第5話 勉強会とバレンタイン
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2月がやってきた。2月のイベントといえば蒼にとってはこれまで期末テストだけだったが、今回は少しだけ、ほんの少しだけ期待するイベントがある。極力意識しないようにしていたが、全国的にバレンタインデーのキャンペーンが始まると蒼は意識しないことを諦めた。意識しているのはクラスの男子みんなが同じで、校内のアイドルである瑠璃から何かしらもらえないかと期待を寄せていた。
彼女からもらえるのならチロルチョコだって大勝利だ! と朝の教室で声が聞こえて、全くその通りだと心の中だけで同意した。実際、瑠璃がバレンタインデーを意識しているとは思えなかった。ニュージーランドの同じ日のイベントは日本のそれとは違っていただろうし、ボイトレを優先して面倒くさがりそうな気がした。次の日はバレンタインデー前の最後の週末だったから、クラスの女子は手作りチョコの話などしていたが、瑠璃がそれに加わっているようには見えなかった。
その夜、瑠璃から連絡が入った。
〔テスト勉強しよう。つむぎはOKだった〕
〔了解。場所は?〕
〔土日も学校の図書室を主に3年生向けに自習用に開放しているでしょ?〕
別に2年生が使っていけないということもないし、図書室なら関係がバレないかな、と思う。もしクラスメイトと鉢合わせても同じテーブルに誘って同じように、つむぎと瑠璃とは偶然一緒になったことにすればいい。集合方法を決めて、やりとりは終わったと思っていたらすぐに通知があった。開けるとつむぎからのスタンプだった。
それはドラえもんの“あたたかい目”スタンプだった。
何をどう返してもろくなことになりそうにもなかったが、蒼はきちんと返した。
〔がんばる〕
勉強を。
〔がんばれ〕
生あたたかい目をしたつむぎの顔が、浮かんだ。
早朝練習を早めに切り上げて、蒼は学校に向かう。集合時間は決めないで、学校が開く8時以降にしようということになっていた。しかし結局、瑠璃とは8時に校門で出くわした。
笑ってしまいそうになったが、ここではまだ、ただのクラスメイトのフリだ。誰が見ているかわからない。
笑うのをこらえて、おはようとだけ挨拶したあと、瑠璃を追いかける形で一緒に廊下を歩く。そして図書室の前で瑠璃が振り返る。
「細野くんも自習ですか」
「偶然だよ」
図書室はまだ無人だったから、何もはばかることなく、2人は顔を見合わせて笑った。
窓際かつファンヒーター近くのテーブルを選ぶと、2人向かい合って座り、参考書とノートを広げる。8時半になると3年生が数人くる。私立高校の受験が始まっているから、風邪を引かないように、図書室にはもうあまり来ない時期なのかもしれない。
結局、図書室に来る人数が二桁になる前に、つむぎが来た。2年生は3人だけだ。
「2人そろって早いですね~ もしかして一緒に来たとか?」
小声でつむぎが言い、瑠璃の隣に座った。
「校門で一緒にはなったけど」
「本当に仲いいですよね~」
つむぎが瑠璃に耳打ちすると目をつむり、困ったような口元になった。
「もう、つむぎってば、からわかないで」
「ごめんなさい」
つむぎはおどけた表情で蒼の方を見る。蒼は同じテーブルで勉強していても関わりはないふりを貫く。
つむぎと瑠璃の成績は学年で指折りだったから、やっている勉強も同じようなもので、テスト範囲以上に応用問題をやっていた。蒼の成績は二学期の期末テストで上がったとはいえ、中の上だったから、暗記で基礎を固めるしかない。英単語を暗記してはその単語を使った熟語に移り、構文に向かい合う、そんな単調なことを繰り返し、忘れそうになったころ、もう一度同じことをする。そうして基礎が固まっていく。
瑠璃はその勉強の様子を見ていたが、特に勉強法を指摘することはない。
「細野くんらしいね」ちょっと疲れた頃、小声で瑠璃がいう。「ギターの練習と同じだ」
蒼がギターも、基本となるコードを繰り返し、コードチェンジを覚え、Aメロを試し、Bメロを試しているのを瑠璃は河川敷で見ていた。
「いやもう、どの科目もこれだよ。基礎知識がぜんぜん足りないからまずは暗記。それから応用。忘れるからその繰り返し」
「がんばれ~ 伸びしろがあるってことだ」
いたずらっぽく瑠璃が小さく手を振るり、つむぎが続ける。
「同じ学校に行けるといいですね」
「それは無理だと思うな」
「まだ1年あるんだから諦めて欲しくない」
瑠璃は急に不機嫌そうになった。
「やっぱり坂本さん、細野くんと同じ学校に行きたいんですね」
からかう風ではなく、少し意外という風につむぎがいった。
「――せっかく、やっと、この街でできた、私と話ができる人だから、当たり前だよね。もちろん、つむぎもそうだよ」
つむぎは無条件に喜んでいたが、蒼は複雑だ。クラスではあんなに人に囲まれている彼女が、その中には話ができる人がいないといっているのだから寂しい話だ。それでいいのかな、と思う。蒼も人付き合いは少ないが、もしかしたら内面的には、彼女は自分以上に孤独を感じていたのかもしれない。
「わかった。がんばるよ」
蒼は頷き、そのままノートに向かった。ついこの前までろくに勉強してこなかった自分が、もし一生懸命勉強し続けたのなら、瑠璃やつむぎの背中を見ることくらいできるのかもしれない。できなくても、今から諦めたら何もしていないのと同じだ。勉強をして、ギターを練習して、瑠璃と一緒に歌って、ストリートライブをやる。忙しいけれど、できないと決めつける必要はない。
本当に瑠璃に手を引かれている――そんな感覚を蒼は認める。
蒼が顔を上げると瑠璃と目が合った。瑠璃は唇を真一文字に結んでいた。自分の手を引くことで彼女もまた、自分が1人ではないことを確認しているのだと思う。だから諦めて欲しくないと口にしたのだと思う。
「ちょっと休憩するよ」
カバンを手に、蒼は図書室を後にする。
ギターを無性に弾きたくなっていた。
「さあ、勉強勉強。周りの邪魔にならないよう話も終わり」
それはそうだった。つむぎが小さく笑い、4人で勉強を始めた。
12時になる少し前に4人は勉強をいったん終わらせた。沢田は2時間も勉強したと言って満足げに帰ったが、3人が午後も勉強すると聞いて、戻ってきそうな気配があった。クラスではなかなかないシチュエーションだからだろう。
残った3人は弁当を中庭で食べることにして、4人は校舎の外に出る。
午後も待ってるよ、と言って蒼は沢田を送り出した。
「細野くん、よく言った!」
瑠璃が両拳をかためて胸の前でガッツポーズをして蒼を褒め、彼の脳内にクエスチョンマークが生じた。つむぎは校門から出た沢田の後ろ姿を見続けていたが、瑠璃の言葉に振り返った彼女は表情を凍らせており、これにはさすがに蒼も察した。
「え、ホント?」
「なんで坂本さん、バレるようなこと言うの!」
「またなー」
小さく沢田の声がした。彼は振り返って手を振っていた。つむぎも小さく手を振り、瑠璃はばつの悪そうな顔をした。
「大丈夫、大丈夫、僕、口堅いから。そもそも話す相手がいないから安心だよ」
「そんなんじゃないの。ただ、いいなーって思ってるだけで!」
「またなー、だって。チャンス到来なんだからこの機会によく知ればいいと思うな」
瑠璃は腕組みしつつ、何度も頷いた。
「細野くんと仲がいいのはわかっていたけど、こんなこと本当にあるのかな?」
つむぎは真っ赤になって口元を押さえていた。
「バレンタインデー前に接点ができるかもでよかったんじゃ? 情報源もここにあるし」
瑠璃の言葉に蒼は、それについては少々心許ないな、と脳内で言葉にした。
「だから、そこまでじゃないの!」
照れるつむぎは本当にかわいかった。
「でも、細野くんと仲良いって言って貰えてうれしかった~」
瑠璃が声を弾ませ、蒼は心臓が止まる思いがした。
「どうしてそういうこと言うかな……いや、その、おかげで勘ぐられたよ」
「それはそうだけど、私でも人付き合いできるって言われたようなものだから」
とりまきと瑠璃が普段どんな会話をしているのか不安になる発言だ。
「そうです。気をつけてください」
こほん、と咳払いをしてつむぎがいった。
どんな心持ちであの会話を聞いていたのだろうかと想像すると、蒼と瑠璃は思わず生あたたかい目で彼女を見てしまう。
「なによ」
「あとはお弁当食べながらお話ししよっか」
瑠璃がつむぎを後ろから抱きしめ、歩きにくそうだったが、つむぎがよろよろと歩き出す。こんな女子の関係を尊いというのかな、と蒼はほほえましく思った。
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