白い闇の中から

 東都がオークの村にトイレを置いた数日後の夜。またしても吹雪がやって来た。

 吹きすさぶ風は小屋の間を通り過ぎ、ひょうひょうと空気を震わせる。


 東都はその風の音を小屋の中で聞いていた。

 氷雪混じりの風をまともに受けたらひとたまりもないからだ。


「すごい吹雪だ……」


 小屋の戸の近くに腰をおろしていた東都は手をこすりながらつぶやいた。


 彼の耳に入ってくる風の音は、まるで悲鳴のように聞こえる。

 獲物えものにありつけないウェンディゴのあせりが吹雪になったのだろうか。


「トート様、オーラン殿と約束した時間はもうすぐです」


 緊張した面持ちでエルが東都に告げる。


 たけり狂った吹雪の中で、オークたちはウェンディゴを待ち構えている。


 東都のトイレを使うことでウェンディゴの襲撃は絶無になった。

 つまりこの数日間にわたって、ウェンディゴは獲物にありつけていない。


 誰かが古いトイレを使えば、ウェンディゴは決して見逃さないはずだ。


「ヤツは必ずやって来る。信じて待ちましょう」


「はい!」


 東都はいったん戸を離れ、小屋の中央に戻る。

 すると、そこには奇妙なモノがあった。


 小屋の床にカマドの灰が薄くかれていた。

 灰には、浅く細い、みぞのようなものが掘られている。

 そして溝の上には、なぜかトイレのリモコンがぽつぽつと置かれていた。


 エルと東都はリモコンの液晶を食い入るように見ている。

 一体これは何なのだろうか。


「今のところ、村に異常は無いですね」


「しかしすごいわね。トート様は結界も作れるのね」


「あぁ。小屋の中にいながら、村の様子が手に取るようにわかるとは……」


 そう、彼らの足元にあるのは、灰を使って書かれた村の地図だ。

 置かれたリモコンは各戸に置かれたトイレを現している。


 東都のトイレは人感センサーで暖房と照明がつくようになっている。

 そして暖房がつけば当然、トイレの室温は上がる。


 床に置かれているリモコンには、トイレの温度を表す表示がある。

 この温度変化を見れば、ウェンディゴを察知できるというわけだ。


「こんな時間になっても変化がないのなら、今日もやはり――」


「……まってください、リモコンの温度に変化がありますッ!」


「なっ!」


 トートが指差す先、村外れのトイレの室温がわずかに上昇している。


「…………」


 小屋の中の三人は声を押し殺してリモコンを見守る。

 エルとコニーは液晶にある文字と数字を理解できない。

 だが、何か変化が起きているのはわかる。


 そのまま温度の表示を見ていると、数字はピタリと止まり、落ち始めた。


「――妙だ。トイレを使っているのなら早すぎる。これは……」


「トート様、こちらを見てください!!」


「――ッ!」


 エルが指さした方向をみると、別のリモコンの数字が動いている。

 村外れから始まった温度の変化が移動しているのだ。


「これは、明らかに動いていますね……」


「トート様、ウェンディゴでしょうか?」


「可能性は高いですね」


 村外れから始まった温度の変化は、村の中央へ向かっているように見えた。

 そこにはオークの古いトイレがある。

 つまり、何者かはトイレに向かっている。


「温度の変化が始まったのは、オーランさんの小屋からじゃありません。そうなると……これはウェンディゴの可能性が高いですね」


「どうされますの?」


「作戦通りいきます。オークたちの古いトイレの周りには、僕のトイレが仕掛けてあります。温度に変化があったら、一気に能力を開放して打ちのめします」


 トートは2人に向かって力強く宣言した。

 灰で描かれた地図の上では、いまだに見えない何かが動いている。


「来い……来い……」


 リモコンの温度を示す数字が上がり、そして下がる。

 その変化は着実にオークのトイレに向かって進んでいた。


「トート様!」


「な……動きが……止まった?」


 温度の変化はゆっくりとオークのトイレに近づいていた。

 しかし、突然トイレの手前でそれは止まってしまったのだ。

 リモコンの温度表示は25度からピクリともしない。


「まさか、作戦がバレたのかしら?」


「いや、ただトイレの様子を見ているだけかもしれないぞ……」


(クッ……ウェンディゴがわなに気づいたか?)


 東都はじっとリモコンの数字を見つめる。

 ……1分。……2分。

 リモコンの時計だけが、静止した小屋の中で時を刻む。


 トイレの温度は25度から動かない。


(不安で胸がはち切れそうだ。たのむ、動いてくれ――)


 東都はリモコンの数字を見守ることしかできない。

 冷汗がとまらない。

 手はじっとりとして、額と制服の中にも汗が浮いている。

 灰の上に汗が落ち、灰を溶かして黒いシミをつくった。


(――ッ!)


 リモコンの数字が動いた。

 25度だった温度の表示が、24・5度になった。


 トイレの前にいた何者かが動き出したのだ。


「トート様!」


「ふぅ……動きだしましたね」


 東都は安堵のあまり、肺にためこんでいた息を吐いた。

 トイレの温度は下がり続けている。

 ウェンディゴは再び白い闇の中を動き出したのだろう。


(そのまま、そのままだ……)


 東都は灰の地図をじっと見つめる。

 その時、コニーから悲鳴のような声が上がった。


「トート様、反応が!」


 オークの古いトイレの前には、ウェンディゴを逃さないようにトイレを輪っか状に配置してある。そのトイレのリモコンが複数反応していたのだ。


 リモコンが表示する温度は、みるみるうちに包囲網の入り口から上がっていく。

 ウェンディゴが網の中に入ったにちがいない。


「よし、今だ!!」


 東都は手を伸ばし、手のひらを押し付けるようにリモコンのボタンを押す。

 そうしてウォシュレット、そして暖房の機能を一気に開放した。


 空気を切り裂く吹雪の音を、ドォォンという爆発音が押しのけた。

 大量の熱と水が開放されたことで、トートのトイレが水蒸気爆発を引き起こしたのだ。


 轟音は激震を伴い、小屋をゆらす。

 灰の地図は地鳴りでひっくり返って、完全に吹き飛んでしまった。


 レーダー代わりにしていたリモコンも多大な被害を受けた。

 地鳴りのせいで、床の上を転がってしまったのだ。

 そのため、どのリモコンがどのトイレのモノなのか、まったく解らなくなってしまった。


(あっちゃー……せっかく並べたのに)


 20個ほどのリモコンが「リモコン隠し」状態になってしまった。

 いや、判別がつくものもいくつかある。

 温度の表示が数百度となって、異常な数値を示しているリモコンだ。

 

(温度が数百度になっているのは、オークのトイレの前に置いたやつだろう。これと他を分けておいて、後で調べるとしよう。)


 東都は制服の左右のポケットに分けて灰まみれのリモコンを突っ込んだ。

 右のポケットは押し込められた十数本のリモコンのせいでパンパンになっている。


(ひとまずはこれでよし。いまは戦果の確認が優先だ。)


「エルさん、コニーさん、トイレを確認しに行きましょう!」


「「ハッ!」」


 東都たち3人は小屋を飛び出した。

 すると、白い闇の中に竜巻のようなものが見えた。


 竜巻が立ち上っているのは、オークのトイレがある方向だ。


 おそらくは、ウォシュレットの水が暖房の熱で温められ、それが竜巻となって天に昇っているのだろう。


 黒い闇を背景に立ち上る白い筋。

 あの竜巻の根本にウェンディゴがいるはずだ。


(何とかなっていてくれよ……)


 半分祈るような気持ちで、東都は雪の中を急ぎ足で進み続けた。





※作者コメント※

この現地の様子が全く見えないのを断片的な数値だけで推測して戦っていくの、エイリアン2にあったセントリーガンのシーンみたいだぁ…(名作を汚すな

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