エッヘン宮中伯

「この騒ぎは何だ!!! ええい密だ!!! 散れ散れぇ!!!」


 エッヘンは馬上でムチを振り回し、噴水の近くに集まっていたフンバルドルフの住民を追い散らす。


 銀色の甲冑に身を包んだ衛兵もエッヘンに続く。衛兵は先端を布で包んだ棒を持ち、奇妙な掛け声を上げながら人々を突っついて追い散らしていた。


「密だッ!!」

「密だッ!!」

「密だッ!!」


 密だ、というのは、集まるなということだろうか。

 どこか既視感のある光景に東都は首を傾げる。


(なんかどこかで聞いたような……)


「やめんか!! なんのつもりだ!」


 ウォーシュ伯爵は馬の前に両手を広げて立ちはだかる。


 幸いケガをしている人はいないようだ。だが馬に乗って群衆に突進するのはとても危険な行為だ。ひとつ間違えば大事故に繋がりかねない。


 そのことが自然と伯爵の体を動かしたのだろう。

 彼は興奮していた馬の口をとると、やさしく馬の額を撫でてなだめる。


「どう、どう! よし、いい子だ」


 伯爵は馬を落ち着かせる。

 街の人を踏み潰さんばかりに馬は荒ぶっていたが、彼の手によって、馬はすっかり毒気を抜かれたように大人しくなった。


 伯爵を認めたエッヘンは、馬上でムチを振り回すのをやめる。

 だが、自ら馬から降りることはなかった。


 エッヘンは高所から伯爵を見下ろしながら、あざけりの混じった声で笑う。


「フン。伯のほうこそ、ご存知ないようだな」


「いったい何のことだ?」


「フゥン。このフンバルドルフにはびこるコロリは、なによりも密が原因なのだ。人々が集まることで空気が汚れ、それを吸い込むことで病になるのだ」


(え、空気が病気の原因に?)


「なんだと……いったい誰がそんなことを言い出した?」


「そうですよ。それに病の原因は――」


 伯爵と東都の声に、エッヘンは尊大な態度を崩さない。

 彼は馬上で芝居がかった仕草で、右手を空に向かって伸ばす。


「フッ!! この私に決まっているだろう。皇帝陛下の命により、フンバルドルフを任された私にはこの街の秩序と健康を守る義務があるぅぅぅ!」


「あ、これはダメそう」

「ウム。ダメそうですな」


「そして皇帝陛下は御名において布告なされた。この病を解決したあかつきには、その者がフンバルドルフを統治するとな!!」


「なん……だと?」


「あぁ、それで密だ密だと言い張ってるんですね」


「フゥン。ようやくわかったか、お嬢さんフロイライン


「誰がお嬢さんですか。皇帝陛下の布告は、『フンバルドルフの病を解決したものを、統治者とする』でよいのですね?」


「フゥン。そのとおりだ。この私、エッヘン宮中伯は古代の叡智えいちを極めし偉大なる歴史学者にして、医学博士でもある。この非常事態において、ついに私の能力が認められるときが来たのだ」


「コニーさん、あの偉そうな人って本当に大学者なんですか? アレにしか見えませんが」


「フゥン。アレとかいうでない」


「まぁ……宮中伯って基本、宮殿で皇帝の補佐をするのが役目で、領地を保たないのでヒマなんです。だから陛下が誰とも会わない今は、本当にやることがなくて……。基本ヒマなのが、さらにヒマになってるんでしょうね」


「あーヒマつぶしに古い本を読むことくらいしか、やることがない?」


「そうですね」


「フゥン。真実を人にぶつけると死ぬぞ。あ、何か涙が」


(そういえば宮中伯って、エルさんのメモでも下の方にあった気がする……名前と実際の権力が釣り合ってない感じなのか)


「まぁエッヘン、お主の言い分もわからんでもない。それで実際に病は解決するのか?」


「フゥン。当たり前だ。ただし、住民が私の言うことをちゃんと聞けばの話だ。無知蒙昧な市民たちは、この私の距離確保治療ソーシャルディスタンスを守らんのだ」


(やっぱ何か、どっかで聞いたことあるなぁ……)


「ではエッヘン。病を解決できるかどうか、わしと競ってみぬか?」


「フゥン、面白い……。伯は武勇に優れると聞くが、こちらはどうかな?」


 エッヘンは伸ばした指をこめかみにトントンと当てる。

 頭のデキが違う。とでも言いたいのだろう。


 だが伯爵は、そんなエッヘンの挑発を素知らぬ顔で受け流す。


「ウム。我が領の客人である東の大魔道士トート様は、私なんぞをはるかに超える知恵者だ。彼の力を借りてみようと思ってな」


(え、僕? いやでも、そういう話だったか……ここは伯爵の話に乗ろう。)


「えっと、僕は東の国から来た魔術師トートです。フンバルドルフで流行っている病は、僕にも心当たりがあります。僕の魔術で手助けできるかもしれません」


「フゥン。トート、東の国の……? 奇妙な風体をしていると思ったら、その者は異国人なのか。そんなよそ者をフンバルドルフに入れるとは!!」


「す、すみません……」


「謝る必要はないですぞトート殿。エッヘン伯――彼は私の客です。彼に無礼をはたらくことは、この私にするのと同じことですぞ」


「フ、フゥン……」


「どうでもいいけど、水をくませてくれよー!」

「そこに馬で立たれるとジャマだよー!」


「き、きさまら……!」


 住民たちは、エッヘンと東都たちの力の差を敏感に読み取ったのだろう。

 エッヘンがジャマで水が汲めないのに不満を感じていた住民たちは、しびれを切らして騒ぎ出した。


「フゥン! 今は大事な話を――」


「もっと水をくれよー!」

「もっと出しておくれよ―!!」


(あっ)


 その時だった。

 「もっと出せ」。住民たちが口にした言葉に、トイレが反応する。


 トイレが唸りをあげ、大量の水が光線のようにほとばしる。

 そして吹き出した水はたまたま進路上にいたエッヘンに直撃し、彼を馬上から吹き飛ばした。


「ぎにゃあああああああああ!!!!」


 エッヘンは水に押され、屋台の中につっこんでしまう。

 商品が転げ、木がひしゃげ、布がちぎれる大騒音が広場に轟く。


 東都がトイレの水を抑え、水煙が止んだ頃。エッヘンは屋台の残骸の中で失神し、テーブルの上に置いてあった酢のボウルを頭からかぶっていた。


「あっちゃー……」




※作者コメント※

エッヘンのこと、イヤミでえばりんぼで、

嫌な奴のつもりで出そうと思ったけど…

割とキライじゃないな(

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