第10話 島津羽莉(3)

 わたしの心配をよそに、んのんちゃんはすぐに三原さんと打ち解けた。

 わたし達はんのんちゃんの秘密の部屋で膝を突き合わせて『宇宙虹人イカホロ』の鑑賞会を行った。んのんちゃんの部屋の七つのランプよりも、三原さんが持参した巨大なタブレットの光の方が煌々としているのが可笑しかった。

 タブレットに映るイカホロにきゃあきゃあ声をあげる三原さんと、名台詞が出てくるたびに掛け声を入れるんのんちゃん、互いの熱量が強すぎて噛み合っていないこともあるけれども、わたしには二人が良いコンビのように思えた。初めて会ったばかりだというのに二人はまるで互いをよく知る戦友のようだ。

 鑑賞会が休憩に入ったとき、んのんちゃんは三原さんに言った。

「ねえ、三原さんが首から下げてるのってひょっとしてイカホロの笛じゃない? ねえ、やっぱりそうだ。何年か前に数量限定で発売したやつでしょ」

 んのんちゃんが興奮した口ぶりで言った。勢いのあまり三原さんに肩がぴったりくっついてしまっている。三原さんははっとして首元に手をやった。言われてみれば確かに三原さんの首にネックレスのような鎖が巻き付いている。わたしはこれまで全く気が付かなかった。

 三原さんは優しく微笑み、んのんちゃんから身体を離した。そして自慢げに鎖を引っ張ってわたし達に全貌を見せる。鎖の先には七色に輝く笛がぶら下がっていた。

「よくわかったね。んのんちゃんの言う通りこれは限定発売したイカホロの笛です。でも私のは復刻版なの。だからよく見るとちょっとメッキがチープなんだ」

「ううん、それでも凄いよ。んのんも欲しかったけど高かったから諦めちゃった。それを惜しげもなく使うのも凄い。ネットに画像あげてる人もみんな箱入りで飾ってるよ」

「確かにそうだね。でも私は身に付けるために買ったからいいの」

「何のために身に付けてるの?」

 わたしの横槍で二人の会話が止まった。部屋が水を打ったようにしんと静まり返る。また悪い癖が出てしまったとわたしは思った。この失態を隠すべくわたしは必死に言葉を紡いだ。

「あの、ごめんなさい。決して悪く言ってるんじゃないの。いい大人が玩具の笛を首から下げてどうだって言いたいんじゃないの、せっかく買ったのにあまり目立たないような付け方をしているから、どうしてかなって思って、それで、それでわたし」

 わたしの言葉が絡まってどうにもならないのを見兼ねたのか、三原さんは優しくわたしの肩に手を置いた。わたしの心に寄り添うような動きだった。

「いつでもイカホロが呼べるように身に付けてるんだよ。これ以上ない特別なお守りでしょ」

 三原さんはそう言うといつものように優しく微笑んだ。


 んのんちゃんの家を後にして、わたしと三原さんは暮れなずむ道を歩いた。

 んのんちゃんはすっかり三原さんに懐き、近いうちにまた遊びたいと言ってくれた。三原さんもイカホロの話がたくさんできるんのんちゃんを気に入ってくれたように思えたので、二つ返事で了承すると思っていた。しかし三原さんは、忙しいからと言って次の約束を取り付けなかった。

「今日は誘ってくれてどうもありがとう。イカホロの話がたくさんできてとても嬉しかった。でも、私はもう、んのんちゃんには会わないと思う。本当にごめんなさい」

 三原さんがそう言ったとき、わたしは腰が抜けるかと思うほど驚いた。

「え、どうして。せっかくイカホロの話ができる同い年の女の子が見つかったのに。三原さんだってあんなに楽しそうにおしゃべりしてたじゃない」

 わたしはしどろもどろになりながら言った。わたしでは三原さんのイカホロ話に太刀打ちできない。んのんちゃんでなければ無理だというのに。

「うん、イカホロの話ができるのは嬉しいんだけど……。ねえ島津さん、あなた達はいつも、二人であんなことしてるの?」

「え? あんなことって何?」

 わたしは意味が呑み込めず咄嗟に聞き返した。

「島津さんはいつも、んのんちゃんに胸や脚をさわらせたりしてるの?」

 三原さんの声は橙色の中で鋭く響いた。

 んのんちゃんは寂しがりやで甘えん坊な性格のせいか、すぐに人に触れる癖がある。今日もんのんちゃんはわたしに身体をぴったり寄せたり、触ったりしていた。三原さんの言うように、わたしの胸や脚を触ることもあったかもしれない。でも当たり前のことすぎてわたしはまったく意識していなかった。

「島津さんは、んのんちゃんと付き合ってるの?」

「え、ううん、友達だけど……」

「島津さんは、んのんちゃんに恋愛感情を抱いている?」

「え、全然……」

「それなのにあんなことをしているの? やめてって言った方が良いよ」

 三原さんの目が険しく光りだし、わたしは上手く言葉を紡ぐことができないでいた。三原さんは昼間のやり取りについて言っているのに、わたしの脳裏にはどうしてか秘密の儀式のことが浮かんで消えないのだった。三原さんがそれを知っているはずがないというのに。

「でも、でもね三原さん。女の子同士で身体を寄せあったり手を繋いだりキスするのは普通のことだと思うんだ。んのんちゃんもいつもそう言ってる。だから決して変じゃないのよ」

 わたしは友達が少ないからよくわからないけれど、んのんちゃんがそう言うのならそうだと思う。

 わたしが必死の思いでそう言うと、三原さんは絶句した。そして少し間を置けてから言った。

「キスもしてるんだね……」

 わたしは正しいものに裁かれているような居心地の悪さを覚えた。

「手を繋ぐことは女の子同士でもするね。ふざけて抱き着くこともあるよ。でも、キスは普通はしない。胸や脚も普通は触らないんだよ」

「んのんちゃん、ちょっと変わってるから……」

「島津さんはその『ちょっと変わったんのんちゃん』に利用されてるんだよ」

 三原さんは困った顔で一旦口を噤み、すこし間を置けてから再度口を開いた。

「島津さん、ひょっとして、んのんちゃんに同情してるんじゃない。んのんちゃんはそれがわかっていて、そこにつけ込んであんなことをしてくるんだよ」

「そ、そんなことないよ」

 わたしは言い返した。頼りない声だった。

 こんなはずではなかった。わたしはただ三原さんのイカホロ談義から逃れたかっただけだったのだ。

「島津さんが何を考えているか私にはわからないけど。でも、島津さんがんのんちゃんに恋愛感情を抱いていないのなら、ああいうのはちゃんと突き放さなくちゃいけない。ぼんやりと流されているだけかもしれないし、嫌だとも思っていないかもしれないけど、でもこれは悪いことなんだよ。拒絶しなければいけないことなの」

 三原さんの眼光は鋭いままだった。

「私、んのんちゃんみたいなやつ、大嫌いだわ」

 わたしは言葉を失った。

「ごめんね島津さん。島津さんの友達を悪く言って本当にごめんなさい。でも、島津さんに何か起こってからじゃ遅いと思うから。お願い、島津さんには傷を抱えて生きるようなこと、してほしくないんだよ」

 いつの間にか三原さんはわたしの両肩を掴んでいた。彼女の細い指がきつく激しくわたしの肩に食い込み、わたしは痛みのあまり顔を顰める。歪んだ視界からそっと三原さんを見ると見たこともない恐ろしい目をしていた。わたしは怯え、仰け反った。しかし三原さんの爪がわたしの肩に食い込んでいたために上手く動けなかった。

 わたしはこんな三原さんは知らなかった。明るく優しい三原さんでも、イカホロが好きなあまり我を忘れる三原さんでもなかった。わたしは恐怖のあまり声も出ず、身動きもできず、三原さんの手の中で自分の激しい心臓の音を聞き続けていた。

「ごめん。私、感情的になりすぎたね」

 ふとそう言って、三原さんはわたしを解放した。

 それからわたし達は並んで帰り道を歩いたが、言葉を交わすことはなかった。

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