蒼は階段の踊り場で持ち運び用の、ウクレレよりも小さなサイズのスマートギターを取り出し、スマホとつなぐ。音源は内蔵されてないので、スマホがないと音が出ない不便なもので、プレイアビリティも低いが、一応演奏できるし、スマホの画面でどの弦を弾いたか、どの弦のどのフレットを押さえているか確認できるところが優れものだ。


 今はギターの練習は5分と決める。普段はギター15分につき勉強5分を課しているので逆転しているが、今日は勉強の日なので当然の縛りだ。コードを押さえて、きちんと狙い通りにきれいな音がスマホから出ると、気持ちが落ち着いた。


「新アイテム使っているね」


 瑠璃の声が下の階から聞こえた。瑠璃が踊り場に腰掛けている蒼を見上げていた。


「ネットオークションで電池蓋がないジャンクを100円で落札した。送料込みで900円で済んだ。電池蓋はバインダーの表紙とマジックテープで自作した。電池を押さえるならそれで用が足りる」


「安っす。いや、その発想が勝利なんだね」


「休憩?」


「もちろん私だって休憩するよ。戻ってこない誰さんを心配したのもあるけど」


 当然だが、下方にいる瑠璃は自然に上目遣いだ。


「言われてプレッシャーを感じたわけじゃない」


「そう言ってくれてよかった。私の方だけそう考えていたかもと反省した」


「一緒の学校に進学なんて考えたこともなかったから、それはそう」


「ごめんなさい」


「ううん。本当に考えたことがなかっただけ。ただ今の僕は、毎日のことをやっていくだけで精一杯だから」


 それは間違いない。


「じゃあ本当に休憩だけ?」


 瑠璃はまだ心配そうな顔をしている。


「ギターを弾いたら気持ちを確かめられるかと思っただけ」


「何を?」


「何かを頑張ろうとしたのも、勉強するようになったきっかけも、始まりはギターだったから」


「さっきのが失言じゃなかったみたいでよかったよ。そっか……ギターを始めたことが、今の君の始まりなんだね」


 瑠璃の表情が緩み、蒼は安堵する。間違いなく君も今の僕の始まりの一つなんだ――と言葉を継ぎたかったが、その勇気はなかった。


「君の方のきっかけは魔法少女?」


「そのとおりだけど、その話はまた今度にしよう」瑠璃は苦笑した。「勉強に戻ろ」


 ちょうど5分経ち、蒼はスマートギターのスイッチを切る。


「最初から5分のつもりだったんだ。なんでもだけど時間を決めておかないと、メリハリつかない」


「そうだね」


 蒼は階段を降りて、瑠璃の隣に立つ。今の瑠璃の緩んだ表情に蒼は彼女の危うさを感じる。みんなに囲まれている学校のアイドルなのにこんなにも繊細だ。ストレス耐性がどれくらいあるのか心配になる。自分もストレス耐性が高い方ではないが、彼女とは立ち位置が違う。そのくせストリートライブに乗り気なのだからよくわからない。


 それはそれとして、少しでも彼女の学校生活を支える助けになれればと蒼は思う。精神的に彼女に手を引かれている自分ができることはそれくらいだろう。


「勉強するぞ」


 蒼は自分に言い聞かせ、2人で図書室に戻り始める。


「その調子。わからないことがあったら言ってね」


 急にまたあの女教師の顔と声色になるので、おかしい。


「わからないことより覚えていないことの方が多いからなー」


「先に覚える事項のアドバイスはできるかも」


「確かに。闇雲に暗記してもダメだよね。それぞれ重要度が違うし、順番があるから」


 蒼は苦笑し、瑠璃も笑った。




 つむぎ的にはすぐの時間だったのだろう。2人で戻ってきても何もいわなかった。いわなかったが、ニヤニヤとはしていた。彼女がどんな想像をしているのか、蒼にはわからなかった。


 その後も勉強は普通に続けたが、10時頃、クラスメイトの1人が自習にきて状況は変わった。運がいいのか悪いのか、蒼が話をする男子、沢田だった。


「うわ、細野、なに? このすごいシチュエーション」


 美少女2人と同じテーブルで勉強し、うち1人は学校のアイドルだ。そういう反応になることは想定済みで、蒼は隣の椅子を引いてヒソヒソいう。


「偶然一緒になったんだ。沢田くんもここで勉強すれば?」


 沢田琥太郎(さわだ こたろう)は大きく頷いて席に着いた。彼がクラスにいてくれることで蒼はぼっちでないと言っても過言ではない。身長は180センチ近くあり、さらに体格もいい。以前からアマレスをやっていて部活には入らず、街のレスリングジムに通っている。同じ帰宅部なので、部活をやっている生徒の輪に入れず、クラスでは蒼と話をしているし、体育で組むことも多い。体力差も身長差も半端ないので蒼は彼に体育では迷惑をかけてばかりだった。


「沢田くんも自習ですか」


 つむぎが委員長スマイルで首を小さくかしげ、瑠璃も視線を向ける。


「アマレスばっかじゃなくて、さすがにテスト前くらいは勉強してこいと親に言われて。家じゃ勉強する気になれないから学校に来たってわけさ」


 そして漢字の練習帳を開く。漢字だけで一定の点をキープできるから必須だ。


「たまには筋肉休ませた方がいいよ」


「お前はもっと筋トレした方がいい」


「ぐうの音も出ない」


 女子2人が笑った。瑠璃がおかしそうな顔をしてささやく。


「細野くん、前に筋トレしているって言ってなかった?」


「やってるよ。でも、せいぜい合計3分くらいかな。だけど沢田くんは最低1日3分x3で『いい』って言うんだ」


「それくらいならやれるよね?」


 瑠璃の満面の笑みに沢田が露骨に疑問の表情を浮かべる。


「なんだ細野、ずるいぞ。いつの間にこんなに坂本さんと仲良くなったんだ」


「別に仲良くはない。単に話の流れだろ」


「そんなに仲良く見えました?」


 瑠璃もしくじったとわかったらしく、瑠璃は表情を殺していかにもスンとする。


「そもそも沢田くんが勉強なんて、雪が降らないといいと思います」


 つむぎが助け船を出してくれる。沢田は今度は露骨に照れてうつむいた。

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