第2話「あんたはいいよね、追いかけるだけで。」

少し落ち着いてからバスに乗って、家のあるところで降りる。

まっすぐ家に帰ったけれど、当たり前のように誰もいなかった。

飛鳥が死んでから、父さんと母さんは別居中だ。顔を合わせても喧嘩ばかりの両親だったけど、飛鳥のことは、二人とも大好きだったみたい。飛鳥の大会には、欠かさずそろって参加していた。

私だって、二人の架け橋になりたかった。せめて、今度の地区大会では、飛鳥のポジションで踊る私を見て、少しでも楽しかったあの頃を思い出してほしかった、けど。


もう手遅れだ。飛鳥がセンターで輝いたステージで、私はその末端にも立てない。


すっかり埃が溜まってしまった玄関にスポーツバッグを放り投げて、あてもなく歩く。五年前に建てたこの家は、今だって本来はそれなりの美しさを保っているはずだけど、然るべき主がいないせいで、なんだか暗く、どんよりした空気を放っている。

10分くらいかけてゆっくり歩いて、たどり着いたのは一階の最奥、仏間だった。

これまでずっと、今どき使いづらい和室だからと物置になっていたここが意味を成すようになったのは、一ヶ月前、2つ上の姉・飛鳥が、突然の交通事故で死んでからだ。


ここに入るときは、何故かいつも緊張してしまう。私は、音を立てないようにして座敷の末席に進み、腰を下ろした。

まだ四十九日も過ぎていないから、ここには、祭壇の上にどこか遠慮がちに骨壷が据えてあるだけだ。仏壇もお墓もできていないのに、もうすでにたくさんの人がここを訪れ、拝み、涙した。まるで、生前の飛鳥の人望を示すかのように。


「大丈夫だよ。心配しなくたって、つばめちゃんは可愛いし。

いつかぜったい、飛鳥ちゃんに勝てるようになるって!」


沢山の人に言われ続けたこの言葉。誰が言い始めたのかわからないけど、色んな人が、私を知り、そして飛鳥を知っていく中でそう言った。

私、飛鳥に勝ちたかったのかなぁ。よくわかんない。だけど、これまでの人生で、唯一追いかけていたのは飛鳥だった。飛鳥と同じくらい上手に、できるならそれより上手く。いや、私ならできるはず。そう思って、ずっと過ごしてきた。

飛鳥を追いかけて入った、ダンスの強豪校・相良東高校では、飛鳥が引退した夏のインハイのあとからずっと、選抜があるたびにセンターを勝ち取ってきた。

大会ごとに選抜の発表があって、私がセンターに選ばれたってわかったとき、いつも思い出す言葉がある。確か、相良に入りたてで、一年生ながらインハイのセンターに選ばれ、そのままチームを関東大会まで導いた飛鳥が言っていた。


「一回二回センターをするのはさ、楽だよ。だけど、何回もしてたらさ、”あの子はお気に入りだから”とか”出来レースだし”とか、嘘ばっかり言われるようになるときもあるわけ。

これは辛いよ?ついさっきまでセンター左とかで、一緒に頑張って踊って仲間だと思ってた子がさ、部室で悪口言ってるんだから。

でもね、そこで折れてるようじゃ、センターは務まらない。”やっぱりあの子じゃないとうちのチームの顔は任せられないね”って言わせるくらいじゃなきゃ。

そうじゃないと、私が輝けなくなっちゃう。そうしたら、チームも輝けなくなっちゃうでしょ?」


そう言う飛鳥は、記憶に新しい彼女よりもまだ子供で、初めての関東大会の重圧を背負い、緊張した面持ちだったけど、その向かい風をも味方につけたかのように、歯を見せて笑っていた。

何かっこつけてるのよひよっこセンターのくせに、なんてそのときは悪態をついた気がする。今だって、多分飛鳥のことが大好きなわけじゃないけど、何かの節目に思い出す言葉は、大抵飛鳥が放ったものだった。


希望の高校に通って、好きなダンスをさせてもらえて、ライバルとも言える姉がすぐそばにいて、それを小競り合いしながら両親が見守っている。

特別裕福じゃないけど、小さな幸せが沢山ある家庭で育ったと思う。


でも、飛鳥がいなくなって、生活が変わった。高校生にして肉親が亡くなった子、可哀想な子としての、役割のようなものを押し付けられるようになった。

忌引明け、普通に授業を受けようとしたら、毎回毎回教科が変わるたびに、先生に「無理しなくていいんだよ」と声をかけられた。

んんん、無理ってなんだろう。私、無理してるように見えるのかな。ただし、この件においての最大の問題は、私自身があんまり無理していないことなんだよなぁ。そう思いながら、ずっと慰みの言葉を聞いていた。

でもこれだけじゃない。どうしてもダンスをしたくて、その日の放課後、部活に行ったときのこと。

普通に練習着に着替えて、ストレッチをしていたら、まずゆきちゃん先生に声をかけられた。

「つばめさん、大丈夫?」

”大丈夫”。何をどうしたらあなたたちにとっての”大丈夫”になるんだろう。

「はい、今日から復帰させてもらいます。長い間、ご迷惑おかけしました。」

「…えぇ、それは全然構わないんだけど…もう少し休んでいてもいいってこと、忘れないでくださいね。」

つばめさんの心の負担にならないように。

先生はそう言って、何度もこちらを振り返りながら、部活のミーティングを始めるために、レッスン場の真ん中へと歩いていった。

少しして、皆が集まって、ミーティングが始まり、練習へと移る。そのとき初めて、私は先生が危惧していたことの真意を知った。


誰も私と目を合わせようとしない。会話も不自然でぎこちない。

他の部員は明らかに私を敬遠していて、腫れ物に触るような対応だった。


「あの、ここの振りってもしかして変わった?」

「えぇっと、せ、センターがどうなるかはわかんない、んだよね。

ゆきちゃんに聞けばわかると思うよ、」


「よかったら一緒にペアダンスしない?」

「…、あ、私他の人と組むの、ごめん!!」


普段、何てことない会話にことごとく失敗していく中で、私もだんだん怖くなっていって、他の部員に声をかけるのをやめた。


永遠にひとりで踊り続ける毎日。もともとそんなに群れるほうではなかったけど、より徹底して誰にも話しかけなくなった。

鏡と、携帯のビデオカメラ、そして自分。たった3つの世界の中で、ひたすらに踊り続けた。

そうこうしていると、いつの間にか、踊ることを楽しめなくなっている自分に気づいた。誰も私を見ない。「ダイナミックだね」って褒めてくれる人も、「ここはもう少しゆっくりしたほうがいいかも」ってアドバイスしてくれる人もいない。

あぁ私何してんだろうな、そう思っていた頃。


ついに、音楽と一緒になれなくなった。


どれだけ苦しくても、音楽を楽しめる、音楽と一緒になって、身体の底から動きを作り出すというのが、私の踊り方で、楽しみ方だった。

かつてない、音楽が身体の輪郭を撫でていく、奇妙な感覚。

私はおそるおそる、身体を動かしていった。

「…きもちわるい…」

海水に濡れた服を着て踊っているみたい。かつてないほどに、身体の自由が効かなくなっていた。


左右に揺れる簡単なステップ。いつもの私なら意識すらしないところで裏拍が取れなくなってしまって、動きを止めざるを得なかった。

上からのウェーブもできなくなって、波が腰に来た時点で音についていけなくなって、尻もちをついてしまった。

「なんで…」

こんなの、ダンスを始めたての、幼稚園のときでさえあり得なかった。


辛い、苦しい、悲しい、痛い、…怖い。

こんなんじゃステージに立てない。綺麗な衣装を着ることも、可愛いメイクをすることも、センターに立ち続けることも全て、私に注目が集まってしまうことだ。

こんなみっともないダンスで?どんだけ見た目で補っても、本当に見られるのはダンス。良い見た目で変なダンスを踊ることのほうが、おかしい見た目で踊ることよりよっぽど恥ずかしい。相良を背負うだなんて、絶対に無理だ。


その日から一週間ちょっと、部活には行かなかった。醜態を晒すのが怖くて。それだけの長い時間踊らないのは、私のダンス歴史上初のことだった。


そしてやってきた今日。1つ前の大会の選抜の配置で、次の大会のダンスを踊る予定だった。

1週間ぶりの部活で、皆の怪訝な視線が刺さる。

終始無言で、空気が重い。これが、飛鳥のことに対する配慮なのか、一週間も部活に来なかった私への報復なのかは分からなかった。

ごめんと思いながら手早く練習着に着替えて、部室を出る。扉を閉めると、とたんに部屋からわっと声が上がった。


びっくりして、思わず扉に耳を張り付ける。音の輪郭は朧げだったけど、言葉として聞き取るには申し分ないくらいの音量で声が聞こえた。


「来たよ飛鳥ジュニア!!」

「やっぱりセンターは私のもんってこと?ウケる、いつまでも飛鳥先輩の権力が及ぶとでも思うなよ、ってな!」

「ほんっと、」

あんたはいいよね、追いかけるだけで。


んははははっっっとけたたましい笑い声が響く。たまらなくなって、私はレッスン場へ走った。


1番言われたくない言葉を言われた。やっぱり私は飛鳥の後ろを追いかけてるだけにしか見えないんだ。本当は、さっきの話をしていた奴を殴ってやりたい。私だって苦労して、泣きたいこともあるけど必死に自分の足で立ってるのに。

でも問題はそこじゃない。飛鳥の言葉を思い出す。


『″やっぱりあの子じゃないとうちのチームの顔は任せられないね″って言わせるくらいじゃなきゃ。』


そう。センターに立つ以上、皆から認められないといけない。認められないところが少しでもあるなら、それは私の落ち度だ。

今回、私にセンターで踊る資格はない…。


それから先は、もう自明のことだ。

私は音に飲まれたままダンスをして、センターを下ろされ、選抜まで外された。

これからどうすればいいんだろう。でも飛鳥なら、こういうときに、″どうすればいいんだろう″なんて考えていない。頭より先に体が動いて、がむしゃらに踊って、必ず失ったものを取り返しにいく。

この時点で、私は飛鳥に負けているのだった。


どうしようもない思いが、身体の中をぐるぐる回って、支配している。

私は祭壇ににじり寄って、骨壷を手に取った。

柔らかい絹に包まれた無機質な白い陶器。軽く振ると、からんからんと密度の小さいもの同士がぶつかる軽やかな音がした。

両手でしっかり持ち直して、今度は顔に寄せて、頬をくっつけてみる。


飛鳥。何で死んだの。

あんたのせいで、私の人生めちゃくちゃよ。


心の中で悪態をつく。こんなに近くにいるのに、飛鳥の声は聞こえない。


「はぁーあ。」


身体が重い。今日はもう、うんざりだ。

骨壷をどんと祭壇に置き、行儀が悪いのも承知で、その場にでんと寝転がる。いぐさの鼻に抜ける匂いと共に、飛鳥の遺影が目に飛び込んできた。明るい笑顔でピース。陽だまりのような人。

「笑ってんじゃないよ。」

目を閉じる。

そのまま私はすっかり眠ってしまった。


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