少し歩いてカラオケ店に到着し、受付を済ませる。盛り上げグッズとして光るタンバリン――学校ではタンブリンというのだが――やマラカスが勧められ、無料だったので1組ずつ借りて、予約していた部屋に入る。3時間の予定だ。時間はたっぷりある。2人掛けソファ2組と椅子が2脚あったので、なんとなく別れて座ってしまった。


 つむぎと沢田はカラオケボックスの経験があり、それぞれリモコンタブレットを手に、手早く注文と曲の入力を済ませる。初めてきた蒼と瑠璃もすぐに操作になれたが、瑠璃はハニートーストを全員分頼もうとして、つむぎに止められた。


「そもそもこれを1斤食べきるためには沢田くんの胃袋が必要だから!」


「常識がなくてすみません」


 瑠璃は平身低頭の姿勢になる。


 トップバッターはつむぎで、マイクを握るといきなりアニソンが流れ始めた。


「いきなりカミングアウトとはつむぎ、がんばるなあ」


 瑠璃がほろりと泣くジェスチャーをする。この場はつむぎが沢田に対して、オタクであることをカミングアウトする場でもあったようだ。つむぎは堂々と歌いきり、沢田にマイクを手渡した。


「どうぞ」


「おう」


 沢田はつむぎがアニソンを歌ったことに特に何も感じていないようで、流行の曲を歌い始める。とはいってもこれもアニメのタイアップ曲だった。つむぎがオタクであることに気がついていたんだなあ、と蒼は感慨を深くしつつ、沢田の歌を聴く。上手くはないが、味がある。瑠璃が借りてきたタンブリンで沢田の歌を盛り上げようとするので蒼もマラカスで同調した。


 次は瑠璃の番で、古い映画の主題歌のイントロが流れてきて、彼女はマイクを手にした。松任谷由実の曲だったから、自分が弾いているのを聞いて興味を持ってくれたのかな、と蒼は少し嬉しくなった。瑠璃は両手でマイクを握る。


「――『守ってあげたい』」


 蒼は瑠璃が歌うAメロの歌詞かつ曲名を聞き、じーんと、背中に静電気のようなものが走るのを感じた。


 瑠璃が蒼を見た。


 彼女の瞳は蒼を映していた。


 テラス席で見つめられたときと同じだった。


 蒼は目をそらし、リズムに合わせてマラカスを振った。瑠璃もまた、歌詞を見るために画面に視線を戻したに違いなかった。


 最後は蒼で、実は蒼が選んだのもアニソンで『めざせポケモンマスター』だ。つむぎへの援護射撃のつもりだったが、必要なかったようだ。だが女の子の悲鳴の部分をきちんと女子2人が拾ってくれたので蒼は大いに満足した。


 ドリンクと一緒にハニートーストが運ばれてきた。順番に歌を続け、ハニートーストを切り分けつつ、蒼は鈴カステラのホワイトチョコ掛けを披露する。4人とも空腹だったのでそれなりに食べて、カラオケは進行した。


 途中、瑠璃が部屋を後にして、少ししてから蒼も気がついて部屋を出た。瑠璃は部屋の外で、ドアから見えないところに立って待っていた。


「つむぎと沢田くんに機会をあげないとね」


「そういうところ、僕は気が利かないなあ」


「鈴カステラのホワイトチョコ掛け、おいしかったよ」


「メーカーさんの努力の賜物だよ。特に何もしていないもの」


「しかししっかり手作りで返すね、君は。らしいんだけど」


「ホットチョコレートも手作りでしょ。イーブンです。でも、明日はホワイトデーだから、坂本さん、大変だよ」


「うざいなー」


「いや、その心配はないけどね。男子にもモラルがある」


「え、一体何があるの?」


「男子間で箝口令がひかれております」


 瑠璃が訊こうとしたとき、部屋から漏れてくる音楽から歌声が消えた。沢田が頑張っているのだと思われた。蒼は心の中だけで応援し、瑠璃も見守る様子だった。


 部屋に戻ると、蒼が座っていた椅子に沢田の荷物が置かれていた。


 つむぎが座っているソファの空いているところには彼女と瑠璃の荷物が置かれていた。つむぎと沢田に仕組まれたことに気づき、蒼は苦笑する。今、座れるのは2人掛けのソファ1台だけだ。


 瑠璃は動じることなくソファに座り、蒼の袖を引っ張った。


「座ろう?」


 蒼は観念して瑠璃の隣に座る。意識するなという方が無理だった。


 つむぎと沢田が、やった、とばかりにハイタッチをした。それなりに2人も打ち解けたようで蒼は、まあいいか、という気になった。


 せっかく2人で並んだので、『2人は魔法少女マジカル!』を一緒に歌った。


 それから蒼は2曲ほどギターのナビゲーションシステムを試してみて、沢田にもギターを聞いて貰った。沢田は駅前の演奏に感心していた意味がわかった、と頷いていた。それはそうだ、初心者だから、と蒼はぐっと我慢した。




 予約していた3時間はすぐに経った。延長するエネルギーはなく、4人は心地よい疲労とともにカラオケ店を後にした。


 合流したときと同じように男女別れて帰ることにして、蒼と沢田は時間はかかるが歩いて帰ることにした。当然、屋外ステージのセッションは終わっていた。


 駅の改札口で別れたが、瑠璃もつむぎも笑顔で人混みに吸い込まれていった。


 蒼は2人が消えてからも小さく手を振った。


「名残惜しそうだな」


 沢田が言い、蒼は歩いてロータリーへの階段を降りる。


「なんでもいつかは終わるから。わかっていても」


 家路を男子2人で歩きながら、会話を交わす。


「お返し、渡せた?」


「ああ」


「よかった」


「喜んでもらえたよ。でも」


「でも?」


「もらったのが本命チョコだったとかそうじゃないとか関係なくて、今は誰とも付き合う気はないと言った。純粋に、嬉しかったから、きちんとお返しするんだって言った」


 蒼は目をむいた。予想外の発言だった。


 沢田は半歩前を歩いていたから、蒼が彼の顔色をうかがうことはできなかった。


「それが沢田くんの結論ならそれでいい」


「お前はいつでも他人を肯定するよな」


「そんなことないよ。誰かを傷つけたり、嫌な思いをさせる奴のことは肯定しない」


「俺は委員長を傷つけたかな。肯定したのは傷つけていないと思うからか?」沢田は立ち止まって、自販機でカフェオレ缶を買って、投げた。「今日の礼」


 そして自分でもエナジードリンクを買った。2人は歩きながら開栓する。


「沢田くんはすごいと思うよ。委員長のこと、本当は好きでしょ?」


「どストライクだよ! 今日のことなんて、言葉がどれだけあっても足りない! ヲタ趣味を隠さないでくれたのも、すごく嬉しかったし」


 蒼はホットのカフェオレを一口飲んだ。甘い。


「それでも、押せば委員長と付き合えるかもしれないって思ったけど、あえて予防線張ったんでしょ?」


「ああ」


「きちんとした理由があるよね。真面目に考えたんだよね。だから肯定する」


「お前には何度も言っているけど、俺はレスリングで推薦を目指しているから。ほんの少しでも条件がいい高校に行きたい。そのためには今の実績が大切なんだ」


「知ってる。だから、女の子と付き合うのは、ロス? 面倒?」


 沢田は頷いた。


「俺は弱いよ」


 その弱さは身体やテクニックのことではなく、心の弱さだろう。


「委員長は頭がいいから、そこまでわかっていると思うよ。それに、レスラーとしての沢田くんが委員長のヒーローみたいだし、沢田くんが妥協するのは委員長も嫌なんじゃないかな。だから沢田くんは委員長を傷つけていないよ」


「そうだといい」


 そう沢田は答えて、蒼は無言で歩いて行く。


 別れ道が近くなった頃、蒼のスマホの通知音が鳴った。瑠璃からだった。


 蒼は瑠璃のメッセージを読み、自分の頬が緩むのがわかった。


「委員長、楽しかったみたいだよ。今度の大会に応援に付き合って欲しいって坂本さん誘ったってさ」


「え、本当かよ!」


 沢田は振り返って蒼を見た。


「でもそうなると事態はちょっと違うよね。委員長、格闘技好きみたいだからレスリングが強い沢田くんが好きなだけかもしれない」


「だとすると俺って自意識過剰野郎?」


「でもいいんじゃない。大会でいい成績を残して、推薦を決めたら、今度は沢田くんが委員長に告白すればいい」


「いや、だからさ――そうする」


 沢田は前を向いて歩き出した。しばらくして沢田が口を開いた。


「お前が羨ましい。音楽って共通点があるからお互いが力になれるもんな」


「別につきあってないよ。でも、パートナーだとは思う」


「歌っている坂本さんを見るお前の目はそうは言ってなかった」


 蒼に心当たりはあるが、忘れようと努める。


 沢田と別れ、蒼は1人で歩いて考える。考えても、答えは出なかった。




 その夜、また瑠璃からメッセージが入った。


〔カラオケ楽しかった〕


〔いい練習になったね〕


 蒼は平常運転で返した。


〔思いついたんだけど、リズムをとるのにタンブリンを使ったらどうかな。調べてみたらそういうパターンもあるみたいだし〕


〔歌いながらタンブリンか。慣れればできそう?〕


〔試してみないとなんとも〕


〔音楽室にあったから借りて試してみよう〕


 瑠璃とのやりとりは楽しい。楽しいし、前向きになれる。


 つむぎとの関係に悩んでいた沢田の姿を思い出しつつも、今の瑠璃との関係を大切にしたいと蒼は心底思えた。




 翌日はホワイトデー当日。瑠璃の席にお返しを置いていく男子の列ができた。瑠璃があげたのはチロルチョコで統一されていたので、あまり高価なお返しは禁止になり、チロルチョコより少しだけ値段が張るブラックサンダーに同様に統一された。


 なるほど、健全でいいことだ、と言いつつ、列に並んだ蒼からもブラックサンダーを受け取ると瑠璃は苦笑せざるを得なかった。

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