皇帝を殺したブタ


<――ゴォォォン!!! ――ゴォォォン!!!>


「鐘の音がうるさいのう」


「仕方ないですね。窓の鎧戸を閉めて、間に布を詰めてください」


「かしこまりました」


 コニーは手すきの召使いに指示を飛ばす。

 旧市街の伯爵の屋敷は、町の喧騒から離れた静かな場所にある。

 しかしその静寂は、突然鳴り響いた鐘の音に蹴散けちらされた。

 

「コニーさん、あれは?」


「教会が鳴らす、弔いの鐘の音です。私たちがいた時にも鳴り止むことがなかったですが、まだ状況は変わっていないようですね……」


「――さて、このフンバルドルフの状況はここまで悪かったわけではない」


「昔はもっと良かったってやつですか?」


「ウム。と言っても懐古趣味ではない。本当に良かったのだ」


 フンバルドルフの旧市街にある、伯爵の屋敷に到着した東都たち。

 軽い夕食をとりながら東都は伯爵と話していた。


 出された夕食は、東都が昼に食べたものに比べると質素だった。

 パン、チーズ、ハム、サラダといった、火を使わない冷たい食事が並んでいた。


「少し前まで、フンバルドルフではブタが汚物を処分していたのだ。その時は、いまほどひどい状況になかった」


「ブタ……ですか?」


「東の国では街でブタを飼わないんですか?」


「そうですね。聞いたことがないです」


 コニーの質問に東都は即答した。

 だが、改めて考えると彼にも説明が難しい。


(うーん。戦国時代でも江戸時代でも、町中でブタみたいな動物を飼っていたって話は聞いたことがない。たぶん、犬や猫くらいだよなぁ……)


「東の国ではやりませんね。町中で飼われるのは、せいぜい犬や猫といった小さな動物くらいでしょうか。農村では牛や馬を使いますが」


「ほう……それで町中が清潔なままとは、たいしたものですな」


「閣下、トート様の話を聞くと、東の国は人々の規律自体が高いように思えます。おそらくそのためではないでしょうか」


「ウム……ベンデル帝国の民としては恥じ入るばかりだな。東の国において道端に汚物を捨てるようなことは、まずありえないのだろう」


(うん、それは現代の西の国でもしないかな!!!)


「ま、まぁ……国が違えば人も違うわけですから」


(本当の東の国がどうかは知らないけど、これだけリアル目の異世界だったら、大体同じような感じだろ、うん。ホントは知らないけど、きっと大丈夫!)


「しかし、街で飼わないとなると、ほとんど肉が得られないのでは? 東の国ではそれでも大丈夫なのですか?」


 東都はここでふと、歴史の授業の内容を思い出した。


(あ、そっか! 昔の日本って、仏教の教えで肉を食べるのを嫌ってたんだっけ。だから町中で動物を飼わなかったのかも。)


「それが、東の国では肉を食べることはあまり好まれないのです。もっぱら雑穀と野菜を食べる事が多いんです」


「ぬぬ、トート殿、それはまたいったいどうして?」


「東の国のかたがたは、お肉が嫌いなのですか?」


(え、説明が難しいな……なんで仏教で肉食が嫌われるようになったんだっけ? ……あっ、そうか――!)


「それは東の国に輪廻転生りんねてんせいという考えがあるからです。この考えは、生き物の命を奪うと次の人生で苦労することになるという考えです」


「東の国の転生ですか。実に興味深い」


「次の人生で苦労するというのは、どういう意味ですか?」


(うん? 何か違和感が……まあいいや、続けよう)


「この世界では命は循環している。動物や虫でさえ、その命は元は人間だったかもしれない。だから、生き物をないがしろに扱うのはやめようと言った考えですね」


「なるほど。東の国ではそのように考えるのですな」


「ベンデル帝国にも転生という言葉はありますが……」


「ウム。東の国とはだいぶ異なるな。女神教における転生とは――」


(へぇ、こっちにも転生って考えがあるのか。女神の影響が強いみたいだけど)


「不慮の事故や病で死んだあわれな魂は、女神の手によって異なる世界、異なる時間に導かれ、いま一度せいを得る。これが女神教における転生ですな」


「ゲ、ゲホッゲホッ!!!」


「どうされました、東都殿?」


「いや、なんでもないです……」


(女神教の転生、まんま転生モノの内容じゃね―か!!!)


「今は苦労していても、来世では……みたいな感じですか?」


「ハハ。俗っぽい解釈だとそうなりますな」


(あんまり転生の話には触れないようにしよう。転生者の扱いがよくわからないし、カミングアウトするとなんか危なそうな気がする。話を戻そう。)


「いったん話を戻すんですけど、なんでブタがいなくなったんですか?」


「ウム。それはある悲劇が原因でな」


「悲劇? なにがあったんですか」


「10年ほど前になるか。時の皇帝ブリズベン陛下が馬でフンバルドルフの街を行幸していた時、狂乱したブタが馬の足元に飛び込んできたのだ。馬は陛下をふり落とし、地面に落ちた陛下は石床で頭を強く打って、その場で即死した」


「ひぇっ……」


「これによりブリズベン陛下には、『ブタに殺された皇帝』というあだ名がついてしまった」


「その悪評を良しとしなかった帝国議会は、安全のために街からブタを追い出すことを決定しました。そうして街からブタが姿を消したのですが……」


「ウム。ブタは市場や港から出るゴミを食い、道の汚物も食っていた。ブタがいなくなったことでフンバルドルフの道に汚物が溢れ出したのだ」


(なるほど……。キレイな水をくばるだけでは、コレラの解決は難しそうだ。水だけじゃなくって、街もキレイにしないといけないなぁ……。)


 その時だった。

 妙にテンポの良い歌声が屋敷の外から聞こえてきた。

 窓は固く閉ざされているのに、歌声はそれをものともしない。


「……ん、何だこの歌は?」


「屋敷の外から聞こえるようです。失礼、窓を開けます」


「なんでしょうね?」


 コニーがダイニングルームにあった窓を開ける。東都がコニーと一緒になって窓から首を出すと、そこには異様な光景があった。


 トイレを肩に担ぎ、その下で歌い踊っているドワーフたちがいたのだ。


 ドワーフがリズミカルに揺らす白いトイレの上には、エルが載せられていた。

 彼は胸の前でエジプトのファラオのように胸の前で腕を交差させて、青白い顔でピクリとも動かない。


(なにあれ、棺桶ダンス? エルさんは……死んでるわけじゃなさそう。でも早く楽にしてくれって顔になってる。なんだこれ?)


「トイレをもってきたZE!」

「もってきたHO~!」

「中に入れてくれYO!」


(なんか、また余計なのが来ちゃったなぁ……)





※作者コメント※

ちょっと長めの補足。


フランスでは12世紀フランスのフィリップ若王が

馬の脚に飛び込んだブタによって落馬して死んでいます。

そのため、フランスでは都市でブタを飼わないよう

たびたび禁令が出されました。


街で豚を飼うって、実際めっちゃ危なかったらしいです。

なんせ当時のブタはイノシシと変わらない頑丈な生き物です。

狂乱して暴れ出したブタの記録がいくつか残っています。

(これはおそらく狂犬病にかかったブタだと思われます)


19世紀のアメリカ、ニューヨークやフィラデルフィアの町中でも

ブタは飼われ続けていました。

ですが、治安と臭いの問題は最後まで解決しませんでした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る