第14話 積への試練
ナンバー1729のタクシーが車庫に静かに停まっていた。エンジン音が消えると同時に、運転手が車を降り、近くの建物へと足を運ぶ。中には、既に3人の男女が待っていた。
「みんな、もう揃っていたのか…。」
運転手が静かに呟くと、りんごをかじっていた女性が、別のりんごを無造作に投げ渡してきた。彼女は川内高校の非常勤講師、数学を教える傍ら、ここでの別の活動にも参加している。
「どうだったの?」
彼女が問いかけると、運転手はニヤリと笑いながら答えた。
「ああ、ついにシュリニヴァーサから話を聞けたよ。奴に一歩近づいた。」
この運転手、数学界では「パスカル」として知られる人物だ。彼は何か大きな計画に深く関与している。
「パスカル、いいニュースだ。」
声をかけたのは、机の上に置かれた古いUSBメモリーを指差す男、ライプニッツ。ピタゴラスが残したデータの中に、チューリングに関する手がかりがあったらしい。
「計算機の設計にはチューリングの知識が欠かせない。これで完成にまた一歩近づいたな。」
パスカルはほくそ笑み、満足そうに頷いた。
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その頃、ペルゲ、積、そしてフェルマーの3人は、大手数学事務所「アルジェブラ」でゼウスとの重要な会議に臨んでいた。ゼウスは日本にはいないため、画面越しのリモート会議だ。
「ゼウスって、どんな人?」
ペルゲが父フェルマーに小声で尋ねた。
「何を考えているのか、誰にも分からない人物だ。」
フェルマーはペルゲに目も向けず、淡々と答えた。
画面が接続され、ゼウスの側近と思われる人物が登場し、少し待つように告げた。やがて、ゼウスが現れた瞬間、画面越しでありながら、会議室全体に異様な威圧感が広がった。
「待たせたな。」
その声に3人は緊張を隠せないまま、自己紹介を終えた。
「さて、要件は?」
ゼウスが問いかけると、フェルマーは落ち着いた様子で要望を口にした。
「前回の会議で『A』の称号を空席にしました。そのポジションを私の息子ペルゲに与えていただきたい。また、『S』の称号も関にお願いしたいと考えています。」
しかし、ゼウスの反応は冷たかった。
「フェルマー、お前は数学界のルールを理解しているのか?称号は、トップの者が2番手に100ドラクマ以上の差をつけて初めて得られるものだ。頂点に立たないと意味がない。このままでは、ただの時間の無駄だ。」
ゼウスは苛立ちを隠さず、立ち去ろうとする。その瞬間、積が意を決して声を上げた。
「待ってください!」
その大きな声に、ゼウスは足を止め、再び座り直した。
「何だ?」
冷ややかな声が響く。
「『ゼウスの気紛れ』って何ですか?シュリニヴァーサが、それで数学界に入ったと言っていました。」
その名を聞くと、ゼウスの顔がさらに険しくなった。
「何が言いたい?」
「シュリニヴァーサは、あなたが話し相手を探していると言っていました。それで称号を得たのだと。」
その言葉に、ゼウスは驚きつつも小声で呟いた。
「そうか…。」
ペルゲとフェルマーは積の大胆な発言に驚きつつも、静かに耳を傾けていた。
「シュリニヴァーサに会ったのか・・・。俺は数学界の監査組織のリーダーだ。これまで多くの人を追い出してきた。オリュンポスでもリーダーを務めているが、そのせいで皆から冷たくされている。俺は孤独だった。そして話し相手が欲しくて、シュリニヴァーサに称号を与えた。」
ゼウスは目を伏せ、少しずつ過去の出来事を語り始めた。
「最初は、数学でこの街を活気づけようと思ったんだ。だけど、仲間が集まらなくて、どうにか注目を集めようと躍起になっていた。そして、ようやく活気が出てきたと思ったら、人が多くなりすぎてルールを作る必要が出てきた。監査組織を設立したのもその頃だ。それで皆から嫌われ、今に至る。」
ゼウスの瞳からは涙がこぼれ始めた。その様子を見て、ペルゲが軽く肩をすくめながら言った。
「分かる気がするよ。俺も高校時代に似たような経験をしたからさ。まあ、あんまり気にするなよ。」
積も続いて口を開いた。
「ルールってのは守るためだけにあるんじゃない。使うためにあるんだ。考えすぎだよ。」
2人の言葉に、ゼウスは涙を拭い、小さく頷いた。
「お前たちは、偉大だ・・・。神ですら学べることがあるとはな。」
しばらく考え込んだ後、ゼウスは口を開いた。
「分かった。『S』の称号は積に与えよう。」
積は驚きつつも、すかさずシュリニヴァーサのことを尋ねた。
「シュリニヴァーサは?」
ゼウスは軽く首を振った。
「あいつのことは、俺が何とかする。」
ただし、ゼウスは続けた。
「『A』の称号はまだ競わせたい。誰がその座に相応しいか見極める必要がある。」
ペルゲは静かに頷いた。
「陸前ペルゲ、肩書きはアポロニウス。そして異名は『計算鬼』だ。」
「お前が除名されたアポロニウスか・・・。面白い。楽しみにしている。」
ゼウスは笑みを浮かべ、会議は終了した。中継が切れると同時に、3人は一斉に息をつき、緊張が解けた。
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事務所アルゴリズムに戻ると、そこには建部とチューリングが待っていた。
「どうだった?」
チューリングが尋ねると、積が答えた。
「秋までに1万ドラクマを稼がなきゃならない。」
チューリングは眉をひそめた。
「そんなにか?それで、取れそうか?」
「やるしかない。ホテル勾当台に行って稼ぐさ。」
積は自信たっぷりに答えたが、チューリングの表情は変わらなかった。
「計算機が最近、数学界で流行っている。」
「どういうことだ?」
積が尋ねると、チューリングは少しだけ口ごもった。
「ペルゲ以外にも計算機を持っている奴がいる。もちろん、ペルゲのエニグマが最強だが、何故流行しているのかが分からない。」
ペルゲが提案した。
「積にエニグマを使わせるのはどうだ?1万ドラクマも簡単だろ。」
だが、チューリングは首を横に振った。
「共有は不可能だ。エニグマは、ペルゲの脳に直結している。プログラムを操るのはできても、エニグマそのものを他者が使うことはできない。」
ペルゲは少し驚きながらも、チューリングに問いかけた。
「なら、積を計算空間に送り込んでみよう。彼が計算機を使えるかもしれない。」
チューリングは一瞬考えた後、頷き、アポロニウスの円が描かれた板を取り出し、積に見せた。
積はその板をじっと見つめた瞬間、意識が変容し、計算空間へと送り込まれた。
「これが…計算空間か。」
砂のような光景の中、積は自分の手のひらから放たれる光の曲線を見つめ、呟いた。
「俺にも・・・計算ができるんだ。」
計算空間から戻った積は、その感覚に新たな決意を抱いていた。
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