第32話 決闘

 奈々は怒っている。ブーちゃんを捕まえて、奈々の祖父が経営する「雷神館」で、ブーちゃんの精神と肉体を鍛え直すと息巻いている。


 こ、怖い。


「あーゆー男は取っ捕まえて、強制的に反省させるべき!という分けで、私のバックをよろしくね、志保!」


 私にバックを預けた奈々は、ブーちゃんが住んでいるマンションに向かって走り出した。「ちょ、ちょっと、奈々!信号赤だし!」


「子豚!そこを動くな!」


 道路を挟んで反対側のブーちゃんに毒を吐く奈々。もちろんブーちゃんには聞こえない。


 しかし、高ぶった感情から呟いたのだろう。ブーちゃん逃げて...。勿論、私の声もブーちゃんには届かないし、こちらの状況にも気が付いていない様だ。


 奈々は、赤信号を待ちきれない様だ。つま先をパタパタと上下させ、イライラしている。そんなに身体を前のめりにしたら危ないって!


「奈々、危ないって!車に引かれちゃうよ!」


 そう、私たちが必死に注意をしても、奈々は聞き耳を持たない。


 信号が変わった瞬間、疾風のごとくブーちゃんに向かって奈々は走り出した。


 まだブーちゃんと彼女さんは、部屋の中に鍵を忘れたのか、玄関先でもたもたしている。


 でも、オートロックのマンションだろう。いくらマンションに着いても、そう簡単には中には入れない。そんなことを思っていると、奈々はあっという間にマンション前に着いてしまった。


 さらに運の悪いことに、玄関から出てきた女性の脇をすり抜け、勝手にマンション内に入って行った。


「ちょっ、ちょっと不法侵入だって!ブーちゃん逃げて!」


 こちらの心配とは裏腹に、あっという間に奈々は3階に到着し、すぐにブーちゃんと距離を縮めた。そして、ブーちゃんに何かを告げたようだが、もちろんここからは聞こえない。


 ブーちゃんが返事をした内容に不満があったのかは分からないが、奈々がブーちゃんの襟元に手を延ばそうとしたその瞬間、ブーちゃんと奈々の間に女性が入り、一瞬で奈々の首の後ろに手刀を打ち込み、奈々は膝から崩れ落ちた。


 私たちが、「ブーちゃん危ない!」と心の中でブーちゃんの身を案じたが、その場に崩れ落ちたのは、何と奈々の方であった。


「えっ!」


「な、何が起こったの?」


 私と真美は驚きと共に、私は少し安堵した。も~奈々無茶しすぎだし、感情にながされ過ぎだよ!絶対にナースになっちゃいけない子だよ。でもよかった。ブーちゃんには怪我がないみたいだ。


 ただ、今度はブーちゃんが慌てているようだ。目の前にいきなり知らない女性が飛び込んできて、襲われそうになったのだから。


 ブーちゃんにとったら、迷惑としか言いようがないだろう。


 とにかく私たちも現場に向かってしっかりと謝らないと。ブーちゃんに迷惑かけまくったし。


「志保、私は奈々に電話するわ!志保はブーちゃんに電話をかけて!オートロックを開けてもらわないと。それと奈々の回収に向かわないと...これ以上2人の邪魔をするわけにはいかないわ!」


 真美も慌てているが、適切な判断だ。いつものおちゃらけた感じはない。奈々を連れてきたことを猛烈に反省している、そんな表情をしている。


 真美が奈々に慌てて電話をかけると、預かったカバンから着信音が鳴り響いた。


「ど、どうしよう、ここから鳴っているよ!」私は分かりきっていることを真美に伝えた。


「あー真美!ドアも閉まっちゃう。ちょ、ちょっとブーちゃん!ブーちゃんたら!」


「もう、早く志保もブーちゃんに連絡をしてよ!」と、切羽詰まった表情で私に言ってきた。


「私だってブーちゃんに電話をかけたいよ、でも...。私はまだ、ブーちゃんと連絡先交換していない...」


 そう答えると真美は「そうなのね...」と、可哀そうな子を見る表情をした。


 そんなバタバタしているだけの私たちをしり目に、ブーちゃんと一緒にいる外人さんが、奈々を軽々と担いで、ブーちゃんの部屋に連れて行った。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「どうしたんだろうこの子?すごい勢いでこっちに向かって来たよね。うん⁉まてよこの子...」と俺は呟きながら、彼女を見つめた。


「智也様、明らかに智也様を狙っておりました。捕まえて、どこかに連行しようと…。ナイメールの盗賊団たちがよく、あのような表情をしておりましたから。この者に心当たりがおありでしょうか?」


 サラは、女性をベッドに寝かしつけた後、俺に話しかけてきた。


「こ、この子は多分...でも、どうしてすごい勢いで俺に向かってきたんだ?」


 看護科の佐山さんだった様な気がするけど...接点はないはずなんだけどなぁ...。


「確か...同じ大学の子だと思うよ。こちらの世界ではなかなかいない背の高い子だから、覚えていたけど...」


「すみませんでした。お知り合いでしたか。手加減はしたのですが、明らかに智也様を狙っていたように見えましたので、眠っていただきました」


 サラは、俺に対して申し訳なさそうに謝って来た、しかし、サラって格闘技も出来るんだな。


「サラって凄く強いんだね。スキルが「裁縫」だし、芯はおっとりしているから戦闘向きじゃないと思っていたよ。ただ...佐山さんは恐かったけど、ドラリル一味に比べたら動きが遅かったから、何とか避けられると思った...けど」


 そう言った後、佐山さんに視線を返した。穏やかに呼吸をしている。こうやって寝顔だけを見ると綺麗な女性なのに...。うーん。何で俺の家に猛然と突っ込んできたんだ?訳が分からん。


 追い出す訳にもいかないし。でも、あっちの世界に連れて行く訳にもいかないし。困ったな。


「サラ、ごめんね。今日の買い物は中止だ。明日は必ず一緒に行こうね。本当に今日はごめんね」


「えっ」と、サラは少し驚いた表情をして俺の顔を見た。怒ったかな…。


「明日も私が...智也様のお迎え係でいいのですか?すごく嬉しいですけど...皆に悪いし」と、少し困った表情をした。


 何でも見送り係と、お迎え係は公平に決めているらしい。「それなら行きと帰りを替わってもらったら?ごめんね。俺からも言ってみるよ。ごめんね」と再度謝っておいた。


「そんな、智也様が謝る事ではございません」とサラはそう言ってくれた後、俺とサラは同時に佐山さんを見つめた。


「どうしよう...」


「どうします?」


 二人でほぼ同時に佐山さんを見つめると、「ゴホ、ゴホ」と、彼女はいきなりむせ出し、がばっと勢いよくその場で上体を起こした。どうやら意識が戻った様だ。


「智也様。彼女と話をしたいです。言葉が通じるようにしては頂けませんか?」と、サラは俺に頼み込んできた。


 まあサラは賢いし、余計なことはしないし言わない。常に周りの状況を冷静に分析できる娘だ。俺の奴隷の中では、縁の下の力持ち的存在だ。大丈夫だろう。


「分かったよ、サラ。頼んだよ」


「はい。ありがとうございます。あの、智也様...私を信じてくださって、ありがとうございます」


 サラは俺に対して嬉しそうに微笑んだ後、佐山さんを見つめた。


 その表情は、俺に微笑んだ表情とは違い、冷静沈着そのものであった。


「大丈夫ですか?理由はともあれ、貴方に怪我を負わせてしまいました。すみませんでした」


 そう言ってサラは佐山さんに頭を下げようとしたが、当の本人が頭を下げようとするサラに対して、「いえ、貴方は何も悪いことはしていません」と、サラに対して姿勢を正し、深々と頭を下げた。


「へっ」


 どういう心境の変化なんだ?打ち所が悪かったのかな。都合はいいけど...。


「あ、あなた様のような強いお方は見たことがございません。私を一撃で仕留める力強さ。冷静な判断力。他人をイタわる優しさ。私が追い求めていた人だ!ぜひ私を弟子にして下さい!我が祖父よりも強いと思います。是非、私を弟子に!」


 そう佐山さんはベッドから飛び降りて、床の上で深々と頭を下げた。


「ちょ、ちょっと待ってよ、佐山さん!サラの弟子になりたいって、どういう事なの?」


「お前には関係ない。私の邪魔をするな。殺されないだけ感謝しろ...」


 お、俺には冷たいのね...。


 ただ、俺に対する言動と態度に対してサラは「帰りなさい!私の愛する人であり、私の尊敬する智也様に対して、何ですかその態度は!許しません。目の前から消えなさい!」


 そう言ってサラに対して殺気を放った。


 俺からすれば、マリンたち3人に殺されかけた時の恐怖が蘇るぐらい、強い殺気だ。


「す、すみません。お、お許し下さい。ただ、お、お言葉ですが師匠!その子豚、いえ秋枝...秋枝さんは、他の女性を泣かしている不届き者です!し、師匠が尊敬するような男性ではございません!女の敵です!成敗に値します!」


「成敗に値しません。その様な思い込みで行動をとる、貴方の方が成敗に値します」


 サラは佐山さんに言い放った。それに佐山さん。サラを師匠って...。


「な、何でですか?この男は女性を泣かしたのですよ...なのに、何でですか?」


 そう言って俺を睨む。


 こ、怖い。そして間違っていない。佐山さんの言う通りだし。全部当たっています。


「智也様は、私の過ちを寛大な心で許して下さいました。それに私と同様に智也様を慕う多くの者たちは、智也様に、命がけで救って頂いた者ばかりです。好きになるのは必然です。それより、十分な理由も事情も知らないくせに、智也様を襲うあなたの方がよっぽど成敗に値すると思います」


 サラは佐山さんを真っ直ぐに見つめ、圧倒的な迫力と冷静な切り口で、佐山さんの言及を押し返した。


「で、でも、秋枝さんは師匠よりも弱いです。現に私の攻撃を避けることなどできません!そんな男が、命がけで人を救う?師匠の過ちを許す?この男にそんなことが出来るとは、信じられません!」


 佐山さんはサラというよりは、俺を睨みつけながら反論した。俺は何も言っていない...のに。


 そんな佐山さんに対してサラは「貴方は...可哀そうな人ですね。強さは...肉体的な強さだけじゃありません。ですが...智也様があなたよりも強かったら信用できますか?しっかりと話を聞き入れて下さいますか?」と佐山さんに話しかけた。


 すると佐山さんは、すごくにこやかな表情に変化した。


 わ、分かりやすすぎる...。


「で、では、秋枝さんと決闘をして、私が勝てば師匠!私を鍛えて下さい。もちろん負ければ素直に謝りますし、師匠や他の女性たちが秋枝さんに惚れた理由もお聞きします!」


 佐山さんはサラに勢いよく答えた。もう勝つ気満々だ。佐山さんの頭の中には、サラとの特訓をしている光景が見えるのだろう。俺に負けるイメージは、みじんも持っていなさそうだ。


 ちょ、ちょっとサラ、ど、どう言う事⁉


「このお方は、力を欲しがっています。何か理由があるのでしょう。それに、このお方は非常に単純です。思い込みをいい方向に持っていきさえすれば良いのです。私はインリン姐さんの元でずっと働いてきました。こういうタイプの扱いには慣れています」


 だ、だけど、いきなり決闘って...。


 佐山さんを見ると、もう勝った気でいるようだ。何だろう...。物語などにいるやられキャラみたい...。確かに単純で、残念な子だな。ちゃんと周りの大人が助けてあげないと、悪い男に騙されそう...。


 俺が哀れな者を見る目で、佐山さんを見ていると、「さあ、秋枝‼決闘だ。どこでやるんだ!ここから一番近いうちの道場で行うか?それともストリートファイトか?好きな場所を選べ!」と、まくしたててきた。



 何でこんな展開になってしまったのだろう...。ただ洋服や生活用品に使用する生地や布を、買いに行く予定だったのに...。


 そんなことを思いながら、ため息を履く智也であった...。

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