸の奥を占めていた悩みがどこかにいってしまったのがわかり、蒼はポケットにスマホをしまうと屋上を後にした。




 蒼が学校から帰宅してスマホの電源をいれると瑠璃からメッセージがすでに送られてきていた。鞄を居間のテーブルに置いて読み始める。


〔もう学校終わったよね〕


〔おーい、返事しろ〕


〔もしかしていつもスマホ見てない?〕


 学校が終わってからまだ30分。やりとりを始めたばかりだから微妙な数だ。


〔帰宅しました〕


 とだけ返すと即座に返ってきた。


〔暇だ〕


〔元気そうだね〕


〔元気元気〕


〔明日の朝は無理しないようにね〕


〔ありがと〕


〔私、SNSは親としかやっていないことになっているから、広めないでね〕


 学校での連絡には専用のアプリが導入されている。


〔もちろん〕


 つむぎと自分が特別なことがはっきりわかり、心が浮つくのがわかった。

 少し間が開いてまた通知があった。


〔何か聞くことない?〕


 難しい質問だった。だが、難しいからこそ、隠すのはやめようと思う。


〔あるといえばあるけど、直接、坂本さんの口から聞きたいと思う〕


〔それはそうかも。細野くんらしい〕


 例のマスコットキャラクターの、笑顔のスタンプが送られてきた。


〔今、聞きたいことができた。このキャラの名前なんていうの〕


〔ココット〕


〔料理モチーフのシーズンのか〕


〔知っているの?〕


〔どんなモチーフのがあったかくらいは〕


〔魔法少女の話ができて嬉しい〕


 そしてココットの『うれしい!』スタンプが送られてきて、そのあと、メッセージが連投された。 


〔いざ実際につながるといろいろ考えてしまうね。マンガだと女子が男子にパジャマ姿の画像送ったりするから〕


〔細野くん、私のパジャマ姿を送ってこられたら迷惑?〕


 瑠璃からものすごい爆弾が投下され、蒼はフリーズした。文字通り無意識に息を止めてしまい、生きるために2、3度深呼吸をせざるを得なかった。どう返せばいいのか最適解が見つからなかった。


〔困らせちゃった?〕


〔マンガはマンガだから。現実はそんなことないから〕


 返答できないまま、時間切れを迎えたらしい。よかったような、惜しかったような。


〔何に使われるかわからないから安易に画像を送ったらダメだよ〕


 蒼は文面では平静を装って、ようやく返した。


〔でも、細野くんは変なことに使わないよね?〕


〔僕は、もちろん〕


〔じゃ〕


 そしてベッドの上のパジャマ姿の自撮りが送られてきて、ぐふっ、と蒼は噴いた。

 パステルグリーンの、もこもこしたかわいらしいフリースの部屋着姿で、鎖骨があらわになっていた。フェイントがあったから美少女のパジャマ姿の破壊力は倍増だ。


〔ホントかわいいです……衝撃絶大です……〕


 そして保存した。


〔ひさしぶりに細野くんから“かわいい”いただきました〕


 瑠璃がアイコンにしている魔法少女の『やったね!』スタンプがきた。


〔つむぎとはやりとりしてる?〕


〔昼に後はよろしくされてからはしてない〕


〔そうか。じゃあ今日はこれくらいにしてやるか〕


〔病人は寝てろ〕


〔寝る〕


 そして魔法少女の『おやすみ』スタンプがきた。


 長いやりとりだった。中学に入ってから今までのほかのクラスメイトとのやりとりと同じくらい長いだろうか。それだけ蒼が男のクラスメイトとのやりとりが淡泊なのだが。


 そして保存した瑠璃のパジャマ姿を眺め、少し特別な思いにひたる。彼女のパジャマ姿を知っている男子は自分だけだ、と思う。こんなくっきりとしたきれいな鎖骨を見た男子も自分だけだろう。そう考えるだけで甘い血液が胸の奥から湧き出てきた。


 本当に……破壊力抜群だ、と心の中で言葉にする。


 この画像は絶対に外には流出させないと蒼は誓い、鞄を持って自室に戻った。

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