第2話 金色の瞳
そういえば、自分は一度森で用を足したが……王女は…………大変だ!
青ざめた王女と自分を繋ぐ縄を素早くほどき、さっと抱きつつ馬から降りる。
どうしたものかと辺りを見回していると、店らしき建物の前で、掃き掃除をしている年配女性と目が合った。
「……突然すまない」
「いいんですよ!
少女を抱いて駆け寄る自分に、最初は驚いていた女性だったが、王室の紋章入りの手形を見せ事情を話すと、すぐに不浄へと案内してくれた。
静かな足音に顔を向けると、無事に用を足したらしい王女が立っていた。
「……まあ! なんて綺麗なお嬢さんなんでしょう!」
しまった…………
『人前に出る時は必ず王女の顔を隠さねばならぬ』
咄嗟に自分のマントを脱ぐと、無礼を承知で王女の頭にバサリとかけた。ふうと冷や汗を拭う自分と、急に視界を遮られても微動だにしない王女。女性はぽかんと口を開いたまま、自分達を交互に見つめている。
不味いな……なんと言えば……そうだ!
「この者は対人恐怖症で……初対面の人間と目が合うとパニックになる」
「あらまあ! そうでしたの。じろじろ見てしまって、ごめんなさいね」
……何とか誤魔化せたようだ。
「焼けたよ!」という男性の大声に、はーいと答え何処かへ向かう女性。この香り……パン屋だったのか。
王女の手を引き入口まで戻れば、女性がいそいそと紙袋を持ってやって来た。
「これ、焼き立てなんです。甘くて美味しいからお嬢さんも気に入ると思うわ。朝食にどうぞ」
右手に手綱、左手に王女。人気のない場所を探し歩き続ける。王女が抱く紙袋からは、ふわりと甘い香りが漏れ続け、時折ごくりと唾を飲む音が聞こえた。
……呪われた王女も腹が減るんだな。尿意だってあるんだから当然か。
金を払おうとしたのに、
あの親切な女性に、王女の瞳を直視させてしまうなんて……と罪悪感が押し寄せる。
自分も初めて会った時に直視してしまったし、さっきも慌てるあまり、不浄まで運ぶ間に何度か顔を見てしまった。今は何ともないが、呪いが徐々に身体を侵していくのかもしれない。
激しい後悔に、左手がより冷たく、そして重たく感じた。
街外れの小さな神殿の裏、日が当たらずじめじめした草むらまでやってきた。此処なら人も来なそうだし、神殿が近いというだけで何となく安心感がある。
王女から慎重にマントを剥がすと、それを湿った草の上に敷き、どうぞと勧めた。出来るだけ顔が見えないように、自分も横に並んで座る。
さっきの紙袋からパンを一つ取り出し、冷たい手に握らせれば、王女の口からふわあと息が漏れた。ドライフルーツが練り込まれた生地に、白い砂糖がかかったそれは、いかにも女性が好みそうなパンだった。
「水もどうぞ」
前に水筒を置くと、もうパンを齧りながらこくりと頷く。横目でチラリと様子を窺えば、シャープだった白い顎と頬が、小動物のようにぷっくりと膨れている。どれだけ口に詰め込んだらそうなるんだ? 何も訊いていないのに、こくこく激しく頷いているのは、きっと美味しいとの意思表示だろう。
……呪われた王女は、どうやら甘党らしい。
案の定ゴホゴホとむせる王女に、慌てて水を差し出し、華奢な背中を擦った。
「時間はあるので、ゆっくりお召し上がりください」
相当苦しかったのか、胸を押さえながら、肩で
なっ……なんだ? 何か怒らせたか?
すっと上がった細い指が差したのは、俺の膝に置かれた紙袋だった。もしかして……
「ああ、大丈夫ですよ。まだお代わりはありますから」
すると王女はふるふると首を振り、俺の膝に指で文字を書き始めた。冷たい指がくすぐったくて妙な気持ちになるも、解読に集中する。
『あ……な……た……は……た……べ……な……い……の』
“あなたは食べないの?”
自分を気遣う王女に、内心酷く驚く。食欲や排泄などの生理的欲求はあっても、こういった人間らしい感情は欠如しているものと勝手に思い込んでいたからだ。
「あ……大丈夫です。私はこれで腹が一杯になりますので」
荷物の中から、王妃に渡された最新の非常食を取り出す。キャンディのようなそれには魔力が込められていて、一粒で一日中腹が膨れ栄養も摂れる。無味なのが難点だが、長旅に贅沢は言えない。
王女は少し首を傾げると、ポシェットから何かを取り出し、俺の手のひらに置いた。
白、ピンク、黄色。華やかな包み紙のそれらはどう見ても……
「……キャンディ?」
こくりと頷くと、王女は前を向き、再びパンに戻っていった。これは食べろという意思表示だろうか……俺がキャンディを好きなのだと勘違いして?
ピンクの包みを開き口に入れれば、甘酸っぱい苺味が、疲れた身体と張り詰めた神経に沁み渡る。するするとほどけていく視界に入ったのは、少しずつ、ゆっくりと咀嚼する白い顎。
呪われた王女も学習したんだな……
ふっと綻ぶ口に、今度は黄色のキャンディーを放り込んだ。
休憩を終えると、目を瞑る王女の顔に、布をぐるぐると巻き付けていく。さて、どうしたものかと、位置を微妙に調整しながら考える。危険な瞳を一番隠したいところだが、視野が狭まれば王女が危険だしな。
仕方なしに、目の部分だけ布を巻かずに残した。
「王女様の瞳は大変危険です。常に下を向き、誰とも視線を合わせませんように」
素直にこくりと頷くと、下を向きそろそろと歩き始める。パンを食べたからか……心なしか温かくなった手を取り、共に歩き始めた。
馬を預け貸馬車に乗り替えると、食事をとった時と同じく、横に並んで座る。
「私しかおりませんので、布を外しても大丈夫ですよ。息苦しいでしょう」
こくりと頷き、白い手を布の結び目にやるも、撫でているだけでちっともほどける様子がない。手を貸し、するりとほどいてやれば、少し汗ばみ上気した頬が現れた。
日中は暑いだろうに……気の毒だな。
少し位構わないだろうと窓を開けると、車内にそよそよと風が滑り込む。王女はそちらへ身体を向け、心地好さそうに顔を預けた。ちゃんと目を瞑りながら。
「馬車を乗り継ぎ、三日程掛けて移動します。夜は宿に泊まる予定ですが、何らかのトラブルが起きた際は野宿になる可能性もあります。念の為、車内で仮眠を取っておいてください」
と言いつつも、ふわふわの羽布団で寝ていた王女が、貸馬車の固い椅子なんかで眠れるのかと心配になる。まあ、馬の上でも寝ていたんだから大丈夫だろ。
「あ、あと御不浄は早めに教えてくださいね。王女様は私と違い、何処でもという訳にはいきませんので」
……こくりと頷いた頬が、赤く染まったように見えたのは気のせいだろうか。
王女は不意に、ポシェットからくたびれたぬいぐるみを取り出し、胸に抱きポンポンと叩き出す。
何かの儀式かと一瞬身構えるも、頭を撫でたり、鼻をくっつけてにおいを嗅いでいることから、ただ愛でているだけなのだと分かった。
確か十七だったか……こんな風にぬいぐるみを扱うには幼い気もするが、塔の上で一人、誰からも情を寄せられずに育ったなら、家族も同然なのかもしれない。
色褪せたクリーム色の、毛玉だらけの天使のぬいぐるみを見てそう思う。
「……そちらのポシェットには、他に何が入っているんですか?」
ぬいぐるみを取り出してもまだ膨らんでいるポシェットに興味が湧き、つい尋ねてしまった。
俺としたことが余計なことを……呪われたらどうするんだ。
天使を膝に座らせると、王女はポシェットに手を突っ込み、がさがさと漁り始める。キャンディ……石……どんぐり……押し花の栞……白鳥の羽ペン……一つ一つ自分に見せながら、座席の隙間に並べていく。
相変わらず無表情だが、口角が僅かに上がっているようにも感じる。
もしかして……楽しいのか?
今、瞳はどんな表情をしているのだろうと、目線を上げ掛け危うく留まった。
最後に取り出されたのは、彼女の小さな手の平にすっぽり収まる程の小箱。美しい銀細工の蓋を開ければ、中はオルゴールになっていた。くるくるとネジを回すと、美しく繊細なメロディが奏でられ、殺風景な車内を彩っていく。
「綺麗な音ですね」
自分の言葉に、王女の口角が更に上がる。これは……笑っている?
『そうでしょ。もっとよく聴いて』という風に伸ばされた手が、俺の耳にオルゴールを当てる。鼓膜に直接響くキラキラした音と、耳朶に触れる少し冷たい手。その両方に胸が高鳴り、動けなくなってしまった。
これは呪いのせいだろうか……
抑えきれなくなった衝動が勝手に命じ、目線を上げてしまう。そこには澄んだ金色の瞳が、柔らかな光を湛えながら自分を見つめていた。
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