”おぉん”
盛大に吹き出してしまった東都。
彼は笑いをごまかすためにわざとらしく派手に咳き込む。
しかし、そんな東都を見る伯爵の顔は厳しいままだ。
「何がそんなに愉快なのか教えてくれぬか」
ピキピキと額に青筋を浮かべる伯爵。
それにあわてたエルンストが、奇妙な姿勢で東都の前に躍り出た。
「お待ち下さい伯爵、この者は少しその……独特の感性をもっておりまして」
「見ればわかる。魔術師というのは、だいたい頭がおかしいものだ」
「と、ともかく、細かいことを説明させてください」
「うむ……話せ。そもそもの話、お前たちは獣人たちの動向を調べに行ったのだろう。それがなぜ魔術師を拾ってきた」
「ハッ! 私とコンスタンスが『致死率十割大森林』を見回っていたとき、獣人の死体を見つけまして、そこにこの魔術師、トート殿がいたのです」
「獣人の死体?
「いえ、
「何、騎士と従士が数人がかりで取り囲み、ようやく打ち取れるアンゴールを? それをこの魔術師が倒したというのか?」
「間違いありません。獣人はこの者の魔法で首をへし折られ、森の地面に転がっておりました。それも傷を見るかぎり、たったの一撃で」
「し、信じられん……」
ごくり、と伯爵の喉が動いた。
目の前の小人が、騎士が率いる小集団に匹敵する武を持っている。
それに気づいたからだ。
だが、ここで彼は奇妙なことに気がついた。
「ん? なぜそれほどの人物が
「ええと、トート様の魔法は、この者から出るわけではないので……」
「ああ、なるほど! 杖や剣を使って魔法を使う魔術師の話をきいたことがある。彼もそのたぐいなのだな?」
「はい、彼の魔法はトイレから出ます」
「……は?」
「ですから、彼の魔法はトイレから出るんです」
「おい、魔術師。エルに何をした。幻覚を見ているぞ」
「伯爵、エルの言っていることは本当です。私も見ましたので、これは確かです。彼の魔法は、その……トイレから出るんです」
「コニーまで?! ええい貴様、本当に何をした!!!」
東都は伯爵に持ち上げられ、人形のようにブンブンと振り回される。
年を取っているにも関わらず、その力は猛牛のようだ。
「いや、本当なんですって!!!」
「便所から出る魔法なんかあってたまるか!!!」
東都は口答えするが、伯爵はまるで聞きいれない。
(ひぇぇ! 首が、手足がもげるぅ!!)
「ウォーシュ伯爵、そこまでに!」
「ええい、だまらっしゃい! お前たちの幻覚を解くにはこれが一番なのだ。このままこいつの首を引っこ抜いてくれるわ」
「ギャー!!!」
伯爵のスウィングが激しくなるにつれて、東都の叫びのビートがあがっていく。
しかし、無限に続くかと思われたその叫びは、突然に終わった。
伯爵の背後に回り込んだコニーが「失礼」の一言の後、彼の尻に思いっきり張り手を張ったのだ。
「おうふ!」
痔の痛みに悶絶する伯爵は腰をくねらせてトートを開放する。脱皮に苦しむヘビのような動きをしながら、伯爵は言葉にならない悲鳴を絞り出していた。
「ふぅ……危ないところでした」
「助かりました。あー体がバラバラになるかと思った」
「あのね……ワシ、いちおう君たちの寄親よ? アイタタタ……」
「冷静さを欠く親を
「あのー伯爵さん、大丈夫ですか?」
「ちょっと泣きそう。さっきも切れたばっかりなんじゃが」
伯爵を気づかう東都。
それに対して、彼は涙目だ。よほど尻ビンタがきいたらしい。
「彼の魔法も、トイレも現実にあるものです。そして、彼の魔法はトイレであり、その魔法自体が、つまりトイレが素晴らしいのです!」
「コニー、いい修道院があるんだ。そこでしばらく療養するといい。神の慈愛におすがりすれば、きっと良くなる」
「私は発狂しているわけではありません」
「コニーの言う事は何も間違ってないんですが、説明がちょっと難しいですね」
「魔法とトイレを結びつけるほうがどうかしてるぞ」
「あのー……伯爵さん」
「何だ魔術師」
「アッハイ。僕の魔法はトイレを出すという魔法なんです。こんな感じに」
東都が「トイレ設置」とつぶやく。
すると、ノータイムで純白の柱が城館の庭に現出し、
「えぇ……」
伯爵は
当然のことながら、伯爵の瞳は困惑にゆれ動いていた。
「何でこんな良くわかんないヒトを連れてきたのよー……」
伯爵は至極もっともなことを口にした。
しかし、コンスタンスは胸を張って言い張った。
「彼の出すトイレが、伯爵閣下の助けになるかと思いまして」
「こんな怪しげなもの、持って帰ってくれたほうが助かるんだけど」
「まぁまぁ」
「驚いたな。森までトイレを取りに戻らねばならないと思っていたのに、トート殿がトイレを出してしまったぞ」
「僕の魔法はトイレを出す魔法なんで」
「なるほど」
「なるほどじゃないよ!! そんな魔法聞いたこと無いぞ!!」
「では閣下は、この世にある全ての魔法をご存知なのですか?」
「いや、それは……」
「でしたら、こういった魔法もあってしかるべきでしょう」
コンスタンスは無茶苦茶な論理を展開する。
伯爵はそんな彼女の勢いに負けて、納得せざるを得なくなった。
「わかったわかった。百歩ゆずってこれも魔法だとしよう。だが、これが何の役に立つのだ。我が家にだってトイレはあるのだぞ」
「トート殿のトイレは、紙を使いません」
コンスタンスのその言葉に、伯爵の片眉が上がった。
「何? ではどうやって
「『水』です」
「水だぁ? バカバカしい。どうやって水をだすというのだ」
「おおよそ不可能なことを可能にする。その部分が魔法なのです」
「魔法を使って水で尻洗いするだと? 馬鹿げている」
「はい、私もそう思いました。使っていただければ、すべてわかるかと」
「……バカバカしい」
自分の身長よりも遥かに高い白亜の柱をにらみつける伯爵。
彼はつい先ほどの営為によって生まれた痛みを感じていた。
ジンジンと脈打つような、熱を伴った痛みが、彼の尻の奥にある。
これは全て、伯爵の使っている粗雑な紙のせいだ。
(もし、あの紙を使わずに用をたせるとなれば、この痛みは消えるのか。ふむ……紙を使わずに、か。ガチョウの首以上のモノがこの世にあるというのか?)
伯爵の寄子であるエルンストとコンスタンス。
この2人の騎士は、決して冗談が好きなタイプではない。
むしろその逆、真面目すぎてかえって心配になるほどだ。
その彼らがここまで熱心にトイレを薦める。
明らかな異常事態に、伯爵の頭脳はパンク寸前だった。
それが彼の判断を誤らせたのだろう。
伯爵は慎重な性格で、衝動や興味で動くタイプではない。
だが、自ずとトイレのドアに彼の手が伸びてしまった。
<バタン!>
トイレに入った伯爵の目をまず引いたのは、便座だった。
「なんと奇妙な便座か。……整っていて実に美しい。死の砂漠を越え、はるか東の国から伝わってくる白磁器のようではないか」
伯爵は
彼はつい先ほど、己に宿る実弾を開放したばっかりだ。
しかし、未だに少なくない量が弾倉に残っていた。
あまりの痛みにすぐさま『
「ぬん……アイタタタ!」
実弾を開放しようとする伯爵の『門』に鋭い痛みが走る。
なんとか残っていた実弾を開放した彼は、手元を探って紙を探す。
しかし、トイレの中には見慣れた木箱も紙もなかった。
「む、そういえばコニーが紙を使わないと言っていたな。どうやって洗うのだ?」
「おい、
彼の声に反応して、便座の中で小さな部品が動き出す。
それはさながら、暗殺者がナイフを取り出す様子にもよく似ていた。
『はうあっ!!!』
ゲートに打ち付けられる放水に、伯爵は電気に打たれたようにのけぞった。
そして――
『”お”おぉんッ!!!』
城館に中庭に、野太い歓びの声がこだました。
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※作者コメント※
あぁ、常識人っぽかったのに、なんてことを(
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