安寧の地
「何を言い出すかと思えば……」
「トイレだと?」
「気が狂っているのではないか」
エルフの古老たちは動揺を隠せない。
それも仕方のないことだろう。
人間の国から来た特使が、いきなりトイレとかいい出したのだ。
空気を読まないにもほどがある。
戸惑わないほうがおかしい。
だが、広がった動揺も時間と共に次第に収まっていく。
すると困惑は怒りへと変わった。
「いったいなんなんだ、この者は……」
「なにがトイレだ!」
「ええい、こいつらをつまみだせ!」
古老たちは口々に叫ぶ。
もはや外交儀礼とか、そういう次元ではない。
国辱レベルの放言だと。
しかし、水晶の裏で東都は笑みを浮かべていた。
彼の表情は、不敵でさえあった。
「では、実際にお見せするとしましょう」
「な、なんだと?」
「トイレ設置ッ!!」
東都はトイレを設置するスキルを叫ぶ。
すると純白の柱が彼の側に出現した。
「なんだ、なんという魔術だ?」
「あんな大きいものを出すとは……」
「人間の魔術士があんな力? 信じられん!」
「あの者も転生者ではないのか?」
(う、転生者か疑っているヤツもいるな……)
エルフの古老は目の色を変えて騒ぎ出した。
そして一部の者は、東都のことを転生者ではないかと不審がっている。
転生者とバレたらすべて台無しになる。
ここは勢いに任せよう。
東都は大声を出してまくし立てた。
「このトイレは、僕が魔法で作り出したものです。これまでこの世に存在した全てのトイレを超えるもの――『
「偉大なる存在、だと……」
「何を言っているんだ?」
「それな」
「……そこのあなた、トイレに入りたそうですね。僕にはわかります」
「――なッ!!」
東都は、ひとりのエルフを指さした。
厳しい将軍風の顔つきをした、銀色の長髪を腰まで伸ばしたエルフだ。
突然のことに彼はぎょっと驚き、それを見た周りの者が笑い出した。
「ははは、何を言い出すかと思えば」
「どうしたバルバロッサ。顔色が悪いぞ?」
「おいおい、まさかお前……」
「――私は……今まさにトイレに行こうかどうか、迷っていたところだった」
「なんだと?」
「どうして会議が始まる前に行かなかったんだ」
「だって……ここって丘の上で、トイレすっげぇ遠いじゃん……」
――そう、これがエルフのトイレの弱点だった。
エルフのトイレは、川の流れを利用する原始的なトイレ。
つまり、丘の上にはトイレを作れないのだ!!!
「あー……」
「おい待て、だとすると――」
「ハッ?! あの魔術士、まさか……!」
「僕には『目』があるんですよ。人の便意を見通す『神の目』が。」
「「最低すぎる?!!!」」
「バルバロッサさん、どうぞこちらへ。トイレはここにあります」
ニヤリと笑って手招きをする東都。
彼の視線はバルバロッサの顔を見ているようで見ていない。
東都の瞳は彼の頭の上の数字――便意を示す3桁の数字に注がれている。
その数字は、今まさに90の大台を指し示していた。
ここまで便意が高くなると、正常な判断をするのが難しくなる。
東都はそのことを身をもって知っていた。
彼がこの世界に転生した原因。それは「便意」だ。
強烈な便意によって、彼は文字通り致命的な失敗を犯した。
強烈な便意を感じていた東都は、向かいの道路にコンビニを見つけてよちよち歩きにも関わらず道路を横断しようとした。そして偶然通りかかったトラックにはねられて死亡した。
このことから、東都はその身を持って便意の特性を理解していた。
強い便意はアドレナリンを分泌させて知能を向上させる。
だが、便意によって覚醒した超知能が目指すのは「トイレに入ること」。
いずれにせよ、バルバロッサが取りうる選択肢は変わらないのだ。
どうあがいても勝利。
東都はこの状況に王手をかけていた。
(ククク……だ、だめだ。まだ笑うな。しかし……)
「やめろ! 罠だ!」
「罠でもいい! 罠でもいいんだッ!!」
バルバロッサはすっくと立ち上がって内股になる。
そしてそのまま、足のつま先だけ小刻みに動かして、ピコピコと小走りでトイレに駆け寄った。その様子は生まれたての小鳥のそれによく似ていた。
そのままトイレに入ると思いきや、東都の近くまで来たところでバルバロッサは立ち止まった。そして、額に
「重ねて問う。このトイレが……本当に
「言葉で語るより、体験したほうが速いでしょう。どうぞお楽しみください」
「フンッ……!」
「格好いいこと言ってますけど、これってウンコのことですよね」
「しっ、エルは黙ってなさい」
<バタン!>
力強くドアが閉じられる。
そして流れるファンファーレと水の音。
ホールを囲むエルフたちは、息を呑んでトイレを見守る。
東都たちも自然と拳に力がはいっていた。
しばらくして、音もなくそっとトイレのドアが開かれる。
バルバロッサが営為を終えたのだ。
厳しかったその顔は、穏やかで、安らぎに満ちている。
バルバロッサは、
その光景をみたエルフは、小鳥がさえずり小川の流れる平和な草原を幻視した。
◯姫の奏でる「さぁっ」という風の音に、彼らは頬を撫でられた気がした。
「これは……現実なのか? これがトイレなのか?」
「バルバロッサさん、感想をお願いします」
バルバロッサは、「あぁ」と、どこか呆けたように東都に返事をする。
彼はホールに立ち、ホールを囲むエルフたちに向かって訴えた。
「これは……これこそがエルフの求めていた安寧の地だ!」
これこそがトイレ。これだけがトイレ。
そう語る彼の目の端には、きらりと光るものがあった。
ざわめく古老たち。
すると、ひとりが立ち上がって手を打った。
ひとつがふたつ、ふたつがみっつ、よっつと重なっていく。
拍手――。
元老院の中が、東都のトイレに対する称賛で満ちる。
しかし、その称賛の影の中でひとり、舌打ちを打つ者がいた。
「チッ……このままでは不味い。――作戦を始める頃合いだな」
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※作者コメント※
えーっと……なにこれ(哲学
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