第22話

お前に質問だ。

60代と30代の親子と、40代と10代の親子。

どちらも親子なのは変わらない。

だが、待ち望んだ私と母が犯罪をされなくなった日。

その瞬間から、2人で楽しめる時間は、前者と後者、どちらが長くてどちらが短い?


答えはこうだ。


前者の方が短い。

そして、私と母は前者の方だ。

年齢のデマはこんな風に私と母の時間を潰していく。

だからお前の事を決して許すことはない。

ずっとずっと恨んでいる。

私に警察に言われたという事実。

そろそろお前は納得出来るはず。

こんなにも恨まれているのだから。

卑怯者のお前は、このストーカー行為をたった1人にされても、きっと警察に言うのだろう。


私と母に対するストーカー行為。

お前が思うより、複雑化している。

お前が沢山の人間にデマを流した分だけ絡みに絡んで。

お金も絡んで。

時間が経てば経つほど複雑に。


ショッピングモール。

大盛況だった。

次から次へと人が入り、駐車場も入りきらない。

そして次から次へと工事が行われる。

車で通る道、通る道に色んな新しい店が出来る。

私と母に関わった奴等に起こる、異常なまでの好景気。


お前が嘘をつき続ける事。

それは本当に正しい選択か?

大切な人を巻き込み、「大丈夫、大丈夫。」

根拠もなく言い聞かせる。

お前自身もそうではないか?

あの人たちは警察に言ってないと信じて、言い訳をしていた。

それがたとえ、自分に用事がない、そんな時だけにする自分都合の言い訳であっても。

まだ警察に言われていないと希望を持っていたのなら、警察に言われた事を知った時、お前は絶望で立ってさえいられなくなる。


お前のすぐ近くで死人が出るかもしれない。


親を騙して、犯罪に付き合わせた子供。

スマホを手に助手席に座り、行き場所を指図し、親に運転してもらう。


自分の子供に、面白い親子がいるとスマホを持たせて犯罪をさせた親。

子供なら大丈夫と過信して平気で居場所と写真を送らせる。


旦那の仕事が増えると喜々としてデマを流し続けた嫁。

金が絡みまくる。


嫁がいるにも関わらず、他の女の尻を追う旦那。

余程、家庭が楽しくない。


リタイア世代の暇にまかせて付きまといをした老人。

「もう、いい歳だから、好きな事をしないと。」

好きな事がこの犯罪。


父が亡くなって10年。

10年という年月はとても長い時間である。

あの日から、皆平等に年をとる。

それなのに、私と母だけは年をとらず、小さい子供と親が毎日泣き叫んでは生活をしていると言っているわけだ。

毎日?

本当に毎日?

毎日騒音で、近所は悩まされている?

本当に?10年間?


「お化けが出るー。」

そうやって登下校した小学生。

10年経てばどうなるか。

小1の子供は6才+10年で16才。

小6の子供は12才+10年で22才。

それぞれに親がいれば

20~30才位で子供を産むと考えると

親は40~50代と考える事が出来る。

10年前中学生ならば親子共々もう少し年齢は上がってくる。


私は何を言いたいか?

子供も両親もショッピングモールで働ける年齢だという事だ。

何か匂わないか?

定期的に行く、亡くなった祖母の家。

その前まで犬の糞がされているのも、何か匂わないか?

そして10年間ずっと同じ話題で盛り上がるところも、いつまでもストーカー行為を止めないお前と何か似かよったところはないだろうか?

どう思う?

お前に聞いている。


お前のとった選択。

お前はいつでも決まって私と母を選んだ。

なぜだ?

37才の私はとっくの昔に免許をとっている。ずっと運転しているのは私だ。

その傍で仮免の講習を受けている、教習所の車が通る。

37才の私を選ぶのなら、今仮免の講習を受けている人間を選んでもいい筈なのだ。

つまり、お前が何かしらの基準の上か下かでターゲットを決めているなら、いくらでも私と母から違う人間に変えるチャンスはあったと言っている。

それなのに変更しなかったという事実。

私はそんなお前から僻みという言葉を切り離して考える事が出来ないでいる。


私は僻みという言葉が嫌いだ。

存在さえしなくていい言葉だと思っている。

だから、そうでなくてほしかった。

僻みとか言うそんなつまらないもので、こんなにも私と母の人生がグチャグチャにされ、沢山の時間を失ったと思うと、あまりにも馬鹿らしい。


私は、僻みと負けず嫌いは別物だと思っている。

更に言えば、負けず嫌いをこの世から無くすことは出来ないと思っているが、僻みはこの世から消し去ることが出来ると思っている。


どうすれば消えるか?

こう教えれば良いのである。

「あの人が良い暮らしをしているのは、あの人の先祖が頑張って働いたから。」

事実そうだろう?お金が降って湧くのか?

必ず家系の誰かが頑張っている。

世の中は、僻みを僻みだと片付けすぎたのだ。

僻みなどこの世にないものだとすればいい。


元々無くて当然なのだ。


公立に行った子供。

私立に行った子供。


公立の子供は近所の通学になり、家にいれる時間は多い。

家族といる時間も長い。

そして公立の種類によるが、勉強する時間も少ない。

更には、両親の金銭的負担は少ない。


対して、私立の子供は電車通学になり、家にいれる時間は少ない。

家族といる時間も少ない。

そして、公立の子供より勉強をさせられている。

両親の経済的負担は多い。


つまりは、公立の子供の家族と私立の子供の家族では頑張った量が大きく違っている。

ならば、結果も大きく違って当然だ。

つまりは公立の子供の家族は、最初に楽をして、後で頑張る事を選んだ。

私立の子供の家族は、最初に苦労を選んで、後で楽を選んだ。

それだけだ。

そして私と母は後者を選んだ。


あの店でも、私と母が毎日来ていることが、どうやら誰かの心をモヤモヤさせたようである。

まさにこういう類いのものを残念ながら「僻み」と言う。







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