背教者サイド

 赤い仮面の背教者は、サハギンの本隊にいた。


 彼らは海岸から少し離れた小島に本陣をかまえている。

 先陣が出発してからほどなく、背教者は残るサハギンたちに出撃を指示した。


 彼が率いるサハギン達は、やりを持って行進している。サハギンの歩みに合わせて無数の槍の穂先がたなびく姿は、銀色の小麦畑のようだった。


 サハギンが肩に乗せている槍は、かなり上質なものだ。

 穂先は歪みひとつない流麗な木の葉の形をしていた。

 銀葉を柄に留める飾りは、草花を模しておりこれはエルフの武器の特徴だった。


「フフ、帝国の人間がこの光景を見たら、驚いてひっくり返るだろうな。」


 エルフの武器は優れていることで有名だが、その値段の高さも有名だ。

 サハギンがもっている槍一本で、帝国騎士の甲冑と盾と槍、そして馬が揃う。

 とても全軍に持たせられるようなものではない。が――


「アレはユニークすぎる。不確定要素はここらで潰しておかないとな」


 背教者はそう言って、手の中で転がした干しぶどうを2つに、4つにした。

 彼の能力は「無生物の複製」だ。


 赤い仮面の背教者は、無生物を複製することができる。

 彼は生命を持たない物体、物質、道具などを自在に複製できるのだ。


 1日で村を食い尽くす獣王の軍勢を養ったのも、サハギンに不相応に高級な武器を配ったのも、この能力があったから出来たことだった。


「これが終わったらさっさと帝国の領域に戻るか。もう保存食は食べ飽きた」


 背教者はそういって、まだ残る干しぶどうを放った。

 彼の能力は、無生物の複製。

 ゆえに生物である新鮮な果物や野菜は複製できないのだ。


 人里を離れて行動している彼の食事は、悲惨なことになっていた。

 すっぱいだけの甘みの消し飛んだドライフルーツ、固くて粉っぽいビスケット。

 そうしたパサパサの乾き物ばっかりで、文字通り生活にうるおいがなかった。


「連中は滅するつもりだったけど……料理人だけは見逃してやろう。うん。」


 そんなことをつぶやきながら、背教者は行進するサハギンたちを見送る。

 黒曜氷河に向かって突き進む軍勢。しかしそこに逆らって進む動きが見えた。


「……うん?」


 背教者が目を細めると、こちらに走って来るサハギンが見える。

 だいぶ慌てている様子だ。


「伝令か。先陣の勝利のしらせを持ってきたようだな」


 背教者は赤い仮面の下で笑みを浮かべて伝令を待ち受けた。


<伝令ご苦労。先陣はオークの守りを突破したか>

 

<い、いえ……先陣は壊滅しやした!! 尾ビレひとつ残らず討ち死に!!>


 背教者が受け取った報告の内容は、彼の想像と真逆だった。

 困惑した背教者は、思わず声を荒らげた。


<何ッ!? 先陣は3000の重装サハギンを任せたはずだ。オークの兵力を考えれば圧殺できるはず。何が起きた?>


<へぇ、それがみんな氷漬けになっちまいました>


<バカな……今は春だぞ! 黒曜氷河と言えども、サハギンたちの防寒能力なら、凍死せずに済むはずだ>


<それがそうならなかったんで……とにかく見てくだせぇ>

<クソッ!>


 余裕を取りつくろうのも忘れ、毒づく背教者。

 赤い仮面から見える彼の口元には、あきらかにあせりが見えた。


(いまここで進軍をとめるか……いや、まずは確認だな。)


 彼はローブをひるがえすと、小島の高台にある監視塔に向かった。


 この監視塔は、古代ベンデル帝国がのこしたものだ。


 古代ベンデル帝国の版図は、ほぼ世界中に渡っていた。

 そのため、こうした軍事施設の遺構は各地に見られるのだ。


 この忘れられた石の塔は、おそらく建築から数百年たっているだろう。

 普通なら崩れていてもおかしくないが、氷河の気候が塔を守った。

 積もった氷雪が塔の根本で凍りつき、これによって倒壊を免れていたのだ。


「クソッ、なんでこんな目に……」


 赤い仮面の背教者は、塔の屋上目指して石段を登る。


 凍りついた監視塔の内部は冷凍庫と変わらない。石段の冷たさも相当なもので、靴底を貫通して、足の裏からヒザの骨まで冷気が伝わってくるようだった。


「ハァ、ハァ……マジなんなの」


 息も絶え絶えに塔の屋上に登った背教者は、据え付けられている遠眼鏡から戦場を俯瞰ふかんする。


 塔の屋上に据え付けられている望遠鏡は、帝国の最新式だ。

 大砲のような見た目をした望遠鏡を彼は覗き込む。

 すると人間の顔ほどもある巨大なレンズが背教者の瞳の中で像を結んだ。


「なっ……」


 海岸を見た背教者は驚きの声を上げた。

 浜にサハギンのシャーベットが出来上がってたからだ。


 白銀の盤上に動く者の姿はなく、命の気配は感じられない。

 背教者が送り込んだ先陣は、完全に壊滅していた。


「いったいどうやって……」


 背教者は視線を浜から内陸のほうへ移す。

 するとそこには、見慣れた白銀の柱が屹立きつりつしていた。


 ――トイレだ。


 海岸線に並んだトイレからは、細氷の息吹ダイアモンドダストが吹き出している。

 どうやら先陣を静かな死に追いやったのは、アレの仕業のようだ。


「バカな……またしてもトイレごときに……ッ!!」


 望遠鏡を支える背教者の手が震える。


「ふざけるな!! なんでこっちはマトモにやってるのに、あんなたわけた方法でボコボコにされるんだ!!! いい加減にしろ!!!」


 憤懣ふんまんやるかたない背教者は、地団駄を踏んで雪をっとばした。


 背教者の方も物質複製というチートを使っているあたり、彼の正当性の主張には疑問が残る。だが、彼の気持ちもわかるというものだ。


 トイレに負けて、プライドが傷つかない者はいないだろう。


「まだだ、まだこちらには先陣の倍のサハギンがいる!」


 最初に送り込んだサハギンは10000ほどだった。

 しかし、彼の手元にはその倍の20000のサハギンが残っている。


「落ち着け……こっちの数は圧倒的なんだ。そうだ! 迂回うかい戦術をしかければいい。しょせんトイレはトイレ、まわりこんで叩けば良い」


 赤い仮面の背教者はニヤリと笑い、指示を書き留め、伝令に渡した。

 ほどなくして、望遠鏡で見ている海岸に本隊が現れた。

 本隊の指揮官は背教者の指示通り、二手に分かれて包囲を仕掛ける。

 だが――


「クソッ!」


 なんと、彼が見ている前でオークたちがトイレをかつぎ上げた。

 そしてトイレを火炎放射器のように振り回してサハギンを薙ぎ払ったのだ。


 冷気の放射を受けたサハギンたちは雪原にひっくり返り、無惨な屍をさらす。

 背教者のサハギン本軍は、またしてもトイレに完封されてしまった。


「バ、バカな……」


 塔を通り過ぎる冷たい風が彼のつぶやきをさらっていく。

 もはや彼を守る者は、ただの1人もいなくなっていた。





※作者コメント※

サクッと壊滅したなぁ……。

実際中世の戦いで火炎放射器を持ち込んだら

無双するのは間違いない。(寒暖が逆になってるけど)


あ、気づいたらそろそろ20万字いきそう。

まさかトイレの話だけで20万字書けるとは作者も思ってなかったです。

ご声援ありがとうございます。

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