第34話 完堕ち

「ほ、ほほほほ。どんどん食べて下され。お土産に持って帰って頂こうと、5人前を頼んでおいたのです。持って帰るもよし、ここで食べるもよしですじゃ。お好きにして下さい」


 目の前には「渚々苑ショショエン」の特選牛肉弁当とお持ち帰り用の冷麺が、それぞれ5セット用意されていた。


「ささ、身体を動かされて疲れたでしょう。堅苦しくならずに。東京の実家だと思って楽にして下され」


 すげえ美味そう。これも作戦だろうか?恐るべし。


「あの~。本当によろしいのでしょうか?遠慮なく頂きます。佐山さんもよかったら一緒に食べない?」


 奈々さんは俺の横で正座をして真直ぐに背を正している。なんだかすごく食べ辛い。


「ありがとう秋枝...さん」


 試合後、いや、お父さんの話を聞くと言った瞬間から態度が一変した。敵意を向けてくることは無くなった。まあ、ありがたいが...。なんだかよそよそしい。さっきまでの「秋枝!」と向かってくる方が、なんだか話しやすかった...と思う。


「お茶はありますか、いやコーラーの方がよろしいですか?」や、「もっとミカンを...」、さらには「私の「渚々苑」の、特選牛肉弁当も如何でしょうか?」等、武夫さん同様、俺を餌付けしてくる。


 そんなに俺の弱点って分かりやすいのかな?


「あ、秋枝でいいよ。今までの感じで話してもらった方が違和感も少ないし、逆に「さん」を付けられると緊張するから」


 急に態度を180度かられると、どうしていいか分からなくなる。


「あ、ありがとうございま、いやありがとう。わ、私は人間関係の構築が苦手なのだ。どうしても緊張してしまう。会話が上手くできない。志保や真美には感謝している。向こうから積極的に接してくれるから...そ、それと...」


 そう言ったあと、俺に対して姿勢を正して、まっすぐに清らかな瞳で俺をみつめて来た。


「ほ、本当に今回の件は申し訳ないことをしてしまった。私を友達だと言ってくれる真美や志保が、苦しんでいると思って...。助けなきゃと思って、爺ちゃんの言うように暴走してしまった。本当に申し訳なかった」と深々と頭を下げてきた。


「お、俺も、ごめんね。思いっ切り投げ飛ばしてしまって。背中大丈夫かな?」と、佐山さんに謝った。


 手加減などする暇なかったし。気を抜いたら、奈々さんの肘が飛んできただろう。


「いや、あれでいい。あれでよかったです。手加減せずに真っ向勝負をして頂けたから、自分の愚かさに気が付けました。真っ向勝負をしてくれるのは爺ちゃんだけです。後はどこか...女性だからや、代表のお孫さんだから...」と、

 少し寂しそうに言ってきた。


「わ、分かった。じゃあご飯を食べながら、お父さんの話を聞かせてよ。佐山さんも一緒に食べよう」


「あ、ありがとう。秋枝さん」



◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 俺は三つ目の特選牛肉弁当の蓋を開けた。そして、一口頂いてみた。な、何だ!この柔らかさとご飯との相性の良さは⁉


 さすがは1つ3000円相当の、お弁当なだけはある。完全に俺の胃袋を支配しにかかって来たな。恐るべし「雷神館」一門...。


 毎週来ちゃうだろうな。少し慣れてきたら、体術スキルを持ったメルを連れて来そうだな?俺よりも佐山さんと馬が合うかもしれないしな。人間関係が苦手だと言ってたし。色々な者と交流を図るのもいいことだろう。


 そんなことを俺が考えていると、武夫さんが自家製なのか?ぬか漬けを持ってきてくれた。そして...。


「実は、奈々の父親は亡くなったわけではないのじゃ。我が娘の弥生と結婚し、婿養子として家に来てくれた子じゃ。そうじゃな...智也さんにどことなく似ておるかもしれないのう」


 そう言った後、武夫さんは急須にお湯を注ぎ、俺の湯飲みにお茶を注いでくれた。


 鉄器急須だ。渋い...。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「義正君は我々とは畑違いの子でな。武術などは一切経験がない子じゃった。商社に勤めていたのじゃ。出会いは弥生が大学生の頃、社会勉強でアルバイトに行った時に知り合ったらしいがのう」


 武夫さんは壁に飾られている遺影をちらりと見ながら、俺に教えてくれた。


 あれが佐山さんのお母さんか...。どことなく、いや佐山さんにそっくりだ。


「義正君は優しい子での。頑固で融通のきかない弥生をそっと見守るような存在じゃった。ただ義正君は全国を飛び回る商社マン。それでも会える時間を2人とも大切にして、子宝に揉めぐまれたのじゃ」


 そのころを思い浮かべているかのように、武夫さんは、弥生さんの遺影をみつめた。


「じゃがその後、弥生は病気で...亡くなってしまった。まだ奈々は2歳じゃった。義正君は弥生が亡くなる少し前に、商社を辞めてくれてのう。うちの事務局長になってくれたのじゃ。そして奈々が寂しがらないようにと、いつも家にいてくれた。本当に優しい子じゃった...」


 本当に優しかったのだろう。奈々さんはみかんを食べながら深く頷いている。


 奈々さんは特選牛肉弁当には手を付けずに、みかんを食べていた。いつの間にか特選牛肉弁当の残りが2つから、3つに増えていた。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「じゃがのう...。ある日、一本の電話が義正君宛てにかかってきてのう。その電話を切るや否や、「岐阜に行ってきます!」と言って飛び出して行ってしまったのじゃ。電話の相手もわからん...ただのう...」


 そう、武夫さんが、続きを話そうとした瞬間、奈々さんが堪えきれ無くなったように、俺に10×8cmほどのプラスチックのカードみたいな物を、俺に手渡してきた。


「メモが残っていた!お父さんのだ...」


 それは、全体が黄ばみ、端がよろよろとなったメモだった。書かれている内容はもう見えない。ただ、原形をとどめておくためにだろう、ラミネートで保護されていた。


「小さい頃はそれが無いと奈々は寝付けなくてのう。握りしめて眠っておったのじゃ。最後に残っていた義正君の物じゃったからのう。奈々の宝物じゃ。でも...これを見せるということは、本当に奈々は智也さんを信頼したんじゃな...」


 そういって、武夫さんは奈々さんを温かい目で見つめた。奈々さんはどこか照れくさそうに、湯飲みで顔を隠すような仕草を見せた。


「お母さんの記憶は殆どない。でも、お父さんとの記憶はまだしっかりとある!それにお父さんは生きている!なんとなく分かる。だから探したい!でも探すのなら、「医療的知識を身に着け、そして...わしを超えてから探しに行きなさい」とお爺ちゃんが言った。だから...」


「佐山さん...それは...」と、俺が言葉にしようとした瞬間、佐山さんは首を左右に振った。そして...。


 そして、俺の顔をまっすぐに見つめ、佐山さんは静かに俺に言ってきた。


「今日でなんとなく分かった。おじいちゃんを超えるということは武力だけじゃないって。色々な意味で大人にならないと、今日のように他人を巻き込んで、大変なことになるっていうことだと...」


 その言葉を聞いた瞬間、武夫さんは、口元に運んだミカンを落としてしまった。


「奈々、おぬし...。智也さん。本当にありがとうございました。皆さんにはご迷惑をおかけしましたが、奈々は成長できたようですな。ほ、本当にありがとうございました」


 そう驚いた表情をした後、俺に向かって深々とお辞儀をしてきた。


 な、なんだか照れくさい。奈々さんも何となく照れくさそうな顔をしている。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 そうだ、肝心なことを聞くのを忘れていた。


「ご、ごめんね。話を戻すけど、メモには何と書いてあったの?」と、2人に聞いてみた。


「岐阜と、守り人、廃校、それに川岸だった」


「岐阜なら俺の地元だよ。力になれるかもしれないよ!」と、口調に力が入ってしまった。


「ほ、本当...?そ、それに、あんなに迷惑をかけたのに、協力をしてくれるのか...?」


 伺うように上目で見つめてきた。そして、佐山さんの両目の涙袋には、大量の思いが、今にも零れ落ちそうなほど詰まっていた。


「ああ、もちろんだよ。夏休みでよければ、岐阜に帰ろうと思っているから、良かったら一緒に探そう。少しは役立てるかもしれないし、昔からの郷土に詳しいお年寄りも知っているから」


 そう伝えると佐山さんは、堪えていた涙が両頬から零れ落ちた。


「奈々が男性の前で涙を流すとは...。それに智也さんの地元が岐阜とはのう...。奈々と智也さんは出会うべき人だったのでしょうな」


 そう武夫さんが呟いた時、外から扉をノックする音が聞こえた。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「ほほほほ。ナイスタイミングじゃのう」


 白い道場着を着た屈強そうな男性が、似合わない可愛らしい小箱を武夫さんに渡し、「オス!失礼します!」と切れのある動きで礼をして、出て行った。


 受け取ったものを箱から取り出し、そうっと、テーブルの横にプリンを2つ置いた。


「ま、まあまあ2人ともこれでも食べなさい。弟子の一人が買ってきてくれてのう。疲れた体には、甘い物が一番じゃ」


 そう言って俺たちの目の前に、高級そうなプリンを俺と佐山さんの目の前に出してくれた。


「お、お爺ちゃん!これって私の大好物の「船山屋」のくず餅プリンじゃないか!あ、秋枝さん、本当に美味しいんだぞ!」


 つい先ほどまで泣いていた表情が、笑顔に変わっている。よっぽど好きなのかな。


「まあ、奈々も智也さんを堅苦しく「秋枝さん」と呼ばずに、「智也さん」と呼ばしてもらいなさい。奈々の運命の人かもしれぬ人かもしれないぞ、ほっほほほほ」


「も、もうお爺ちゃんたら!」そう言った後、俺を真っ赤な顔で見つめて「と、智也さん、お茶のお代わりはいる?や、やっぱりコーラーがいい?」


 俺のイメージは、コーラーなのね...。でも喋り方が女性っぽくなったような気がするが、気のせいかな?


 それにしても、佐山さんおすすめのプリン、な、何だこの滑らかさ、くず餅とのハーモニーは...。い、今までに食べたことのない味、食感...恐るべし東京。


 完堕ちだ。


 俺が敗北したことを、読み取ったのか武夫さんが、ずいっと俺の前に出てきた。


「孫を、頼みましたぞ。週に一度でいいので来てあげて下さい。この通りですじゃ。それに「奈々」と呼んであげて下され」


 そう言った後、武夫さんは深々と頭を下げてきた。


 そして武夫さんの隣では、奈々ちゃんも「と、智也さん。私に稽古をつけてくれ、いや、下さい!まだまだ色々な面で弱いから!そして、お父さんを一緒に探すのを手伝って欲しい!」と言ってきた。


 そんなことを言われたら、助けないわけ行かないじゃないか...。


 それに何か、肝心なことを忘れているような気がするんだけどなぁ?メモの中に何か聞き覚えのあるような...。


 そんな俺の思考を消し去るように、「智也さん!コーラーもっと飲んで。プリンもまだあるぞ!」と、にこやかに笑った奈々ちゃんが、俺のコップにコーラーを注いでくれた。

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