ウ◯コの話ですよね?
『”お”ぉんっ♡』
トイレの中で上がる雄々しい嬌声は、外の3人の耳にも届いていた。
断続的に聞こえてくる声に、エルと東都は
「僕たちは何を聞かされているんだろう……」
「本当にな」
「やはり、私の思ったとおりだわ」
「この寒気のする状況が?」
「エル、考えても見て」
『おっおっ”お”ぉっ♡』
「とても考えられる状況ではないのだが」
「オッサンの
エルと東都の声が耳に入らないのか、コニーは続ける。
「ウォーシュ閣下はいつも、昼ごろは機嫌が悪かったでしょ? それはトイレの紙がガサガサで、閣下のデリケートな部分を傷つけていたからなの」
「あー……あれ、紙って言うか、ヤスリの親戚みたいなもんだからな」
「そんなひどい紙なんですか」
「ツバをつけてよーくもみほぐして、それでサメ肌くらいだな」
「それは体によくなさそうですね……」
「えぇ。一度切れてしまうと、毎日の営みで切れ続ける。そこでさらにあの紙を使い続けるなんて、決して体に良いわけがないわ」
「この喘ぎ声も、周りの人間に良くないけどな」
「たしかに」
「まぁ……そこは慣れよ」
「紙よりもこっちに慣れるほうがキツいぞ」
『アォォォォーッ!!!』
絶頂に達したのか、雄々しいフィニッシュの声が上がった。
しばらくすると白いドアが開き、真っ赤な顔の伯爵が中から
「閣下!」
「――ッ!!」
伯爵の真っ赤な顔に、カンカンに怒っているのかと思った東都は一瞬青ざめた。
だが、すぐに彼の様子はそうでないことに気づいた。
血が上って赤くなった頬はふくらんでいて、小鼻から始まった深いシワは、三日月のように円弧を描いた口につながっている。
伯爵は笑っている、いや、
「なんちゅうもんを……なんちゅうもんを食らわせてくれたんや」
彼の目から一筋の光が流れ落ちた。
伯爵は泣いているのだ。
「あ、あのー?」
東都が伯爵に声をかける。が、返事はない。
彼の精神は完全な神がかり、トランス状態にあったのだ。
「紙を使わず、水で洗うことがこんなにも素晴らしいとは……。
これぞ神の御業――奇跡だ」
「閣下、そんなにも……?」
「エルよ、この手を血で汚したことがないお前にはわかるまい」
「なんか言葉は格好いいですけど、それ、
エルのツッコミを無視して、伯爵は演説を続ける。その身振り手振りは、まるで神の声を民衆に伝えようとする、従順な神のしもべのようだ。
「血に染まる毎日にわしは絶望していた。人は自分の意志をこの世界に実現するために代償を支払うものだ。しかし、便意とは無意識だ」
「便意って言っちゃったよ、この人」
「お前にわかるか? ただありのままでいたいだけなのだ。何かを成そうと望んでいるわけでもない。それなのに、耐え難い苦痛を伴う毎日なのだ」
「――止むことを知らぬ痛みは、向ける矛先のない憎しみにかわる。それは次第にわしの心を恐ろしいほどの冷血漢へと
「ウンコの話ですよね?」
「だが……魔術師殿は見せてくれた。あの清らかな水の流れは、わしの血まみれの人生をまるごと洗い流してくれたのだ」
「ウンコの話――」
「やめなさいエル。めっ」
「あのトイレに座って事をなした後、暖かくも滑らかな清流がほとばしり、ワシの燃え盛る憎しみを鎮めた。この世の苦しみを憂いた女神さまが流した涙だ」
伯爵は汗ばんだ顔を天に向ける。すると、額と頬に浮かんだ大粒の汗が春の陽光を受けて光り輝いた。彼を見守る東都と2人の騎士には、伯爵が光輝く仮面をつけたように見えた。
伯爵を見る3人は
何か本当に、神々しいものが目の前に現れたのでは?
彼らはそんな錯覚を感じていたのだろう。
「そしてその後に始まった、夏の始まりのような暖かな風……やさしく吹きつけるそれは、天使の息遣いとしか思えなかった」
「騎士さん、大丈夫なんですかねこれ。尻に当てる水の例えに女神を出すのは、軽く冒涜では?」
「トート様、崇敬も行き過ぎると、冒涜と見分けがつかないものなのですわ」
「うーん……そういうもんなんですかねぇ?」
わなわなと広げた手を震わせ、伯爵は城館の中庭に五体を投げ出した。
これは
大地に投げ伏して礼をすることは、その全身を女神に捧げることを意味する。
ベンデル帝国の文化圏において、これは最高の
「魔術師殿、いやトート殿。無礼を
「は、はぁ。」
「持って帰れなどと言って申し訳なかった。是非このトイレを我が城館に置かせて欲しい。いや、置かせてくださいぃぃぃぃ!!!」
立ち上がった伯爵は、額に泥をつけたまま東都に迫ってくる。
その勢いに気圧された東都は、ただ彼にうなずくしか無かった。
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※作者コメント※
「ウンコの話ですよね?」のくだり、
勇者ヨシヒコのメレブとヨシヒコっぽくて好き(
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