第11話

悲しい気持ちは、年齢の大小には関係ないと私は思う。

父が亡くなって、私はとても悲しかった。それが10年経とうが変わらない。

今37才の私が10年前の27才でも、悲しいのは変わらない。


父が亡くなったのを機に仕事を変え、近くの病院で働いた時、私にはとても心の支えになっていた事があった。

それは院長の手だ。少しぽっちゃりした紅葉みたいな手。父もそんな手をしていた。

さっさと帰宅させてくれる、不必要な事に決して時間をかけない人。人によれば、冷たいとも言われそうな院長だったが、仕事終わりに挨拶をして帰るとき、その手を見て私は、ほっとする事が出来た。だからこそ、母の前では泣かずにすんだのかもしれない。


母は毎日泣いていた。


そしてあの日が訪れる。父が亡くなってすぐか、1年目か、お盆の頃辺りだったと思う。

皆が窓を開けて過ごす、そんな季節だった。


家族は取り乱す母を落ち着かせるのに必死だ。だからだろうか、私はその時の事をそんなに覚えてはいない。

それか、覚えていたのに、それを忘れるほどに大変な日々を過ごしたからかもしれない。


お前が大好きなあの日。

いったい何人の人が、母が泣いてるのを聞いたというのだろう?


次の日からだ。

家の前、家の横、

犬の糞、唾をはく、ニヤニヤ通る、早朝の老人の見物、そんな私の毎日が始まる。


私は、毎日出勤で外に出た。なので、そういう場面に遭遇する。

もしかすると、その時を狙って出てきていたのかもしれない。


毎日、毎日。

車を通る奴、自転車で通る奴、ニヤニヤしながら通る。

私は、その事を母には伝えなかった。

お前はなぜだと思う?

父を想って泣く母を注意する必要はないと思ったから。

お前はどう思う?

いい加減に泣くのは止めろと制止すれば良かったか?

亡くなった人を想って泣くのは、お通夜、お葬式だけにしろと母を罵れば良かったか?


私は伝えなかった。外に出る度、見たくもないものを毎日のように見ていても。

私も数年間、父が亡くなった事を誰にも言わなかった。涙が出るので言えなかった。


お前がやった事。

それは私がしっかり受け止めている。

覚えていないと思っていたのか?

お前が捨てていったゴミ、お前が吐き捨てた言葉、全部私が受け取っている。


ある日、母と溝掃除をしていた。

近所の婆さんが通った。

そして横並びに歩く連れに言った。

「痩せたんじゃなくて、やつれたんよ。」


旦那を亡くしたばかりの人に言える言葉だろうか?

それから母は、溝掃除をしなくなった。



こんな風に、この近所は声に出さないと気が済まないらしかった。

黙ってニヤニヤするだけでは足りない。

ただ、大抵の場合、されている方は気付いている。それに返答する機会がないだけだ。


「〇〇公園まで聞こえたって。」

「小さい子のいう事やから。」

「大きな声を出したのは、お母さんの方やって。」

「頭がおかしいからな。」

「いかれてる。」

「ギャー。」

「あはははは。」

「お化けが出るよー。」

子供から老人まで。言いたい放題。やりたい放題。


だが、お前には少し考えてほしい。

お前がずっとやり続けられたからといって、お前の主張が合っているという事にはならない。


今改めて聞く。

お前が生きていると言いふらす私の父は、本当に私の父親か?





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