A swallow

on

第1話 空は広くて、大きかった。

「では、センターの発表を、赤坂コーチ、お願いします。」


そう言いながら、ゆきちゃん先生は、不安げな視線を私に向けた。それだけでなんとなく分かった。


あ、私駄目だったんだ。


ゆきちゃん先生と入れ替わるようにして、赤坂コーチが前に出る。

隙のない身体つきのコーチは、それに見合う容赦のない視線を私たち部員に浴びせたあとに、口を開いた。


「センターは、中元。

それ以外は有り得ない。」


きゃあっと一部で悲鳴が上がり、レッスン場は拍手に包まれた。けど、その拍手は、私に向けられていない。

ぼんやりとしたまま、とりあえず手を打った。自分がどういう気持ちで拍手してるのか、全然わかんなかった。


「おい、つばめ。」

コーチの声がして、急に世界がクリアになった。何かにぶっ刺されるような痛みと共に、その視線は私に注がれてる。

「っ、はいっ、」

つかつかと私に向かって歩きながら、彼女は真っ直ぐ聞いた。


「お前、平然と立ってるけど、悔しくないの。」


なぜだか、無性に怒りたくなって、思わず練習着の裾を握りしめる。

コーチ、それ、私が今1番自分に聞きたいんです。ねえ私、悔しくないの?あの人が引退してからずっとキープしてたセンターを奪われて、悔しくないの?

何も言えずに下を向く私に、コーチはさらに容赦のない言葉を浴びせた。

「飛鳥がいないと何も出来ないんだ。へぇ、」


こんなときに泣ける子だったら、もっと自由に踊れたかなぁ。何があっても、自分を崩さず流されない、あんなダンスを。


「それ程度だったんだ。」


それは私に、氷水を浴びせるくらいの衝撃をもたらした。どうして皆の前でそんなこと言うの。恥ずかしいし、惨めだ。

皆の視線を感じる。早く辞めてしまいたい、こんな部活。


言いたいだけ言って、コーチは皆の前に戻って、無造作に紙を配っていく。選抜の配置図が描かれた紙だ。

いつも通りの流れだったのに、

それをもらった前の方の部員から広がるように、驚きの声が響いた。

「うそ…」「気まずい気まずい」

「やばいって」

厳格なうちの部では、あんまり、砕けた、いわゆる現代語は使われないのに、驚きすぎたのか、教室のひそひそ話みたいな声が聞こえてくる。


どうしたんだろう。一際離れていたところに立っていた私に紙が届いたのは、もうそれ以外の人の手にそれが渡ったあとだった。


そこで私は、更なる衝撃を知る。

それは、

「まさか、こんなところまで変わってしまったのか」という衝撃だったのか、それとも「まさか、こんなところまで予想通りだったのか」という衝撃だったのかは分からない。

もう自分でも、自分のことが全く分かってないんだ。


ただ立ち尽くした。選抜メンバー一覧に、私の名前がない紙を持って。


完全に舐めていた。コーチを舐めていたんじゃない。自分を舐めていた。心のどこかで、「これだけさぼっても、私のポテンシャルは他の人の何倍もある」って。

でも間違ってた。

あんたの能力や才能は所詮これ程度だよ。手の中の紙は、確かにそう告げていた。


「コーチ、あの、」

凛とした声が響く。この状況でこれを上げられる度胸があるのは、この部屋であの子だけだった。


「どうした?」

全員の視線が、新センター·中元燐に向けられる。それだけの注目を浴びても、彼女は動じずたくさんの視線を受け止めていた。


「どうして、関つばめの名前がないんですか。」


その瞬間、しんと部屋が静まり返った。少し眉をひそめたコーチの表情、そして背筋を伸ばした燐の姿だけが、私の目に映った。

しばらくコーチは黙って、燐を見る。お前はわからないのか。そう聞いてるように見えた。

2人が視線で、私のことで言い争っている。でもその中に、私はいない。

「それが分かるようになったら、中元も立派なセンターだな。」

休戦だとでも言うようにコーチはそう言い捨てて、部員全員に視線を向けた。いや、その中に、私はいないのか。

「結果はこれが全てだ。ひとまず、来月のインハイ地区予選はこの配置で行く。

″フェニックス″の名に恥じないように、地区予選では圧倒して勝つ。」


勝てるように頑張ろうとか、勝てますようにとかじゃなくて、″勝つ″。

コーチのきつい物言いはあまり好きではないけど、こういう士気をあげる時のこの人の一言には、何か心に刺さる力がある。

ただ、ただ、ただただただただ、


この人が言葉を向けた人達の中に、私はいない。これまではその真ん中にいた。でもそれは昔の話で、今は違う。


あぁ、全てが間違いだった。

小さくて頼りない燕にも、フェニックスのように、いつか大空を飛べるときがくるなんて夢を見るには、私は全てが中途半端だった。


コーチは出ていって、今はゆきちゃん先生が諸連絡をしているけど、全く頭には入ってこなかった。

いつやめようかな。そればっかり考えていた。



その日最後のミーティングが終わって、私は1番に席を立った。

選抜の発表が終わってから、皆の視線がずっと痛かったし、正直、センターでいられないのはおろか、選抜メンバーにも入れない私は、あの部活にとって何の需要もないはずだから。

部室に戻ってさっと着替え、スポーツバッグを持って外へ出る。


選抜メンバーが発表される前の、最後のダンスは、コーチが最終的にメンバーを決める、大事な時間だった。

もちろん私も踊って、そのときの感触は、悪くはなかった。

身体に不調はなかったし、音に身体がついていかないということもなかった。

ただ、″悪くはない″だけで、決して良くはなかった。


音に身体がついていかないなんてことはなかった、けど、音が身体に染み渡って1つになる、あの感覚は全くなかった。今日のダンスは、ただ私の外側を撫でる音に合わせて、適当に足や手を動かしていただけ。

完璧に、音楽と一緒になれていなかった。一緒になれるほど音楽と慣れ親しんでいなかった。そしてそれを、赤坂コーチに見抜かれたっていうだけの話。当たり前の結果。


少し前から、ダンスをしようとしても気が乗らない、無気力なダンスしか出来ない自分に、何となく気づいていた。これが潮時かなとも思う。

私は精一杯頑張った。もう終わっても、誰も文句は言わないだろう。誰1人として…。



「つばめ!!!!!!」



後ろからいきなりぶつしけな声が聞こえたかと思うと、そいつは私の前に回り込んで行く手を阻んだ。そのままスポーツバックの持ち手をむんずと掴んで、こちらを睨みつける。思わず私も同じように睨み返して言葉を投げた。


「新センターさん、何か用ですか?」


いきなりの無礼者の正体は、新センターの燐だった。

前のセンターが引退してから約1年、絶対的エースとして君臨していた私を破ったにしてはあまり嬉しそうでは無い。

「何?私を笑いに来たの?」

「…」

「早く帰りたいんだけど。」

「…」

「ねえ、何とか言ってくれる?」

「…くないの」

「え?何?」


「悔しくないのって、聞いてんの!!!!!!!!」


それはついさっき、赤坂コーチがぶん投げた問いだった。あのとき答えられなかった問いに対して、1時間も経っていないのに答えが見つかったとでもお思いなのだろうか。

自分のことでもないのにぎゃんぎゃん吠えて、何だか物好きな人だなぁ。


「私、燐はもっと淡白だと思ってたよ。

思ったより他人の不幸が好きなタイプ?」

「あんたね、人を馬鹿にするのも大概にして!!

私は聞いてんの、″悔しくないの?″って!!」

「何で皆同じこと聞くの。

さっき見てたでしょ、コーチに聞かれて答えられなかった私を。かなーり惨めだったでしょ。あれで満足してくれないかな。」

「ふざけないで!!!!!!!!」


燐はへらへらしている私を大声で怒鳴りつけた。その姿があんまりにも必死で、思わず私も素に戻ってしまいそうになる。

かろうじて薄ら笑いを貼り付けた私に、燐は顔を真っ赤にして叫んだ。

「私は、あんたがセンターだったから奪いたくなったの!!

どんな難関でも乗り越えて、つばめはセンターで輝いてた!!

そこを奪って、あんたに悔しいって気持ちを燃やして欲しかった、少なくともちょっと前のあんたなら、絶対に泣いて悔しがってる。

なのに何でこんな態度なの?

やっぱり」


″飛鳥先輩がいないと、つばめは駄目になっちゃうの?″


最後の言葉は、最早私に言ってるんじゃなくて、自分の心の中で言うような、頼りない声色だった。


″私だってわかんないよ。でも自分に聞きたい。

私、飛鳥がいないと駄目なの?

飛鳥を追いかけることでしか、自分の価値を確かめられないの?″


でもこうやって自分に聞いて、その答えを確かめるには、私はまだ臆病で、ありのままのアンサーを怖がっていた。

だから言葉にできなくて、代わりのように、燐のスポーツバックの持ち手を掴んでいる手を振り払った。


「ねえつばめ、」

「うるさい、私に構わないでくれる?」

「つばめっ」


逃げるように駆け出す。

燐は追いかける代わりに、背中に声を投げてきた。

「今日のダンス、全然つばめのダンスに見えなかった!!

あんたのダンスはもっとのびのびして、自由だけど深みがあって、あんなお手本通りのもんなんかじゃない!!」


うるさいうるさいうるさい。


「そんなに飛鳥先輩に固執しなくてもいいでしょ!!

飛鳥先輩がいなくなったっていうのに、…」


それから先は、声が掠れて聞き取れなかった。

思いっきり走って、正門を通って、もう校舎内から見えないところに来ると、

一気に涙が込み上げてきた。


本当は私だって聞きたいの。

わかんないよ。私はずっと、目の前にある背中を追いかけるだけでしか生きてこなかったから。

私はやっぱり、飛鳥がいないと駄目なの?


あの日から何度も繰り返した問いを口の中で呟いたら、涙が止まらなくなってしまって膝に手をつく。下を向いて、誰にも見られないように、ただ1人で泣き続ける。


「お姉ちゃん…何で、死んだの…」













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