アオハルが如く

烏の人

第1話 恋とはなんぞ?

 薄暗い部屋の中。綾瀬あやせ りんは出鱈目に鍵盤を叩く。それらしきコードは出来上がるが、それでも彼女は頭を抱えていた。


「数あるなかの焼き直しか………。」


 どうにも彼女の感性はその音が気に食わなかったらしい。暗く、物が散乱している部屋。旋律だけが優しく流れている。それでも、その一音から先は細い糸のように紡がれるだけで大層な絹は出来上がらない。

 高校生にして天才とまで謳われるシンガーソングライター、「カンコドリ」。チャンネル開設をして2年目、登録者数は40万を越えようとしている。その当の本人こそ凛である。

 ことの発端は彼女の曲に書き込まれた1つのコメントであった。「恋愛モチーフの曲いつか聴きたいな」と、それを見たときに気がついた。純粋に、恋とはなんぞ?と。思えばそのようなものは書き連ねた記憶がない。体験をしたこともない。ともすれば彼女に出来るのは、理解することのみである。


「ムズい!寝よう!」


 尤も、結局諦めキーボードから離れベッドに沈むのがオチだ。それでも尚、自然と鼻唄で先程の続きを探している。


「私もう駄目だな。」


 彼女にとってそれは完全に意識外の行動であった。故に、それに気がついたとたんそんな言葉を吐いたのだ。そうして目を瞑る。意識が落ちるのを待つ。先ほどとは打って変わって静かな空間にカーテンの隙間から月明かりだけが差し込む。


「あぁ………綺麗な音。」


 自然と開かれた視界によって、自分の部屋を見る。それだけなのに凛はそう言った。

 景色から、言葉から旋律が産まれてくるようになったのはいつからだろうか?少なくとも、彼女は物心ついたときからそれを持っている。考えずとも、音が先行して頭の中に流れてくるのだ。情景に応じ鮮明に鳴り響く。それ故、理解されないこともあったが今では受け入れている。


「恋か………。」


 その瞬間、音が濁る。


「わっかんないな………。」


 そうして、彼女の意識は落ちていったのだった。

 恋の音。その音だけ聴いたことがない。恋をする感覚を理解できても、表すことが出来ない。今回彼女が躓いているのもこれが原因であった。濁って音が聞こえなくなる。故に、あるものから探るしかなくなる。結果としてありがちな台詞回し、ありがちなフレーズとなり、リアルを知らない無垢な少女は拒否してしまう。これではないのだ。納得がいかない。ありふれたものを書けないことが何より納得いかない。青い春を歌ったものなどごまんとある。だと言うのにそれに手をつけようとした瞬間。それまで聞こえていたピアノの綺麗な旋律は、壁一枚挟んだ遠くのものとなり、消えていく。言語化してしまえば、自分が凡で無いことを突きつけられるのが悔しいのだ。

 才と言うのは武器である。時に凶器である。彼女を理解するものは、少なくとも彼女の周りには居ない。


 清々しい朝と言うのはそう来るものでもなく、今日も今日とて、重く沈んだ体を起こすのに苦労する。そもそも、布団の中から出たくなくなるのが悪いのだ、と、暴論を頭の中で掲げ、やるせなさを捨てる勢いで何とか起き上がる。


「ふぁ~。」


 ぬぐえない眠気と戦いながら、階段を踏みしめる。朝イチに向かう場所は洗面所である。凛の一日はうがいから始まる。手で器を作り、流れ出る水を掬い口に含む。寝起きの愚痴とともに吐き捨てることによって、真に朝を向かえるのだ。


「あー!もう!眠いっ!!」


 大抵、聞こえてくるのは何時もこれなのだが。

 その後は滞りなく、普通に朝の支度をする。天才と言えど、言うほど奇人ではないのだ。そうして、独りで登校する。見慣れた風景、情景、BGM。なにもかも何時も通りである。こうしていると、自分が景色の1つになったように感じられる。自分はこの町並みを見守る、ある種神のような、俯瞰した存在なのだと。

 ただ、それが瓦解するのも一瞬である。今まで奏でられていた、日常的な音の一切合切が止み、非日常的な沈黙が彼女の脳をつんざく。人間として、一人称に視点が戻る。自分は人であると自覚させられる。

 何が起きたのか、彼女にも解らなかった。ふと辺りを見回してしまったほどには。尤も、元凶は目の前に居たのだが。


 次の瞬間からであった。その少年に、釘付けになったのは。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

アオハルが如く 烏の人 @kyoutikutou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ