第13話 お願い

 数学界の大手計算事務所「ピタゴラス教団」のリーダー、ピタゴラスは、秘書に呼び出され、喫茶店でフェルマーと待ち合わせをしていた。


「初めまして、フェルマーです。」

 ピタゴラスが喫茶店に入ると、すぐ目につく場所にフェルマーが立っていた。彼は柔らかい笑顔で出迎え、手を差し出した。


「こちらこそ、直接会うのは初めてですね。」

 ピタゴラスは握手を交わし、カウンター席へと座った。秘書は「15分だけ外します」と告げて去った。


「ユークリッドの件、本当に申し訳なく思っています。」

 フェルマーは柔らかな口調で切り出す。


「いや、仕方ないさ。これはそういう世界だ。」

 ピタゴラスはわずかに苦笑を浮かべる。


「ところで、今日はどんな話で?」

 ピタゴラスが核心を聞くと、フェルマーは少し息を吸い込んでから答えた。


「称号のことです。『A』と『S』の称号を、私の事務所から取得させていただきたい。」


 その言葉にピタゴラスは目を細め、静かに笑った。

「直接ゼウスに話せばいいだろう?」


「いえ、あなたの力がどうしても必要なんです。」

 フェルマーの言葉は、どこか切羽詰まっていた。彼は頭を下げ、さらに強い口調で頼んだ。


「確かにゼウスは以前、『A』の称号を空席にしたが…何故お前は『S』の称号まで欲しいんだ?」

 ピタゴラスは紅茶を飲み干しながら問いかけた。


 フェルマーもカップを手に取り、無言のまま紅茶を一気に飲み干す。そして席を立つと、毅然とした表情で言い放った。


「分かりました。直接ゼウスに相談します。そして、『A』の称号も、私の事務所のアポロニウスに取らせます!」


「アポロニウスだと?」

 ピタゴラスは目を見開き、眉をひそめた。「彼は既に除名されているし、その名を名乗れないはずだ。」


「そうです、名乗っているのは彼ではない。計算鬼と呼ばれた男です。」

 そう言うと、フェルマーは微笑を浮かべ、店を去って行った。


---


 その頃、積孝正は事務所アルゴリズムへ帰るためバスを待っていた。しかし時刻表を見て、しばらくバスが来ないことを知ると、仕方なく歩き始めた。人通りの少ない道を歩いていた彼の前に、黒いコートを着た男が現れた。


「何をしている?」

 男が不意に声をかける。


「バスがないから歩いているんだ。」

 積が答えると、男は軽くうなずき、

「少し先にタクシーがある。一緒に行こう」

と提案した。


「ありがとう。」

 そう言って積は男と歩き始めた。


「君の名は?」

 男が尋ねる。


「俺は積孝正だ。そちらは?」


「俺はシュリニヴァーサ。ラマヌジャンでもあるがね。」

 その名を聞いた積は驚き、横目で男の顔を見た。


「まさか、あのラマヌジャン?」

 積の動揺を見透かすように、シュリニヴァーサは静かに笑う。


「君は『S』の称号を狙っているのか?」

シュリニヴァーサが突然質問すると、積は視線を逸らしながら答えた。


「まあ・・・、一応ね。」


「なら譲るよ。俺はどこの事務所にも属していないし、ゼウスの気まぐれで手に入れただけだ。」

 シュリニヴァーサは軽く言い放った。その一言に積はさらに驚き、問い返した。


「どうしてそんなにあっさり…?」


「ゼウスは俺を気に入って称号をくれただけさ。彼が何を考えているか、誰にも分からない。きっと、ただの気まぐれだ。」

 シュリニヴァーサの声は、どこか哀愁を帯びていた。


 やがて二人はタクシーにたどり着き、後部座席に乗り込む。シュリニヴァーサは軽く窓をノックし、タクシーは静かに動き出した。


「なあ、『タクシー数』というものを知っているか?」


「いや、聞いたことはあるが、詳しくは分からない。」

 積が首をかしげると、シュリニヴァーサは小さく笑った。


「有名な話だよ。ラマヌジャンとハーディの会話でね。ハーディが『今日乗ったタクシーのナンバーが1729だった』と言った時、俺は即答した。それは『2つの立方数の和として2通りに表される最小の数』だとね。」


 積は感嘆しつつ、シュリニヴァーサの言葉を静かに聞き入れた。やがてタクシーは目的地に到着し、シュリニヴァーサは一言、積に伝えた。


「『S』の称号はいずれ君に託す。ゼウスは最近機嫌が悪いから、気をつけるんだ。」

 シュリニヴァーサはそう言い残し、タクシーから降り、闇に消えていった。


---


 事務所に戻った積を、ペルゲと建部が待っていた。


「おかえり、要は済んだか?」

 ペルゲは積にそう聞くと、

「うん。」

と答え、頷いた。


「今度父さんと一緒にゼウスに直接会う事になった。お前も来てくれるよな?」

「ああ、でも何しにいくのか?」


「称号の相談だってさ。この前言っていたやつだよ。」

 その後、積はペルゲの話を聞いて内容を理解し、同行することが決まった。


 すると今度は建部が話を始めた。

「今日二日町の所へ行って来たんだけど、最近妙な客が来るらしいんだってさ。もち、そいつらは知らないやつだってさ。どうやら、パソコンに詳しいやつが知り合いにいないか聞きに来たそうだ。もちもち、知らないとか言って誤魔化したそうだ。」


「そこでチューリングを進めたりすると迷惑だし、大変だもんな。」


 ペルゲはそう呟くと、突然何かを思い出したかのように目を大きくし、固まった。

「待てよ、チューリングは誰かに追われているとか言ってたぞ。」

「それってもしかして、チューリングを探しているんじゃねーのか⁉︎」

 積は机を叩き強い口調でそう言った。


「あと、二日町、もう一つ言っていたぞ。数学界でコンピュータが流行り出しているとかって。」

 建部が先程の言った事に付け足すように更に言った。


「そしたら、俺以外にも計算機を持っている人が数学界にいるのか?」

 ペルゲは建部にそう聞くと、

「そうだ。もち、これからは修羅の道かもな。」

と建部は答えた。

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