獣と人と(3)

「フム。獣人が動き始めたな」


 伯爵たちはフンバルドルフの市壁の上にいた。

 見張りの「獣人に動きあり」の報告を受け、壁に上ったのだ。


 伯爵は人の背の高さほどある胸壁に身を隠しながら、市壁の外を見た。

 彼の眼下に広がるのは、色とりどりの畑をピースとした耕作地のパズルだ。

 そしてパズルの奥には、平原に蓋をするようにのしかかる黒い森がある。


 その黒い森からは、獣人が打ち鳴らす戦太鼓の音が聞こえてきた。

 日中のフンバルドルフは、森の背にある山から吹き下ろす風が来る。

 その風がおどろおどろしい太鼓の音を運んでいるのだ。


「これは……来るぞ。あの太鼓は陣を整える時のものだ」


「閣下、太鼓の音だけでわかるのですか?」


「当たり前だ。エルンスト、ワシが何年連中とやり合ってると思う」


 伯爵は笑い、握り込んだ拳でエルの胸当てをたたく。

 すると、若い騎士はきまりわるそうに兜から覗いている額をかいた。


「しかし、こうして見ていると、壁の外は人間の領域ではないということをまざまざと思い知らされますね」


「ウム。この石壁は人と獣の境界でもある。人が夜に忍び寄ってくる獣から命を守ることができたのは、石を高く積むのを覚えたからよ」


「フゥン。然り!! フンバルドルフの壁は100年にもわたってベンデルの民を守り続けている! そう簡単に抜かれるものではないぞ!」


「エッヘン……そこだ。この壁がある限り、獣人はフンバルドルフに手出しができないはず。――もし、壁が意味をなさないとしたら?」


「な……お、脅かすでない!」


「お前を脅かして何になる。獣人は確かに野蛮だが、バカではない」


「こちらにトート様の秘策があるように、獣人にも何か策があると?」


 エルの疑問に伯爵は答えなかった。ただ黙って石壁に背中を預けるばかりだ。

 どうやら彼にもまだ結論が出ないのだろう。


(まさか、ヘカテーを……? いや、あり得んな。集められてもせいぜい2体か3体だ。それ以上は軍勢が持つまい。獣人は街を持たない。ということは、現地調達する以外に補給の手段がないということだ。)


 伯爵はカールした口ひげをつまみ、指で伸ばしながらさらに考える。


(なにせ6000もの数だ。森に薄く広げぬと、とても養いきれるものではない。攻城戦を集中して行えるのは何日だ? 数週間――いや、数日かもしれん。それでなぜ攻撃に踏み切ったのだ?)


 伯爵は空を仰ぎ、考えをめぐらす。

 しかし、それはエッヘンの笑いで唐突に中断された。


「フゥン。おおかた流行り病で防衛力が弱まったのを狙ったのだろう!」


「ウム。だとしたら、なぜ獣人がそれを知っている? 奴らは街に入れん。なのになぜ流行り病で兵が減っていることを知っている?」


「――あっ!」


「まさか、流行り病を……コロリを街に流した張本人は――獣人?」


「何も証拠はないがな」


「閣下……トート様の秘策はうまくいくでしょうか?」


「ウム。実際のところ、獣人の出方次第だな。しかし、ワシらがトート殿のことを信じないでどうする?」


「ハッ!」


 伯爵達は振り返り、壁の内側を見る。

 彼らの視線が集まる先には、トイレの前で地面に何かを書いている東都がいた。


 彼は手に持った木の枝で文字か何かを書きつけている。

 しかしそこに書かれていたのは、この場にいる誰も読めない文字だった。


「あれは東の国の言葉でしょうか……」


「ウム。しかし、文字というよりは記号に見えるな」


「魔法の言葉を書いているのかしら?」


「わからん。だが彼のことだ。きっと必要な作業をしているに違いない」


「フゥン、しかし壁の上から見る限りでは、何をしているのやら」


「「大丈夫かなぁ……」」


★★★


「よし、ひとまずこんなもんかな~」


 東都はそう言って、学生服の袖で額の汗を拭った。

 彼の足元には数字が書かれており、足し算と引き算をした形跡があった。


「よし、これで無駄なく使えるな」


 そう、彼は手持ちのTPを無駄にしないよう、事前に計算していたのだ。

 だがどうやら、作戦のための使うTPの計算に区切りがついたようだ。


「兵士の人たちにトイレを使ってもらったおかげで、おもった以上にTPトイレポイントが入ったから、おもったより楽だったな」


 ステータスを開いたままの東都は、画面の右上を見る。

 すると、そこに書かれていた数字は500を超えていた。


(こんな数字のTPを見たの初めてだ。何でもできそうな気がする)


 東都は圧倒的なTPを前に、謎の万能感すら感じていた。


 それもそうだろう。

 これまで彼は10TPで大体のスキルを取得していた。

 そこに降って湧いた500TP。


 彼は生まれて初めて500円玉を手にした小学生の気分になっていたのだ。


「よし、さっそくスキルを取っていくぞ……まずは――」


「いかん、壁から離れろ!!」


「えっ」


 彼がスキルを取得しようとした瞬間、頭上から伯爵の叫びが聞こえた。

 何ごとかと彼が見上げると、青い空を黒い物体が飛んでいた。


「えっ?!」


 黒い影はそのまま彼の頭上を飛び越し、背後の街に落ちる。するとバキバキという破砕音と共に、凄まじい風と砂ぼこりが東都のところまで吹きつけてきた。

 

「うわ!! ぺっぺ!!」


 砂と何かの破片が混じったザリザリとした突風が東都を打ちのめす。

 トイレのドアが音を立てて翼のように羽ばたいて白い柱を揺らしていた。


「いったい何が……もう獣人の攻撃が始まったのか?」


 その疑問への答えはすぐにやってきた。

 市壁の胸壁が爆散し、彼のもとに破片が弾丸のように降り注いできたのだ!


「うわわわわッ!!」


 あわてて東都はトイレの中に逃げ込む。

 直後、トイレのドアや天井を石の破片がたたく鈍い音がする。


「ひぇぇ!! これじゃとても外に出られないぞ?!」


<ガンゴン、ガンッ……ズガンッ!!>


 破片がトイレを音が五月雨さみだれに続く。

 しかしひときわ大きい音がした後、音がくぐもった。


「え、何……?」


 不審に思った東都がドアを押してみると、扉はびくともしない。

 トイレのドアは何かに突っかかって、開かなくなってしまったようだ。


「――も、もしかして……閉じ込められた?!」




※作者コメント※

せっかくの山場なんですが……

年末進行のため、数日間いつもより更新が遅れます。

みなさま良いお年を!

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