第2話 違和感

「虫」に出会ってすぐの僕の様子は、先にも書いたように、一般の人から考えればとても落ち着いていて、冷静だった。


本当だったら恐ろしくて近づけないようなその姿にも、すぐに慣れた。虫になったグレゴールに対して、彼の家族が怯えて暮らさねければならないのとは、正反対だった。


その「虫」の近くにいるのは、安心感を感じさせるもので、向こうが害を与える存在でないことは、すぐにわかった。それでもまだ、「虫」との一定の距離は保ちながら生活を送っていた。


「虫」はとにかく、僕に対してよく質問し、よく喋った。僕が大学でどのような授業を受けたかとか、彼女とのデートはどうだっかとか。その話ぶりは、まさに人間そのものだった。


おそらく皆さんは、この「虫」が何を食べるか気になると思う。実際には野菜や肉類、バランスよく食べていて、ほとんど僕と同じ食べ物だった。ただ、あまり甘いものは苦手らしい。この「虫」が作る料理はとても美味しく、妙な材料も入っていないので、安心だった。


妙な話だが、生活のパターンはほとんど人間と同じで、夕方には入浴し、僕と同じ時間帯に就寝する。布団が要るかと聞けば、要るというので使っていないものを渡した。


特に体から異臭を発するわけでもなく、汚物を垂れ流すわけでもない。むしろ身の回りは清潔で、人間の方が汚いのではないかと思わせた。


「虫」との奇妙な共同生活が始まって数日が経ち、徐々に慣れを感じ始めた矢先だった。この「虫」に対して言いようもない違和感を覚え始めたのは。


「虫」の話ぶり、その話題の選択、声のトーン、好物、綺麗好きなところ、全てが自分の中の何かとぶつかった。しかし、この感覚が何なのかは全くつかめなかった。


そうこう思い悩むうち、ある事件が起きた。「虫」がキレたのだ。


その日疲れていた僕は、いつものように喋りかける「虫」に対して、とても冷たく接した。その態度が、この「虫」を怒らせたのだ。


試験準備でイライラしていた僕は、そのところ似たような態度を「虫」にとり続けていた。その結果、普段は和やかな「虫」の鬱憤は溜まり続けていたのだろう。


そして、感情を爆発させた「虫」が僕に対してとった行動は、いきなり僕の頬を打つことだった。その瞬間、脳内に散らばった点が一本の直線で結ばれた気がした。


目の前にいるこの「虫」は、僕の「母」だ。

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